mission6-11 観覧席での再会



「あらまぁ。皆さんもいらしてたんですねぇ」


 予選の二戦目、〈ヴァスカラン〉の組の乱戦が始まった頃、闘技大会の喧騒に似合わないのんびりとした調子で声をかけてくる者たちがいた。ユナは声がした方へと振り返る。後ろの方の席に、昨日ゴンドラで同席した老夫婦が座っていた。


「お二人も……! また会えましたね」


「ええ。あなたたち予定がありそうだったからここには来ないのかと思っていたけど。昨日は予定どおりヴァスカランの学府まで行けたのかしら?」


「はい。大図書館まで行って、学長のバルバラ様にお会いしてきました」


「まぁ、それは素敵ね。私たちは五時間並んでやっと大聖堂を見れたわ。後ろがつかえてたからたった三十分だけだったけど」


 老婆がクスクスと笑うと、隣に座る旦那の方はフンと不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「ごめんなさいね。この人、並んでいる間に持病の腰痛が悪化してしまってねぇ。昨日から機嫌が悪いの。大聖堂のステンドグラスを見ていた時は目をキラキラさせて少年の頃に戻ったみたいだったのに」


「あれは……まぁ、並んだ甲斐はあったな」


「もう。この人ったら素直じゃないのよ」


 二人のやりとりを見ているとなんだか胸の中がぽかぽかする。自分の何倍も長く生きているのに、こうして大切な人が隣にいて、同じものを見たり、同じものを食べたり、そして言葉を交わして笑いあったりできる。それって、一体どれだけ奇跡的なことなんだろう。


「あら? 金髪の男の子は一緒じゃないのかしら」


「彼はこの大会に出場しているんです」


 ユナはそう言って闘技場の左手、選手控え場所の方を指差す。まだ出番の来ないルカは試合の様子を眺めながら軽く準備運動をしていた。


「それにしてもさっきの試合、すごかったわよねぇ。あの炎、なんだったのかしら?」


「あれは——」


 神石の力だ。間違いない。炎が起こる前、師団長ジューダスの耳元のピアスが光るのを見た。神石の光色反応。共鳴者であるユナたちにとっては見慣れたものだ。


 だが、それをこの老夫婦に対しても伝えていいものなのだろうか。隣でアイラが首を横に振るのが見える。そもそも神石についてはこの大会のルールの中で全く規定されていない。禁止も、許可も。とはいえこの地を守るミトス神兵団の男がその力を堂々と使った。つまりは知る者だけが知っている裏ルールということになる。


 ルカはすでに気づいているだろう。なんせ他人の神石の声が聞こえるのだ。ルカにとってこれほど有利な戦場はない。だが——


『ミスター・グエン! 強すぎる! 強すぎるぞぉぉぉぉ!』


 司会の男が興奮気味に叫ぶ。第二戦は第一戦のような瞬時に勝敗が決まるような展開にはならなかったが、誰の目で見てもたった一人の強さが抜きん出ていた。鬼人族のグエン。ハーフのリュウでさえその身体の強さに驚いたものだが、純血の彼はさらに強靭な肉体を持っていた。何人で殴りかかってもビクともせず、軽い突きで重装備で臨んだ参加者を場外まで吹き飛ばしてしまう。


 ある男がグエンを羽交い締めにした。身をよじり引き剥がそうとするグエン。圧倒的な強者を前にして、共闘するための言葉は必要なかった。そばにいた傭兵風の男が棍をグエンの喉元に向かってまっすぐ突き出す。だが、鬼人族の男はその動きをしっかり捉えていた。塞がった両手の代わりに歯でその先端を抑え込む。


「んな——!」


 グエンが首を横に振る。顎だけの力で相手の武器ごと場外に放り投げてしまった。その遠心力に羽交い締めしていた男の拘束が緩む。その隙にグエンは男の顎に向かって頭突き。鈍い音が響いて男は後ろ向きに倒れる。


「なんだなんだァ!? こんなものかァ!?」


 グエンが挑発すると、最後の一人であるミトス神兵団の鎧を着た男が叫びながら木刀で斬りかかった。グエンは余裕の笑みを浮かべたままその場から少しも動こうとしない。兵士の木刀が彼の脇腹に入る。真剣ならば致命傷は避けられない軌道。——ガンッ! 人体に当たったとは思えない頑健な音が響く。グエンは口角をわずかに動かしただけで後ずさり一つしない。


「くっ……! 鬼人族の肌の硬さ、噂には聞いていたが」


 兵士は柔軟なステップで後退。グエンの動きは緩慢で、自分から仕掛けてこようとはしない。まるでやろうと思えばいつでもこの試合を終わらせられるというかのように。


「ならば!」


 兵士は体勢を立て直し、グエンの背後に回った。鬼人族相手に武器を使わず真っ向勝負で挑んでも勝ち目はない。だが武器以外にこの試合が戦場と違うのは、ルールがあることだ。兵士が目をつけたのはグエンが持っている木刀。彼はあまり武器に慣れないのか、軽く片手で握っていたり、邪魔な時は脇に挟んだりしている。それを弾きさえすれば——。


 兵士は自らのベルトにはめられている石に手をかざす。するとそこから藤色の光が放たれた。


『おや、これは……!』


 司会の声とともに、観客たちは身を乗り出して闘技場の様子を見守る。兵士の周囲に急に藤色の蝶の大群が現れたのだ。蝶は鬼人族の男の身体の周りを取り囲む。


「チッ! なんだこいつら!」


 グエンは蝶を振り払おうとするが、数が多くきりがない。彼の腕は虚空を舞うばかりだ。


 共鳴者である先ほどの兵士はグエンに勘付かれないよう蝶たちの陰に隠れ、木刀を持つ腕に忍び寄った。その手首を軽く叩けば武器を落として失格。兵士の勝利がすぐそこに見えていた、その時——


 。鬼人族を取り囲んでいた蝶が羽を溶かして落ちていく。


 肌の表面が強い日差しに当てられているようにヒリヒリとするのを感じ、兵士は慌ててグエンから距離を取った。グエンの赤い皮膚から湯気が出ている。


「くかか……知ってるかァ? 火山に住んでるオレたちの体温は、あんたらただの人間ナメクジの二倍はあるんだってよ」


 シュッ!


 蒸気が沸くような音がして、グエンの姿が消える。いや、消えたのではない。兵士の目では捉えられない速さで踏み込んだだけだ。熱が近づいてくる。


「く、くそおおおおお!」


 姿の見えない相手に対し闇雲に木刀を振る。やがてバキンと音がした。命中したのか——彼は自分の手の先の得物を見て愕然とした。木刀は二つに折れていた。目の前にいる鬼人族の男が横に薙いだ生身の腕によって。


「これで終わりだ!」


 グエンは左脇に木刀を挟み込んだまま、素手で兵士を殴る。兵士の身体は無残に宙に浮き、場外へと弾き飛ばされてしまった。グエンに殴られた頬には火傷のような痕が付いている。


『勝者——鬼人族の男、グエン・ヤンハ!』


 会場には拍手と歓声が響き、闘技場に花が投げ入れられる。ジューダスの時はナスカ=エラの住民による人気が強かったが、グエンに対しては腕っ節の強さへ賞賛といった様子だ。


 グエンは満足そうな笑みを浮かべながら闘技場を後にする。運動をしていない時はそこまで体温が上がらないのか、体表の湯気はだんだんと見えなくなっていた。


「神石の力が使えると言っても有利に運ぶとは限らないようね」


 アイラが呟く。グループによって色んなタイプの強者が集まっているのだ。ジューダスのように神石を巧みに扱う者、あるいはグエンのように神石を使わずに腕っ節だけで勝ち抜いてしまう者。


 ユナは祈るような眼差しで選手控え場所の方を見やる。


 次はいよいよ〈ティカ〉のグループの試合だ。



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