mission6-3 大巫女の元料理番



 ルカたちはガザの案内で表参道から一本入った通りを歩く。表参道の露店と比べると観光客向けの土産物よりも日用雑貨や食品を扱っている店が多い。道幅に合わせて建物の上にはりが通されており、そこに所狭しと商品がぶら下げられているので、通行人たちはそれを避けながら歩くことになる。一番多いのは色とりどりの織物だ。ここの通りはナスカ=エラに在住する人々がよく使う市場で、ヴィナパカの毛の織物が一番安く買える穴場らしい。


 ガザは看板の色褪せた店の前で立ち止まった。軒先には野菜や果物、肉が吊るし干しになっている。ところどころ朽ちた木戸を押して中に入ると、扉に取り付けられていたベルがリンと音を立て、店の奥から甲高い声が響いた。


「あれまぁ、ガザちゃん! 久しぶりじゃの!」


 もうもうと白い湯気を立てる厨房の奥からブンブンと短い腕を振る老婆がいる。ガザは応答するように手を挙げた。


「ちょっと今手が離せないから適当なところで座って待ってな! しっかしいつ以来だい? 一年ぶりくらいかえ?」


「そんな最近じゃねぇよ、十五年ぶりだよ!」


「あれまぁ! そんなに経ってたのかい!」


 ガザの返しに老婆が大きな口を開いて笑う。店内は道幅の狭い路地に面した店であるにも関わらず、表参道と張り合えるくらいに賑わっていたが、それでも彼女の笑い声は入り口の方にもよく聞こえてきた。


「よく見たら満席……! ここ、人気のお店なんだね」


 席に着いてから改めて店内を見渡し、ユナは息を飲んだ。まさしく「食堂」という言葉のイメージ通りの店だと思った。老若男女さまざまな人々が等間隔に並べられた木のテーブルにつき、彼らの元には次々と色とりどりの食材が添えられたプレートが運ばれていく。中にはあまり時間がないのか慌てて口の中に食事を運んでいる客もいたが、そういう人でも料理を頬張った瞬間には必ず笑顔が漏れる。この店の料理の美味しさが見ているだけで伝わってくるかのようだった。


「ここのおばちゃんは元々ミトス神教会の大巫女の料理番をしてたんだ。本当かどうかは知らねぇが、マグダラとは幼馴染だったって噂もあるらしい」


「大巫女マグダラの……!?」


 ルカが「それが本当ならあのおばちゃんは一体何歳」と言いかけたところで、老婆が白いエプロンをなびかせ、シワの入った両腕に二皿ずつ器用に乗せてやってきた。


「はいお待ち! ナスカ=エラ定食四人前じゃよ!」


 そう言って彼女は手際よくルカたちの前に料理を並べる。ワンプレートにメインディッシュの肉の照り焼き、ライス、山菜のおひたし、山芋の煮物、ドライフルーツが乗せられていた。


「これでたったの五百ソルなんだぜ? 俺もそれなりに世界各地を回ったが、ここまで良心的な食堂は他になかった」


 ガザがそう言うと、老婆は腕を組んで満足気に頷く。


「そうだろう、そうだろう! さぁ食いな! 冷めないうちにねぇ!」


 品数が多く、どれから手をつけてしまうか迷ってしまう。ユナはまだ湯気が立っているメインディッシュから手をつけることにした。食べやすいようにあらかじめ一口サイズに切られている肉を口に運ぶ。その瞬間、彼女はハッと目を見張った。


「このお肉、すごく美味しい……! 繊維があって歯ごたえがしっかりしていて、ソースの味が染みすぎずほどよく絡んでる……!」


「はっはっは、気に入ってくれたなら何より! それはねぇ、ヴィナパカの肉じゃよ」


 カラン。ユナの持っていたフォークがテーブルの上に落ちて音を立てる。


「え……ヴィナ、パカ?」


 その表情は先ほどまでとは打って変わって強張っていた。それはそうだ。先ほど街で見かけたヴィナパカの風体は、どう考えても家畜動物ではなく愛玩動物にしか見えなかったのだから。


「あれまぁ、お嬢ちゃん知らなかったのかい! ここら辺の高地じゃまともに育つ家畜動物はヴィナパカくらいなもんでね。ナスカ=エラでは織物だけじゃなく、食材としても大人気なんじゃよ」


「うう……ヴィナパカちゃん……」


 肩を落として皿の上を見つめるユナの瞳は、少しだけ潤んでいた。彼女は一度手を合わせてまぶたを伏せると、小さな声で「いただきます」と言って、もう一度フォークを手に取った。




「おばちゃん、ここ最近のナスカ=エラはどんな感じだ? さっき表参道を歩いてきたんだが、十五年前とは変わったところが結構あって驚いていたんだ」


 ほとんど食べ終えたところでガザが切り出す。大巫女の元料理番だという老婆は、昼食時のピークが過ぎて余裕ができたのか、ルカたちのテーブルに椅子を寄せて座っている。


「十五年以来じゃそうだろうねぇ。ナスカ=エラはその代の大巫女様の一声で様変わりする街じゃから。先代のマグダラ様と、娘のイスラ様じゃずいぶんお考えも違う」


 老婆は店の壁に貼られているポスターを指差した。そこには長い白髪をありのままに伸ばした、気だるげな美女が描かれている。当代の大巫女の肖像画のようだ。それを見て、ガザはパンと手を叩く。


「イスラ様……ってあの面倒くさがりの踊り巫女様か!」


「そうだよ、よく覚えていたねぇ」


「なるほど……あのお方は分派の舞にも寛容的だった。街が賑わってたのはそういうことだな」


 話についていけていないルカとユナにアイラが説明する。


 踊り巫女とは、ミトス神教会の祭事に舞を奉納する専門の巫女のことらしい。現在の大巫女——つまりミトス神教会の長であり、ナスカ=エラの国主——を務めるイスラは、元々はこの踊り巫女をしていたのだという。


「しかしなんでまたイスラ様が後継になったんだ? こう言っちゃなんだが……他に相応しい姉君は何人もいらっしゃっただろう」


「長男のアディール様が推薦なされたんじゃよ。マグダラ様が昏睡状態の間、ナスカ=エラの国政を大きく支えたのは神官長であるあのお方じゃった。あのお方が推薦なさるのなら、それに反対できるものはおるまいて」


 ガザは腕を組んで考え込む。それほどイスラという巫女は国主に似合わない人物らしい。


 ガザが黙ったのを機に、ルカは気になっていたことを老婆に尋ねることにした。


「なぁ……さっきから姉とか長男とか色々出てきたけど、マグダラの子どもって何人いるんだ?」


 すると老婆はにかっと歯茎を見せて言った。


「二十人はおるぞ」


「「二十人!?」」


 思わずルカとユナの声が揃い、二人は恥ずかしそうに顔を赤らめた。その様子を見たアイラは、タバコの煙をふかしながらニヤニヤと笑う。


「別におかしくはないわね。巫女一族”エリィ”は生まれながらにして高い神通力を持ち、普通の人間よりも寿命が長いと聞くわ。八十を超えて亡くなったマグダラでさえ短命だと言われたくらいよ。出産可能な年齢も幅広いんじゃないかしら」


「そ、そういうもんなのか……」


 ちなみにイスラはマグダラの六番目の娘で、すでに四十歳を超えているという。ルカは思わず肖像画を何度も見直した。どう見ても四十を超えているようには見えない。しかしガザが言うには、実物はさらに若々しく美人らしい。


「驚くのはそれだけじゃないぞ、金髪の青年。大巫女はな、一妻多夫制が認められておるんじゃ。つまり、兄弟といえど全員父親が違うんじゃよ」


「っていうことは、マグダラ様は二十人以上の旦那さんが……」


 ユナの顔はのぼせたように真っ赤である。


「例えば長男のアディール様のお父上は、マグダラ様が生前最も信頼されていた元神官長様じゃが、対するイスラ様のお父上は元バスティリヤ囚の浮浪者であったという。まったく、人智を超えたお方の考えることはわしにゃ理解できんよ」


 やれやれと老婆は肩をすくめる。やがて彼女は厨房の従業員に呼ばれてルカたちのテーブルを後にした。食堂の中はまだ客がまばらに残ってはいたが、入った時に比べたらずいぶん静かになってきている。




 アイラは吸い殻を灰皿に押し付けると、すっと立ち上がって言った。


「まぁ今回の任務には、この国の大巫女のことは関係ないわね。下手に接触して目立つのは避けた方がいい。さ、早いうちに学府の図書館を目指しましょう」


 ……その日のうちに、その言葉を撤回せざるをえない事態になるとも知らずに。




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