mission5-12 針路は一つ



 ルカは窓の外が明るくなってきたのを感じて、ベッドから起き上がる。本当は昨夜目が覚めた時にノワールやクレイジー、アイラとも話をしたかったのだが、もう皆寝てしまったというのをユナから聞いて朝までもう一寝入りすることにしたのだ。


 久しぶりに立ち上がってみると、五日寝込んだせいか、節々が軋む上に全身に気だるさがのしかかって重い。まずは訓練場で身体を慣らさなければ——そんなことを思いながら部屋の中に取り付けられている洗面所で顔を洗い、前開きの寝着を脱いで、壁に掛けられていた服を手に取る。軽い繊維素材が気に入っている白いシャツには汚れ一つなかった。誰かが洗っておいてくれたのかもしれない。


 濃紫の膝丈までの下衣を穿き、上半身はぴったりとした黒の内着の上にシャツを着て、革のベストを羽織る。腰はベルト代わりに腰巻で留め、その上から革のウエストポーチを巻く。指先の空いた革のグローブをはめ、動きやすいサンダルブーツを履き、最後に朱のバンダナを額に巻いて上からベージュの組紐で留める。これがルカの普段着だった。


(よし、と)


 いつも活動している格好になると、自然と気が引き締まる。身支度を終え部屋の扉を開けると、訓練場の方から声が聞こえてきた。


「蹴りが軽ーいっ! そんなんじゃまた手数ばっかり増えて無駄に体力消費することになるわよ!」


「チッ! もう一度……!」


——バシッ!


 訓練場の上層のところまで行って吹き抜けから階下を覗く。リュウの蹴り上げをシアンが腕で受け止め、打ち払う瞬間だった。


「もっと一撃に集中して! あんたはとにかく燃費が悪すぎんのよ! 鬼人化も神石も使わない打撃の効率をもっと上げなさい。ほらもう一度!」


「うおおおおおおおお!」


——バシィッ!


「まだ甘い! 私があんたに教えたのは仲間を守るための術。敵を倒せればそれでいいなんて考え捨てなさい! 余力を残し、仲間の万が一の危機に備える——それが本当の強者の在り方よ!」


 シアンはリュウの拳を難なく手のひらで受け止めると、地面を蹴り上げリュウの鳩尾みぞおちに思い切り膝を叩き込んだ。リュウの身体は吹き飛ばされ、円形の訓練場の壁際でなんとか踏みとどまる。そして間髪入れずに再びシアンに向かっていった。よく見ると、訓練場の隅でサンド三号がぶるぶると震えながら二人の組手を見守っている。


「あいつ、朝からよくやるなぁ」


 ルカが苦笑いを浮かべながらリュウの特訓の様子を見ていると、背後から肩を叩かれた。振り返ると、すでに身支度を終えているユナが立っていた。


「ユナ、おはよ。昨日はありが……」


「起きてくるの遅いから、またしばらく目を覚まさないのかと思っちゃったよ」


 ユナはぷいとルカから目をそらしながら言った。頬が少しだけ膨らんでいる。


「ごめんごめん。おれ早起きできる方じゃなくってさ。でもちゃんと朝の作戦会議には間に合ったろ? 昨日ユナが言った話、ノワールにも伝えてみよう」


 ルカがユナの顔を覗き込むと、彼女は観念したようにふぅと息をついて頷いた。


 作戦会議は普段リーダー執務室で行われるが、大人数が関わる場合は一階の訓練場の隣にある食堂で行われる。ルカがユナと一階に降りようとした時、ノワールの叫ぶ声が島中に響いた。


「大っ変なことになった! 今本部にいる奴らは急いで食堂に集まってくれ!」


 その声には普段のノワールらしくない張り詰めた響きが混じっている。シアンとリュウは訓練を中断して食堂の方へ向かい、部屋にいた他のメンバーたちもぞろぞろと出てきた。


「おれたちも行こうか」


「うん。何かあったのかな?」






 食堂には二十人くらいのメンバーが集まっていた。先に起きていたのかアイラはすでに着席している。クレイジーは上階のテラスには出ているが下りてくる気配はない。彼は集団の中にいるのが嫌いなのだ。


 非常事態の気配に空間内はざわめいていたが、前方にあたる調理場の方にノワールが立つと徐々に静まっていった。


「みんな集まってるな。これを見てくれ」


 ノワールが掲げたのは一枚の紙。ところどころ印字がかすれているのを見ると、何かの写しのようだった。


「昨晩サンド一号がガルダストリア製通信機から傍受した文書だ。発信地はナスカ=エラ。内容は……ヴァルトロによるルーフェイへの宣戦布告だ」


 再び食堂内がざわつく。しかしルカを始めとするジーゼルロックにいた面々は皆、神妙な面持ちで押し黙っていた。破壊神を滅さんとするヴァルトロと、それを保護するルーフェイ。明確な対立があの場にはあった。遅かれ早かれそうなるだろうという予感はしていたのである。


「この文書はわずか一時間のうちに捺印されてヴァルトロへ返送された。異例の早さだ。だが、文面を見れば納得できるかもしれない。ここにはルーフェイが破壊神を擁護していることが明言されている。つまり、ヴァルトロは世界中を巻き込んでルーフェイを潰そうとしているんだ」


「なんだって!?」


「どういうことだよそれ!」


 メンバーが口々に驚きの声を上げるのを、シアンが食堂の後方から鎮めようとする。皆の顔には不安が映っていた。ここにいる大半の人間は七年前の二国間大戦を経験している。そしてそのうちの多くが、先の大戦によって行き場を無くした人々。アイラもまたその一人であった。彼女はただ静かにタバコをふかしているように見えたが、灰皿に積みあがる吸い殻はどう考えてもいつもより多い。


「ヴァルトロはルーフェイに対して宣戦布告を取り下げる条件を出しているがどれも無理難題ばかりだ。ルーフェイが呑むはずがない。このままいけば一ヶ月後に戦争が起きる。そうなる前に——」




「絶対止める。そのためにおれたちブラック・クロスがいるんだろ」




 ルカが立ち上がるのを見て、それまで真剣な表情だったノワールの顔がふっと綻ぶ。


「おはようルカ。……ああ、その通りだ」


 ノワールはリーダー執務室から持ってきていた巨大な世界地図を食堂のテーブルの上でバッと広げると、全員に周囲に集まるよう呼びかける。


「いいか、今から手分けして各国の状況を探る。それで可能な限り戦争の準備を妨害してくれ。各員地の利のある場所がいいだろう。希望はあるか?」


 一番最初に手を挙げたのは、ノワールと最も付き合いの長いシアンだった。


「私とリュウでガルダストリアの方を回るわ。ちょうどこのバカを鍛えなおさなきゃと思ってたし、良い機会ね」


 そう言って指をパキパキと鳴らす。その音に気圧されたせいで周囲からメンバーの数が減っていることに彼女自身は気づいていない。


「よし、シアンがそっちへ行くんなら北方は安心だな。ルーフェイの方は——」


 ノワールが上層を見上げると、テラスの柵にもたれかかるようにして食堂の様子を眺めていたクレイジーはやれやれと溜息を吐いた。


「どうせボクなんでしょ? 分かってたサ」


「頼りにしてるよ、クレイジー。あと、グレンも連れて行ってやってくれ。グレンもルーフェイの出身だし、今回の宣戦布告には色々思うところもあるだろう」


 食堂の後方にいたグレンは指名されると黙って頷いた。クレイジーはまた一つため息を吐いたが、その口元はどこか楽しげである。


「ま、こういう任務って本当は一人の方が楽なんだけどねェ。祖国での嫌われ者同士、仲良く里帰りと行こうじゃないの。よろしく、グレン」


「よ、よろしくお願いします」


 グレンはいささか緊張しているようだった。無理もない。クレイジーは彼にとって許しがたい仮面舞踏会ヴェル・ムスケの元一員なのだから。しかし彼がどれだけノワールに頼りにされているかもここ一週間で目の当たりにしてきた。期待と不安が胸のうちに入り混じり、妙に落ち着かない。そんな想いが彼の顔を強張らせている。


「んで、あとはアイラたちだが——」


「おれたちはナスカ=エラに行くよ」


「ちょ、ちょっと、ルカ!」


 ノワールの言葉の途中で割って入るルカを、ユナは慌てて止めに入る。確かに昨晩まではナスカ=エラに行きたいと思っていた。だがそれは宣戦布告の事態を知らなかったからだ。今は状況が違う。リーダーのノワールの判断を優先するべき……そう思っていたが、ユナの意に反してノワールはギザギザの歯を見せ、ニッと笑った。


「ああ、それがいいと思っていた」


「……へ?」


「こういう非常事態だからこそ、謎はちゃんと解き明かしておきたい。時の島やクロノスの力のこと……それに、もう一つ」


 ノワールはメンバーの一人にリーダー執務室から分厚い巻物を持ってこさせた。ヤオ村を出るときにリュウが持っていたものだ。


「実はルカが眠っている間にジーゼルロック封神殿の広場、創世神話の十三章・原典を書き写しておいたんだ。グレンのおかげである程度は解読できたが、どうしても分からない部分があってな」


 ノワールは巻物を広げると、文字が潰れている箇所を指した。ユナはハッとする。薄暗い封神殿の中ではただの汚れかと思っていたが、よくよく見ればそれはコーラントの入り江の洞窟にあった石板の文字と同じような形をしていた。


「ところどころ古代ミトス文字で書かれているようだ。もしかしたらこれが『終焉の時代ラグナロク』を終わらせるヒントになるかもと思ってな。ナスカ=エラで古代ミトス文字を読める学者を探してきてくれ」


「わかった。任せろ!」


 ルカはそう言ってノワールから巻物を受け取る。


「ルカとユナ、それに私……ナスカ=エラへはこの三人でいいかしら?」


 それまでずっと黙っていたアイラが出発準備を整えようと席を立つ。そのすぐ背後に大男の気配を感じてアイラはハッと振り返った。無精髭を生やし、にっこりと微笑むその男は伝説の鍛冶屋・ガザ=スペリウス。グレンの神器の調整のために本部に呼ばれて来ていたのだ。


「ナスカ=エラに行くんなら俺が案内してやるよ。留学してたこともあるしな」


「あなた、キッシュは大丈夫なの?」


「ああ、少しの間なら留守にしても心配ない。むしろ最近はジョルジュがファブロに似てきて、しっかりしているというか……うるさいくらいだ。インジビブル・ハンドに行く暇があるんなら働けってな。大人の男にもたまには気晴らしが必要だってのに、なぁ?」


 ガザは肩をすくめておどけてみせる。アイラは呆れたように長い息を吐いたが、その表情は少しだけ晴れやかに見えた。






 メンバーそれぞれの持ち場が決まり、ミッションシートが発行され次第出発することになった。シアンは皆が帰ってきた時のために気合を入れて海鮮料理を作っていてそれを食べさせたがったが、ルカたちはきっぱりと断った。ユナが「せっかくだからいただけばいいのに」と言うと、ルカは無言で腰のポーチから色の淀んだシナジードリンクを取り出す。ユナはそれを見て返す言葉を失った。


 ミッションシートを発行しているサンド一号——サンド二号よりもひと回り巨大なクマ型の緑色のぬいぐるみで、サンド二号よりもツギハギの度合いが激しい——の前に並んでいると、先に発行を終えたクレイジーとグレンが横を通った。


「クレイジー。封神殿で……ありがとな。あんたが助けてくれなかったら、おれは」


 言い途中で、ルカの唇の上にクレイジーの長い人差し指が当てられる。


「礼を言われるのは好きじゃない、何度もそう言ったはずだけど?」


 クレイジーは笑みを浮かべているが、声音は恐ろしく冷たい。ルカは苦笑いして後ずさる。


「はは、そうだった……あのさ」


「ん」


「”イージス”って、何なんだ?」


 ルカがそうたずねると、仮面の男はプッと吹き出し、長身を折り曲げるようにして腹を抱えて笑いだした。「そんなに笑うことでもないだろ」とルカはむくれる。クレイジーが笑っているうちに前の組のミッションシートの発行が終わったようだ。ルカたちが前に進もうとすると、クレイジーはすれ違いざまに言った。


「”イージス”は”守りの盾”、そういう意味サ。……ま、君にも、今のボクにも、あんまり相応しくない名前だよねェ」


「”守りの盾”……?」


 ルカがそれ以上質問するのを拒むかのように、クレイジーは手をひらひらと振りながらグレンと共に本部の入り口の方へと歩いて行ってしまった。


(なんだそりゃ……あんたが名付け親のくせに)


 ルカがモヤモヤとしたものを胸に抱えながらその姿を見送っている間に順番はすでに来ていたらしい。アイラに肩を叩かれハッとする。


「ルカ、ミッションシート受け取っといたわよ」


 アイラもユナもガザも、三人とも準備は万端のようだ。アイラからミッションシートを渡され、それをポーチにしまうと、ルカは食堂の中心に立っているノワールに向かって声を張り上げた。


「んじゃ、行ってくるよ!」


 食堂中に声が響いて、まだ室内に残っているメンバーたちが笑う。ノワールはルカたちの方を振り返ると、ギザギザの白い歯を見せる。そして、その手を大きく振って。


「おう、行ってらっしゃい!」






*mission5 Complete!!*

五章完結、ここまでご愛読ありがとうございます。

六章構想のため、二回分更新をお休みします。

次の更新は1/21(土)です。お楽しみに!



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