mission6-2 静と動



「はい、次の方どうぞ」


 声をかけられ、ルカは肩を強張らせながら前に進む。


 ここはゴンドラから降りて少し歩いたところにある入国ゲートの手前、入国審査局である。石造りのゲートの横はずっと石の壁が続いていて、ナスカ=エラの街をぐるりと取り囲んでいる。外からでは街の中の様子が見えないようになっているらしい。


 入国審査はミトス神教会が担っているようだった。ルカが入国チケットを手渡した相手はウグイス色のローブを着て眼鏡をかけている女性だったので少しどきりとする。キッシュの街で出会ったシスター・ジルは銀髪女シルヴィアの変装だったのだから、彼女がここにいるはずはないと頭の中では分かってはいるのだが。


「チケット拝見しますね。……元ヴァスカラン地区住民の方からのご紹介でしたか。大丈夫です。どうぞ、お通りください」


 修道女はルカのチケットにスタンプを押すと、にっこり微笑んでそれを返してきた。よく見れば彼女は目が細く、ローブの下から覗く髪も深い茶色であった。ルカは人知れずそっと胸をなでおろす。




「大丈夫だったか?」


 先に入国審査を通過したガザたちと合流する。一行のうちガザだけは通常のものとは違う、薄赤色のチケットを持っていた。


「うん、問題なかったよ。聖地だからもっと審査厳しいのかと思ってたけど」


「入国チケットの発行条件は国の承認を得ているか、ナスカ=エラでの居住記録のある人物からの推薦があることなんだ。お前たちは留学経験のある俺の推薦だから問題なく入国できるってわけ。ありがたく思えよ?」


 ガザが得意気に胸を張るのを見て、アイラは目を細めて笑う。


「ふ……そう言うあなたは、キッシュで承認されたチケットを持っていたにも関わらずマグダラに止められたんでしょ?」


「おい、まだその話ぶり返すのかよ!? 言っとくけど、一番驚いたのは俺なんだからな? 優秀な職人として認められてこの国に入るはずだったのが、まさかの大巫女直々のストップを食らうなんて」


 ガザはその巨体で目の前に立ちはだかるアーチ状の門を仰ぎ見て、「だが」と小さな声で呟く。


「『その者を通すな。世界に災いをもたらす』……今思えばよく言ったもんだ。俺がお前たちについてきた理由は、あの婆さんの墓前で謝罪をしたかったってのもあるのさ」


 その時、遥か上空を一羽の鳥が飛び、甲高い鳴き声を三つの山に囲まれた街に響かせた。地上から3,000mを超える空を悠々と羽ばたき、南方の山陰へと消えていく。「まるですべてお見通しだって言われているみたいだな」とガザははにかむような表情で言った。




 ナスカ=エラの街は非常に単純な構造になっているらしかった。大聖堂とその背後に位置するミトス神教会の総本山である神殿、その二つを中心に十字に大通りが伸び、それぞれ区切られた地域ごとに繁華街、宿場町、神職たちの住宅街といった風に特色が分かれているのだ。


 入国ゲートを抜けた旅人がまず降り立つのは、大聖堂につながる表の参道。石畳で整えられた道幅はかなり広く、馬車同士がすれ違っても余るくらいだ。通りを行き来するのはルカたちのような旅人に、ミトス神教会の人々、それにこの参道の両脇に店を構える人々だ。ガザ曰く、このあたりがナスカ=エラの中で最も商業が盛んなエリアだという。


 この先をまっすぐに行って階段を登れば広場に出て、その先に大聖堂がある。話に聞く分には大聖堂はすぐそばにあるかのようだが、ルカたちは街の様子を一目見てすぐ、今日のうちに例のステンドグラスを見るのは無理だと悟った。入国ゲートのすぐ側にまで参拝客の列が迫ってきていたからだ。


「とりあえず食事にでもするか? この辺りに学生の時から馴染みの食堂があってよ」


 ガザがそう言うなり、三人の視線は冷たく彼を刺す。


「本当に食堂? インビジブル・ハンドみたいなクラブじゃないでしょうね」


「おいおい、そんなに疑わなくってもいいだろ。安心しろ、学生ん時はジリ貧生活だったから行きつけにしてたのは安くて美味い食堂だ。それに、ああいう娯楽施設はこの街にはねぇよ」


 確かに、ナスカ=エラにもキッシュの街のような賑わいはあるが、どこか落ち着いているというか、厳かな雰囲気がそこはかとなく漂う。例えばそれは参道の土産物屋の売り子の商売っ気の低さであったり、飲食店の看板の色合いの地味さであったり、建物を形作る石素材の飾り気のなさであったり。


 観光なら良いが、住むには少し退屈そうな街——ルカがそう思った矢先、急に周囲がざわめき始めた。列に並ぶ人々から歓声が上がり、陽気な笛や弦楽器の音が近づいてくる。


「なんだろう……お祭り?」


 ユナは周囲を見渡し、騒ぎの正体に気づいたようだ。彼女が指差した先を見やると、そこには鮮やかな単色のひらひらとしたロングスカートをはいた女性たちが、派手な化粧をして踊り歩いていた。赤、黄、緑。質素な街並みが彩りに溢れていく。


「あれは確か『エリィの巫女舞』の分派の踊りよね? ミトス神教会の正統派である『エリィの巫女舞』が眠りについた神々をなだめる”静”の踊りであるのに対し、分派は神々を揺り起こすための”動”の踊り。本家が根強いナスカ=エラではあまり見られないと聞いたことがあるけど」


「さすが、詳しいな。俺の認識も同じだ。以前留学していた時はこんな風に分派の踊りを目にする機会なんて無かったんだが……」


 アイラとガザが話している間にも踊りの集団はルカたちのいる方へ近づいてきていた。踊る女性の後ろには楽器隊と、じゃらじゃらと装飾をぶら下げた四足の首の長い動物が続く。白いモコモコとした毛並みの奥にある気だるげな瞳をたたえながら、音楽に合わせて首をゆらゆらと動かしている。


「あ、あの子すごく可愛い……!」


「ええ、そうかぁ? 四足のくせにトロそうじゃん」


 同意されなかったことが不愉快だったのか、ユナにじとりと睨まれてルカの額に冷や汗が浮かぶ。


「はっは、あいつはヴィナパカだよ。ヴィナ大陸の高地に生息する家畜動物なんだ。高地は気温が低いから、あいつの毛は重宝されるんだぜ」


 話を聞かれていたのか、踊りの女性の一人がこちらに気づき、ヴィナパカを一頭引き連れて向かってきた。


「お嬢さん、ナスカ=エラは初めて? ヴィナパカはとっても大人しい動物だから、触ってみてもいいのよ」


「え、いいの?」


 ユナの表情がぱぁっと輝く。踊り子に誘導されるがままユナはヴィナパカに手を伸ばし、柔らかな毛に触れてその頬は至福にほころびる。今までの旅の中では一度も見たことのない顔だ。


「ふ、ふわふわ……」


「ふふ。毎日ちゃんと毛並みを手入れしているからね、この子は。あ、そうそう、この街には明日も滞在されるのかしら?」


 アイラが「ええ」と頷くと、踊り子はヴィナパカの装飾に引っ掛けられているポーチの中から一枚のチラシを取り出し、彼女に手渡した。


「皆さん運がいいですわ。明日、街の広場でミトス神教会公認の催しがあるんです。よかったら見にいらしてくださいね」


 踊り子はにっこりと微笑むと、ヴィナパカを連れて再び踊りの一団の中に戻っていった。ユナはその後ろ姿を名残惜しそうに眺めている。


(ユナがあんなに何かに夢中になってるのって初めて見たかもな)


 そう考えてみると、一緒に旅をしていてもお互い知らないことなどたくさんあるものだ。コーラントからここに至るまで、ゆっくり過ごす時間が少なかったせいで彼女と話をする余裕もあまりなかった。ナスカ=エラに滞在している間に必ず大聖堂を見に行こう。ルカはその決意を固くする。これだけ並んでいる時間があれば、きっといろんな話をすることができるだろうから。


「ねぇ、ちょっとこれ見て」


 踊り子に渡されたチラシを見ていたアイラが声を上げる。ルカはそれを横から覗き込んだ。そこには明日の催しの詳細について書かれていた。


「へえ、闘技大会か。面白そうじゃんか」


「バカね、そうじゃないでしょう。ねぇガザ?」


 一瞬ルカに同意しかけたガザはごまかすように咳払いをして、一息吸ってから答える。


「……ああ。ナスカ=エラは聖地だぞ。そんな場所で神教会公認の闘技大会が開催されるなんて、マグダラの代には考えられないことだった。当代の大巫女様は一体何を考えているんだろうな……?」


 ガザの話によれば陽気な分派の踊りも、明日の闘技大会も、従来のナスカ=エラでは考えられなかったものだ。アイラは腕を組んで考え込む。


「マグダラの眷属が時の島で言っていたわ。マグダラの死後、ナスカ=エラの状況が変わってきた、って。もしかしたら何か関係しているのかもしれないわね」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る