mission6-4 ”洗練の山”ヴァスカラン
ルカたちは食堂を出ると、宿が密集している区域に一旦立ち寄り、今晩の寝床を確保した。宿屋の主人曰く、これでも今日は観光客が少ない方らしい。やはりヴァルトロの宣戦布告の影響で旅客の数が減っているのだという。
「中立国のナスカ=エラにも影響があるってことは、当事国のヴァルトロとルーフェイはどうなっているんだろう……」
「それが、シアンと情報共有しておこうと思ってさっきサンド二号を起動したんだけど、全然通信できないのよ。実は前にも同じようなことがあってね」
アイラがそう言うと、ルカは頷く。
「コーラントだな。あの時はユナの神石が共鳴と覚醒の間の半端な状態だったから、力が暴発してサンド二号の方が負けてたんだ。ナスカ=エラも同じ状態ってことかな」
すると横で聞いていたガザは「いや」と口を挟む。
「ここは世界中の地力が集まって隆起した土地と言われるくらいだ。恐らく元々磁場が狂いやすいんだろう。……ま、神通力のない俺にはよくわからん話だがな。いずれにせよ、通信のことは夜までにどうにかしてやるから、とりあえずは用事を済ませようぜ」
ナスカ=エラの市街地を抜け、北のゲートをくぐる。目の前には広大な高原地帯が広がっていた。緑豊かな大地と、鮮やかな青空のコントラストが眩しく、ユナは思わず目を細める。
北方には悠然とそびえる”洗練の山”ヴァスカランが見える。そこには、世界中のあらゆる知が結集した学府と大図書館があるという。おそらく古代ミトス語を解読できる学者もいるだろう。つまり、ルカたちの任務の目的地とも言える。アイラは「ここへは遊びに来たんじゃないんだからね」と念を押した。
ヴァスカランへは木の柵で囲われた一本道があるだけだ。道を行く人々は少なく、街に比べたらずいぶん静かだ。耳をすませば風の音さえ聞こえてきそうである。
「ヴァスカランの学生たちはマジメだから、みんな学府と寮のある山の中にこもりっぱなしなんだよ。俺みたいにしょっちゅう山を抜け出して中央市街地をうろついているヤツは少数派だったな」
市街地からヴァスカランまでは徒歩で約一時間ほどだという。麓まで運行しているパカ
「そういえばヴィナ大陸に入ってから破壊の眷属を見てないな」
道の途中、ルカがふと思い出したように言う。ヤオ村周辺であれだけ目にした破壊の眷属は、存在そのものが消えてしまったかのように一切現れる様子がない。ルカたちの視界に入るのはのどかな高原風景、そして時折放牧されているヴィナパカくらいである。
「そりゃそうだ。この辺りはミトス神兵団の目が光らせてあるから」
「ミトス神兵団?」
「ミトス神教会の配下の軍隊だ」
「中立国なのに、軍隊……?」
「中立国ってのは弱くて戦争ができないから中立を謳っているというわけじゃない。この国はむしろ逆だ。神兵団は世界中から信仰の厚い強者が集まった軍隊なんだよ。神石を扱える者も多く在籍しているらしい」
ルカが「なんでそんなこと知ってるんだよ」と尋ねると、ガザは目配せして「俺の商売がそれなりに潤ってるってことさ」と言葉を濁す。
「ミトス神兵団の普段の活動は、大巫女の護衛とナスカ=エラ国内の破壊の眷属の討伐だが、万が一でも奴らが戦争に加わったとしたら、あっという間に戦場のパワーバランスは崩れるだろう。奴らは抑止力として存在することで、この聖地と世界の均衡を守っているのさ」
ユナはルカとガザの会話を黙って聞いていた。何か引っかかるような気がしたのだ。ガザが向こうからやってくる人影を指し、「ほら、噂をすれば」と言う。巡回中の兵士のようだ。兵士が首に巻いているウグイス色のマフラーを見て、ようやく腑に落ちる。
「もしかして神兵団って……創世神話第十三章の最後に記された、”破壊神に立ち向かう軍団”のこと?」
創世神話の締めくくりとはこうだ。
“破壊神が生み出されても、人々は歩みを止めないであろう。選ばれし者はやがて『
そして最後のページの挿絵には、ウグイス色のマフラーをした老若男女様々な人々が手を取り合い、赤黒く巨大な破壊神に立ち向かう後ろ姿が描かれているのである。
「ユナは本当に創世神話が好きだな。その通りだよ。あくまで名目だけだが」
「どういうこと?」
「確かに、ミトス神兵団は『
「それに」と言って、ガザはアイラ、ルカ、ユナを順番に指差して笑う。
「お前らだって共鳴者だが好き勝手にやっているだろう。つまりな、人間ってのは世界の終わりを目の前にしたところで、そうやってばらばらと気ままに生きる、どうしようもない生き物ってわけさ」
アイラは「全くその通りね」と肩をすくめる。ガザの言葉は皮肉めいていたが、それを否定できるだけの説得力は三人とも持ち得ていなかった。
ようやくヴァスカランの麓にたどり着いた頃には、ルカたちの疲労はピークに達していた。ただ歩いてきただけではあるが、彼らはここが標高3,000mを超える高地であることをすっかり失念していたのだ。ここは気圧が低く、酸素が薄い。地上と同じように活動しているとすぐに体力が切れてしまう。
「ユナ、高山病にはなってないか?」
「うん、なんとか……でもちょっと疲れたかも」
「そうだよなぁ……」
ルカはため息を吐いて目の前の光景を見上げる。山の斜面に沿うようにして無機質な石造りの建物が点在していて、細い山道を学生らしき若者たちが行き来している。学府はヴァスカランの麓にあるわけではなかった。この山全体がナスカ=エラの誇る学府なのである。
「ガザ、古代ミトス語が読める学者のいそうな場所のあたりはついてる?」
「いや……実は俺がいた工学部は麓に近い学舎でな。上層の方には詳しくないんだ。頂上にある大図書館には学長がいるから、その人に頼めば紹介してもらえるとは思うんだが……」
頂上は、見上げても雲に覆われていて見えない。ナスカ=エラの中心街が標高3,000m級のエリアなのに対し、ヴァスカラン自体の標高は4,000m以上なのだという。
「登るしかないわね……」
アイラはため息を吐きながら、立ち止まる三人の背中を押した。
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