mission5-11 揺れる国々


***



 その頃、ナスカ=エラの中心街に位置するミトス神教会の本部では、マグダラの後継者である巫女・イスラの元に一通の書状が届いていた。彼女はそれを読み終えると、眉間にしわを寄せて目を細める。


 イスラはよわい四十を越える女であるが、代々その血に受け継がれている美貌と、何より彼女の国主らしくない気の抜けた姿——柔らかいファブリックが張られたソファにだらりと寝そべり、白地にウグイス色のきめ細かい刺繍が編まれた巫女装束を片側の肩が覗くほどに着崩し、膝丈まではあるであろう細く長い生まれながらにしての白髪があちこちに散らばっている——が、彼女を年相応には見せない。


「アディール兄さん。なんなんだよ、これは」


 イスラは目の前に立つ、彼女と同じく白髪の神官姿の男に向かって口を尖らせて言った。アディールと呼ばれた男は柔和な笑みをたたえ、落ち着いた口調で言う。


「ヴァルトロがルーフェイに出した宣戦布告ですよ」


「だーかーら、なんでそんなのがアタシの元に来てるんだって話だよ」


 イスラが駄々をこねる子どものように喚くと、アディールはわざとらしく首を傾げる。


「おや、七年前の講和条約の内容をお忘れですか? 先の二国間大戦は我らが母上・マグダラが昏睡状態であるのを良いことに、二大国が平和協定を破って勝手に始めてしまった。終戦の際に、二度とそのようなことがないよう、今後各国は戦争行為を開始する前に事前にナスカ=エラに対し戦意があることを表明しなければならない——そういう取り決めがありまして」


 彼の説明の途中で、イスラはうんざりしたようなため息を吐いた。


「知ってるよ。アタシが気にしてんのは、どうして戦争するような事態になってんだってことの方だっての。んで、こんな紙切れ渡されたアタシはどうすりゃいいんだ」


「簡単な話です。ヴァルトロの宣戦布告を承認するなら国主の印を押すだけ、承認しないのであればその文書を破棄します」


 イスラはじとっとした目で、彼女とは正反対に背筋を伸ばして直立しているアディールを見上げる。


「……破棄したらどうなる?」


「ナスカ=エラがヴァルトロの言い分を認めない、ということになります。母上がご存命の時はそれで十分な抑止力になったものですが、残念ながら今や我らよりヴァルトロ帝国の方が国力は上。もしヴァルトロがルーフェイよりも先に我々に矛先を向けることになったら」


 アディールの言葉の途中でイスラはソファから起き上がると、部屋の奥の祭壇に置かれていた金細工の印章を持ってきて、乱雑にその書面に捺印した。


「あーやだやだ、あのヴァルトロのマティスってオヤジは短気でおっかないから嫌なんだよ、もう」


 アディールは片膝をついて恭しくそれを受け取ると、「……賢明なご判断かと」と小さな声で言った。イスラは不機嫌そうに鼻を鳴らし、再びソファの上に寝転がってしまった。





 イスラとの面会を終えると、アディールは脇に何やら石版のようなものを抱え、ナスカ=エラの中心街から繋がる郊外へ向かう地下道を歩いていた。そこにはナスカ=エラを囲む三大峰のうちの一つ、"未練の山"ヒスティがそびえている。地下道は山に囲まれるようにして建つねずみ色の飾り気のない建物・牢獄塔バスティリヤにつながっていた。彼がバスティリヤの入口まで来ると、厳重に閉ざされた鉄格子にガシャリと鎖がぶつかる金属音が鳴った。


「どういうことです、兄さま! ヴァルトロの宣戦布告を承認してしまうなんて……! 僕はちゃんと申し上げたはずです。ヴァルトロとルーフェイの間で戦争が起こることが、『終焉の時代ラグナロク』の促進に繋がってしまうと」


——ガン!


 アディールが革靴で鉄格子を蹴る。鉄格子の側に寄ってきていた白髪の少年はその音にびくりと肩を震わせ、口をつぐんですごすごと一歩下がる。再びジャラリと鎖が擦れる音。その細い手首には少年の身体には不似合いなほど堅牢な手錠がつけられていた。


 アディールは鉄格子を握り、少年を見下す姿勢になると、声を潜めて言った。


「調子に乗るなよ、餓鬼が。お前は所詮この世から消された身。私の政治に口を出す権利など無い。そんなことをしている暇があるのなら、少しでもその能力を使って世に貢献したまえ」


 同じ血が通っている人間に対するものとは思えないほどの冷たい視線に、少年の表情はすっかり暗くかげる。


「……申し訳ございません、兄さま」


「分かれば良い。お前は黙って私に従っていればいいのだ。そうすればいずれここから出してやる」


 アディールはそう言うと、鉄格子の隙間から何かをどさっと投げ入れた。普通の書店には到底置いていないような分厚く古い書物だ。少年はそれに対し、まるで久しぶりの食糧にありつくかの勢いで飛びついた。


「ミハエル、仕事だ。今回もちゃんとこなせばまた続きを持ってきてやる」


 ミハエルと呼ばれた少年は先ほどまでの暗い表情が嘘かのように目を輝かせると、アディールが差し出した石版に手をあてる。彼が触れると、石版の中央にはめられた石がぼんやりとウグイス色に光った。








——一方、アルフ大陸のルーフェイ中央都では。


「エルメ様」


 湿気の多い樹海に囲まれた都市に夜鳥の鳴き声が響く頃、絹のヴェールが何枚も天井から吊り下げられいくつもの蝋燭が揺らめく薄暗い部屋の戸を軽くノックする者がいた。


「なんじゃ、ハリブルか。お入り」


 ルーフェイの女王・エルメは寝着のまま扉の向こうにいる仮面舞踏会ヴェル・ムスケの一人に返事をする。音もなく扉がうっすら開くと、仮面をした女が部屋の中に入ってきた。


「たった今、ヴァルトロが我が国への宣戦布告文書をナスカ=エラに提出したと報告が入ってきましたっ」


 するとエルメはくっくと含み笑いをすると、部屋の中に置いてある葡萄酒の瓶を取り、くいっとあおった。赤い雫が、彼女の唇を妖艶に潤す。


あの男マティスのことじゃ、ライアンがわらわたちの手中にあることが気に食わんのであろう。自分の息子は誰にも恥じることのない屈強な戦士に育て上げる……それが奴の理想だったからのう」


 エルメは窓の外を眺めながらそう言うと、また酒に口をつける。


「……して、宣戦布告はいかがいたします?」


 ハリブルが尋ねると、エルメはふっと笑って口角を吊り上げた。


「無論受けて立とうではないか。破壊神の力で返り討ちにしてくれようぞ」






——しらせは、今やヴァルトロのお膝元でもある旧ガルダストリア連合国の首都にも届いていた。機械工学で発展した街並みの中の、とある小さな民家。そこには頭から血を流して倒れているヴァルトロの軍服を着た男と、きらびやかなドレスに身を包んだ銀髪の女がいた。


「ターニャ!」


 なにやら慌てた様子で裏口から入ってきたアシンメトリーの青年・ウーズレイに、銀髪女シルヴィアは目を細めてたしなめる。


「声が大きい、あとその名前で呼ばない、それに……君が言いたいことはもう聞いた」


 そう言って銀髪女は、部屋の中に置かれている小型のスピーカー付きの機械を指した。ここの家主はヴァルトロ軍の将校であった。軍の情報が時折入ってくるのだ。


「もうご存知でしたか。しかしどうします? 戦争となってしまっては、両国のトップの警備はより一層ガードが厳しくなりますが」


「しっ。誰か来る」


 銀髪女は部屋の中の物陰に伏せ、外の様子を感じ取るために耳を澄ました。足音と話し声。複数人いる。おそらく彼女が殺した男の仲間だろう。


「ち、早いな……こっちの行動が漏れてるのかな」


 銀髪女はそう呟くと、屋根裏につながる天井の板を外し、ウーズレイとともにそこへ潜り込む。二人が屋根裏に登りきった直後、追っ手が室内に入ってきた。


「間一髪だったか。とにかく、今あたしたちはどう考えたって人手不足だ。世界中の奴らが戦力を蓄えている中、目的を達成するにはどうしても心許ない」


 屋根裏を這いつくばりながら、銀髪女は懐から一枚の紙を取り出した。ウーズレイはそれを受け取り、思わず変な声をあげそうになった。その紙は銀髪女が自らの罪を認め出頭するという内容の誓約書だったのだ。何度読んでも意味がわからず目をこするウーズレイに、銀髪女は平然とした様子で、いつも通りにっこりと笑って言った。




「だからあたしは決めた。ナスカ=エラに乗り込むよ」




***



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