mission6-1 ゴンドラ・トレッキング



「すっげぇ! これが噂に聞く"世界一長いゴンドラ"……!」


 カゴシャチでヴィナ大陸の浜辺に上陸してから登山道を登ること数十分。平坦な広場に出たと思えば、眼前には様々な背格好をした人々が列をなして賑わっている。彼らは創世神話の聖地・ナスカ=エラ巡礼のために世界各地から集まった参拝客。列をなしているのは、ここからナスカ=エラの中央市街地へとつながるゴンドラに乗れるからだ。


 ルカは背を大きく逸らしながら、等間隔にゆったりとケーブルを伝って登っていくゴンドラを眺める。鉄格子にガラス張りの筐体が人々を運ぶ先は白い雲に覆われて見えそうにない。ナスカ=エラは標高3,000メートル級の高地に栄えた都市なのだ。


「話には聞いていたけど、こうして見るとやっぱりスケールが違う感じがするよ。こんな険しい山の上で暮らすなんて想像できないなぁ……」


 ユナもゴンドラの動きを目で追いながら呟く。コーラントは平坦な島国で、一番高いところでも海抜100メートルくらいである。アルフ大陸を周っていた時は遠目にポイニクス霊山を見ることはできたが、こんなに間近で高い山を見上げるのは初めてのことだった。


「高山地帯はこことは空気の薄さが違う。慣れない人間は高山病になりやすいから、滞在初日はあまり激しい運動とかしない方がいいぞ」


 ガザに言われ、ユナは思わずルカの方を見やる。ルカは心外だと言うように目を見開いた。




 一行は人々の列の最後尾に並ぶ。前には少なくとも三十組はいそうだった。ガザのアドバイスでなるべく朝早い時間に到着するよう本部を出たにも関わらず、である。


「ずいぶん並んでるわね……街に入るためのルートはこのゴンドラしかないの?」


 アイラの語気にはわずかながら苛立ちが混ざる。ガザはやれやれと肩をすくめて答えた。


「無いことはないが、修験者用の登山道で登り切るには数日かかるって言われてる。それに、登山道に入る人数に比べ、頂上に出てくる人数が少ないって噂もあるが」


「……分かったわよ。待っていればいいんでしょ」


 諦めるようにため息を吐く彼女に、ガザは無精髭を撫でながら笑う。


「その方が賢明だ。何、退屈はさせやしない。並んでいる間に少し、この土地に関する話をしておいてやろう」


「あ、それ聞きたい!」


 ルカもユナも目を輝かせる。ナスカ=エラは世界中の人々にとって憧れの土地なのだ。誰もが幼い頃から親しんでいる創世神話の発祥の地と言われ、中心地にある大聖堂の極彩色のステンドグラスは、人生に一度は見ておかないと死に切れないとも言われるほどの美しさだという。


「ガザはステンドグラス見たことあるのか?」


「ああ、一度だけな。日中はゴンドラ乗り場の数十倍は人でごった返しているから夜中にこっそり見に行ってよ。夜でも月光でほんのり光っててそりゃもう美しい以外の言葉が浮かばなかった」


「いいなぁ……! おれも早く見てみたい!」


「こら、観光に来たわけじゃないでしょ」


「そうだけどさぁ、せっかく来たんだし見ておきたいじゃん。アイラは興味ないのかよ?」


「あいにく、幼い頃に創世神話をゆっくり読めるほど育ちが良いわけじゃなくってね」


 アイラはフンと鼻を鳴らし、そっぽを向いて言った。並ばされていることも相まって、更に機嫌を悪くしてしまったようだ。ユナは空気が冷えるのを感じて、無理やり話題を作る。


「ルカはいつ創世神話を読んだの?」


「確かクレイジーと一緒に任務をこなす合間に読んでたかなぁ。三年より前のことは当然覚えてないからね」


「そっか、そうだよね」


「どうした?」


「ううん、なんでもないよ」


 ユナは一人納得して口をつぐんだ。幼い頃にキーノと一緒に分厚い創世神話を一ページずつめくり、綴られた神話の物語にああでもないこうでもないと話をしたのは彼女にとってかけがえのない思い出の一つであった。だから、淡い期待をしたのである。だが、実際のところルカの記憶は三年前で途切れてしまっている。彼とキーノが同一人物である証拠も、どこにもない。





「ねぇもしかしてこのゴンドラ……底が透けてる?」


 前に並ぶのが残り十組を切ったところで、アイラが目を細めてゴンドラを指差す。確かに足元の部分がガラス張りになっているようだ。


「よく見えたな、アイラ。その通りさ。ナスカ=エラは三つの巨大な山に囲まれている。そのうちの一つ、聖地に入ろうとする人々に立ちはだかるのがこの”試練の山”イリヤンフだ。ゴンドラができる以前は、登山道で山の険しさを味わい、己の無力さを理解した者だけがナスカ=エラの地を踏むことができるって言われていたらしい。ゴンドラがわざわざ足元を透かせてビビらせる作りになっているのはその名残だ」


「なるほどね。ユナは高いところ平気?」


 ルカに尋ねられ、ユナは「うん、まぁ」と言葉を濁す。正直、元々得意なわけではなかったのだが、コーラントを出発した時からここに至るまで、各地で高いところから落ちるというのを経験しすぎたせいで慣れてしまったのだ。





 ゴンドラは六人乗りになっていて、ルカたちの他に品の良い老夫婦が一緒に乗ることになった。型のしっかりした襟付きの衣服から見るに、ガルダストリアからの旅行客だろう。


 耐えず動き続ける仕組みになっているゴンドラは、六人が乗り終えたところで下部の安全用の金網は途切れ、徐々に速度を上げて山の急斜面を沿うようにしてケーブルを昇り始めた。


 時折風に吹かれてゴンドラがぐらりと揺れるので、ユナは思わず隣に座るアイラのコートの裾を掴んだ。アイラは平然とした表情を浮かべていたが、その首が上方ばかりに傾いていることに気づいてユナは内心ほっとする。


「ねぇガザ、さっきナスカ=エラは三つの山に囲まれてるって言ってたよね。他の二つにはどういういわれがあるの?」


「謂れというか、ナスカ=エラは山ごとにエリアが分かれてるって言った方がイメージしやすいかもな。イリヤンフを越えたところに広がる盆地がナスカ=エラの中心地で、北方の”洗練の山”ヴァスカランには世界最大級の大図書館と学府が、南方の”未練の山”ヒスティには国際的な指名手配犯を捕らえるための難攻不落の牢獄塔バスティリヤがある」


「調査任務なら用があるのはヴァスカランの方ね。くれぐれもヒスティの方には近づきたくないものだわ」


 アイラはそう言ってルカの方を見ながら皮肉な笑みを浮かべた。ルカはムッと顔をしかめ、「さすがにそんなことしねぇよ。ガザよりは良識をわきまえてるつもりだし」と呟く。ルカの不意打ちにガザは抗議しようとしたが、アイラから以前キッシュでファブロに聞いた話を指摘されて黙りこくってしまった。初めてナスカ=エラに入ろうとした時に、先の大巫女マグダラに入国を許してもらえなかったという話だ。


 話を聞いていて耐えられなくなったのか、ユナの向かいに座る一緒にゴンドラに乗り込んだ老婦人がぷっと吹き出した。


「あらごめんなさい、皆さんのお話があんまりにも面白くて。そちらのがたいの良い方のお兄さんは、この国に来たことがあるんですねぇ」


「留学ですよ。キッシュの出身なもんで」


 ガザがそう答えると、老婦人は彼の身なりを改めて見て「なるほど、キッシュのねぇ」と合点が言ったようだった。ガザはいつでも工具を積んだ巨大なバックパックを持ち歩いている。


「皆さんはナスカ=エラへは観光に?」


「いや、おれたちはちょっと調べものにね。おばあさんたちは?」


 すると老婦人は隣に座る旦那の方をちらと見て、ふふと柔らかい表情で笑った。目尻に優しげな皺ができる。


「私らはね、実は新婚旅行なんですよ」


旅行……?」


 老婦人はすぐには答えない。旦那の方はむすっとしていたが、やがてしびれを切らして口を開く。


「この歳になるまでずっと、旅行なんか行く余裕が無かったんじゃよ。ワシらは〈チックィード〉じゃったから」


 ユナが〈チックィード〉について尋ねようとするより先に、アイラが「エルロンドの階級制度ね」と言った。老人は黙って頷く。


 アイラの言葉でユナの脳裏に以前キーノから聞いた話がよぎった。エルロンドとは以前ガルダストリアの東部にあった国。「花薫る都」と呼ばれ、富裕な印象を持たれていたが、実際にその栄華をふるっていたのは一部の上流階級だけで、彼らの生活は理不尽な階級制度による搾取構造で成り立っていたのだという。


「旅行なんて無縁じゃと思っとった。じゃがの、七年前に起きた革命によりワシらは彼の国を抜け、階級による束縛から逃れ、ガルダストリアに移住してからは地道に働き相応の報酬を得てきた……」


「それでねぇ、ようやくお金が貯まったから念願の新婚旅行をすることにしたんです。ほら、戦争が始まっちゃったら渡航禁止令とか出るかもしれないし」


 そう言って老婦人は旦那に微笑みかける。気難しそうな彼は口をへの字に曲げていたが、照れ隠しのようなその表情からは彼らの幸福が伝わってくるかのようだった。


「エルロンドは今どうなっているんですか?」


「さぁのう。〈チックィード〉たちは皆革命が起こった時に国を出るように言われ、それっきりなんじゃ。風の噂には荒くれ者ばかりが集まる集落として廃れてしまったとも聞く」


「エルロンドで革命が起きたのは確か『終焉の時代ラグナロク』が始まってすぐのことだったよな。この目で見たわけじゃないが、相当な混乱だったと聞いたぞ。〈ブロッサム王族〉や〈カメリヤ貴族〉はほとんど生き残っていないんだろう」


 ガザの言葉に老婦人は頷いた。


「そうね。でも、上流階級の方も悪い人ばかりではなかったのよ。革命には感謝しているけど、そういった方たちの安否については今も心配なのよねぇ。ほら、あなた、あの方」


「ん? ああ、没落した〈カメリヤ〉のお嬢さんのことじゃろ。一度わしらに良くしてくださったことがあるものな。あのお方は王様に大層いじめられ、〈チックィード〉と同等の扱いを受けていたとも聞くが、どうなったのかのう……」


 老夫婦の話に、ユナは祖国のことを思い浮かべる。コーラントは閉鎖的な小さな島国だからこそ、皆が助け合い穏やかに暮らしてきた。階級も格差も無いに等しい。ただ一方で、魔法が使えないせいで肩身の狭い思いをしてきたユナが、それでも衣食住に困らなかったのは王族という血に守られていたからなのかもしれない。そう思うと、革命によって消えた国のことを決して他人事のようには思えなかった。




 ゴンドラの周囲の視界が真っ白になった。雲の高さまで上がってきたのだ。アイラがほっと息をつく。これで誤ってゴンドラの底を見てしまっても、地上との距離は分からない。


 しばらくして視界が晴れてきて、目が痛いくらいの眩しさがゴンドラを包む。標高が上がればそれだけ日差しも強い。明るさに慣れずルカが何度もまばたきを繰り返していると、ガザがゴンドラの進行方向を見上げて言った。




「お、見えてきた。あれがナスカ=エラの入国ゲートだ」




 ガザの視線の先——そこには確かに、石造りのアーチ状の門が逆光による影となって旅人たちを迎え入れようとしていた。




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