mission6-9 エントリー



——翌日。


 ルカたちが大聖堂前の闘技大会の会場に足を運んだ頃には、まだ朝早いというのにすでに人だかりができていた。昨日の大聖堂を見るために並んでいた人々とは違って、みな賑わいに負けないように大声を張り上げて会話し、どこかそわそわと落ち着かない様子だ。


 空には雲一つない青空が広がっている。高地の風は常に肌をなでる優しさで吹き、会場の周りに等間隔で建てられた赤・黄・緑の色鮮やかな旗がなびいている。


「あら、あなた方は。来てくださったんですね」


 広場の入り口にある受付には昨日の踊り子がいた。彼女はにっこりとルカたちに微笑みかけ、会場に入るためのチケットを差し出す。


「観覧はお一人あたり1,000ソル、大会に参加するなら無料ですよ」


 ルカは後ろを振り返ってアイラたちの方を見やる。


「参加するのはおれだけでいいんだよな?」


「ええ。使える武器が剣か棍だけなんでしょ。私たちは大人しく見守ることにするわ」


 アイラの言葉にユナも頷く。


 正直ここに来るまでは、聖地で開催される闘技大会なのだからさすがに本気で争うような雰囲気にはならないだろうと思っていた。しかし会場を一目見て、その予想は裏切られたことを知る。ガザよりもがたいのいい筋骨隆々な男たち、ミトス神兵団の制服を着た兵士たち、額に二本の角を生やした鬼人族……見た目から既にただならぬ雰囲気をまとった強者つわものたちが大勢集まっていたのだ。


「ルカ……大丈夫なの?」


 細身でそこまで背の高くないルカは、この中ではずいぶんひ弱に見えてしまう。ユナが心配そうに見つめると、ルカはまるで気にしていないという風に彼女の背中を叩いた。


「大丈夫だって! おれはずっとクレイジーに鍛えられてきたんだ。あの人より強い奴なんてそういないさ」


 受付の踊り子の案内によると、出場する選手はこの後広場の左手にある控え場所で武器と防具の配布が行われるらしい。持ち込みの武器の使用は禁止だ。ルカが黒の十字のネックレスを外そうとすると、踊り子はそれを止める。


「装飾品は大丈夫ですよ。鋭利な形をしているものはお断りしていますが」


「いや、でもこれは神器って言って……」


「ええ。ですから、大丈夫です。むしろお守りとして持っておいた方がいいですよ」


 その言い分はずいぶん不自然であった。しかし踊り子は有無を言わせない笑顔を向けてくる。ルカは怪訝に思いながらももう一度ネックレスをつけ直した。


「それでは、ご健闘をお祈りして……」


——チュッ。


 踊り子の唇が、ルカの頬に触れる。突然のことに戸惑うルカ。その頬が少しだけ赤らんでいるのを見て、ユナは全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。




 観覧席に向かう三人と別れ、ルカは控え場所へと向かう。ミトス神教会の人間らしきウグイス色のローブを着た男に、武器はどちらにするかと問われ、迷いなく棍を選んだ。普段は大鎌を扱っているのだから、剣と棍ならリーチの長い棍の方が自分の身体に馴染む感じがしたのだ。


「お兄さん、防具はどうします? 重量制限はありますが」


「うーん、あんまり重いのは得意じゃないんだよな。普段こういう軽装のまま戦うし」


「なら、鎖かたびらと革の胸当てだけでも。大巫女は今回の闘技大会で死傷者が出ることを望んでいませんから」


「わかった。ありがとう」


 防具を受け取り、大会が始まるまでユナたちのいる観覧席の方へ行こうとした時だった。すれ違いざまに他の参加者と肩がぶつかった。珍しく自分より背が低く華奢な体型で、全身はこげ茶のローブで覆われていてその表情はわからない。


「あ、すみませ——」


 ルカが謝ろうとすると、必要ないと言う様に手で阻まれる。ローブの陰から相手の口元がちらりと見えた。……笑っている。


「ここで会ったのは何の因果か……また君と戦えるのを楽しみにしているよ、ルカ・イージス」


「え? 『また』ってどういう……」


 引き止めようとしたが、その人物はすっと歩いて人混みの中に紛れていく。得物は木刀。鎧を着ているかどうかはあのローブからは推定できない。


(どっかで聞いたことのある声だったよな……)


 ルカは首をひねってみたが、あの一瞬では誰の声か判別できそうにない。大会の参加者ならどこかで顔をあわせるだろう。考えるのはやめにして、観覧席の方へと向かった。




 会場中をざっと見た感じだと、大会参加者はおそらく五十人はいるだろう。初戦はグループごとの乱闘で勝ち抜き戦、そこからはトーナメント形式で一対一の試合になるようだ。


 闘技大会開始直前には広場を取り囲む観覧席はすでに満席で、会場の周囲に張り巡らされた柵の外側にも一目様子を見ようと観光客と現地住民が入り混じってごった返している。


「う……なんか緊張してきた……」


「はは、何でユナが緊張してるんだよ」


「むしろどうしてルカは平気なの!」


 ユナが半分涙目でルカの方を見る。参加しないにも関わらず必死な表情に、ルカは思わず吹き出してしまった。彼女の顔はみるみるうちに赤く染まっていく。


「……ルカっていっつもそうだよね」


「ん?」


 ふいに、ユナの両手がルカの右手を握る。彼女の右腕にはめられた腕輪の薄桃色の石がぼんやりと光った。ルカの身体がぽかぽかと温かくなってくる。筋肉の緊張が解け、細胞中の神経が活性化していくような感覚がする。身体の中心から力が泉のように湧いてくる、そんな感覚だ。


「……おまじない」


 ユナはむすっと頰を膨らませながら、周囲のざわめきにかき消されそうな声でぽつりとそう言った。




 民族楽器の笛が高らかに会場全体に響く。山一つ簡単に超えていきそうな明瞭な音。その音色が合図になったかのように、会場の喧騒は歓声に変わる。会場の前方、大神殿の前に設えられた特別席に主賓が姿を現したのだ。


「大巫女イスラ様、ご到着ーっ!」


 控え場所とは逆方向、広場の右手に設置された席に座る男が立ち上がって高らかに叫んだ。朗らかな印象の、昨日の踊り子たちと同じような色合いの服装の男だ。彼がこの大会の司会を務めるらしい。


「イスラ様、開会前に選手たちに激励のお言葉を!」


 会場中に割れんばかりの拍手が沸き起こり、人々の視線が大巫女に集まる。


 噂に違わぬ美貌。よわい四十を超えるといえど、どこか気だるげな表情を浮かべ、艶やかさを隠すことなく巫女服を着崩す姿はより一層人々を魅了するばかり。


 司会に促されたにも関わらず彼女は興味なさそうな様子で微動だにしなかったが、後ろに控える神官姿の白髪の男——彼がおそらくバルバラの話していた神官長・アディール——につつかれて仕方ないといった風に立ち上がった。


「まったく……気まぐれに言ってみたが、まさか本当に大会を開いてしまうとは。ミトス神教会の純粋さと、ここに集まったあんたたちの暇っぷりには呆れたよ」


 彼女は心底飽き飽きしているという表情で言ったが、すでに暖まりきった会場にとってそれは水というよりも油に近かった。咆哮に近い歓声が沸きあがり、イスラは一瞬困惑するような表情を浮かべたが、やがて呆れを通り越してこの空気を楽しめるようになったのだろう、彼女は悪戯に微笑んで声を張り上げた。


「まぁせいぜい頑張ることだ! 優勝した者には、アタシが願いを一つ叶えてやる」


 会場内の誰かが「俺の妻になってくれ!」と叫び、どっと笑いが起こる。ミトス神教会のローブを着た者たちは苦い表情を浮かべていたが、一方のイスラにそれを不快だと思う様子はなかった。


「良いだろう——だが」


 彼女はすっと手を挙げる。すると、控え場所の方から堅牢な鎧を着たミトス神兵団の兵士がぞろぞろと出てきて、彼女を守るかのように壁を作る。


「……アタシの親衛隊は強いぞ?」


 イスラはにやりと口角を吊り上げる。ガザが「堪らないねぇ」と呟き、アイラが呆れのこもった深いため息を吐いた。


「さぁ盛り上げろ! どうせ死ぬまでの暇つぶしだ!」


 イスラのその言葉と共に、会場の周囲からワッと炎が噴き出した。再び歓声が沸き起こる。


「派手な演出だな。けっこう高度な仕掛けなんじゃないか?」


 ガザが感心するように言うと、ルカは首を横に振った。


「いや……違う。あれは神石の力だ。声が聞こえた」


 ルカが見据えるのはイスラの前方に立つミトス神兵団の中央の男。鎧の豪勢さからそれなりの地位の人物なのだろう。彼もまた闘技大会の参加者にエントリーしているのを見たが、神石の力を扱えるということは、その力の元となる神器を手放していないということを意味する。


 アイラはじっと目を細めて観察して見たが、ここからの距離では彼の得物を見分けることは難しかった。


「……なんか引っかかるわね。ルカ、大会に夢中になって気を抜いちゃだめよ」


「ああ、わかってるよ」


 ルカはそう言うと、観覧席を離れ選手控え場所へと向かっていった。



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