mission5-10 目覚めと喪失感



 一通り話し終えた頃、ノワールが戻ってきていることを耳にしたシアンが苛立ちを足音にのせながらルカの部屋に入ってきた。


 ユナが彼女と顔を合わせるのは初めてのことである。シナジードリンクの話や、リュウの師匠であるという情報から、てっきりヴァルトロ四神将のフロワのような屈強な女性を想定していたのだが、それは見事に裏切られることになった。体格は一見普通の女性と同じくらい華奢で、しなやかな筋肉が必要なところに凝縮されているような身体つきであった。浅葱色で流れるようなストレートの切り揃えらた髪はうっすらと月光に照らされて、ユナの中でシアンは美人だという印象が定着しようとした時だった。


「ノワール! 全く、どーこでほっつき歩いているかと思ったら! ほら、さっさと来てください! 仕事はたんまり残ってますからね!」


「いいいい痛い! 痛いってシアン! 悪かったから髪は引っ張らないで! 髪は!」


 シアンは真夜中であるにも関わらず大きな声でまくし立てると、ノワールの束ねられた髪を引っ張って部屋を出て行ってしまった。嵐のような人だ、とユナは苦笑いしながらそう思った。


「……さて、ノワールは連れて行かれてしまったことだし、話の続きは私からするわね」


 アイラはそう言うと、時の島で倒れていた罪深い少年がルカ・イージスとなってからの話を続けた。


 ルカはしばらくクレイジーの下で彼の任務の補佐をしつつ、実戦を通じてその戦闘センスを磨いていったのだという。初めこそ走ることさえおぼつかない状態であったが、クレイジー曰く、彼は同じ年頃の男子に比べるとずば抜けた身体能力を持っていた。目を覚ましてから一年半が経つ頃には、生まれつき潜在能力の高い鬼人族のリュウとも互角に組手ができるほどになり、神器の扱いにも慣れてきたらしい。


 言語や世界情勢に関する知識についても一向に記憶が戻る気配がなかったので、任務の空いた時間に書物を読んだりして叩き込むことになった。その吸収速度は恐ろしく速く、このまま書を読むことを中心にした生活を続けていればいずれ学者にでもなれるのではないかと思うほどだったという。


「ルカが十分戦えるようになってからは、クレイジーは再び単独の任務に戻ることになって、代わりに私と組むことになったのよ。そして、コーラントでの任務であなたに出会った」


 それからのことはユナもよく知っている。初めて会った時は本当にキーノが帰ってきたのかと思った。だがコーラントを出て一緒に過ごせば過ごすほど、ユナの知っているキーノとルカはまるで別人のように感じられるようになった。年齢の差だけではない。話し方も、考え方も違う。


「えっと、今まで聞いた話を整理すると……キーノたちの航路が最後に途切れていたのは時の島がある場所で、三年前そこにはルカ以外の生存者がいなかったってことだよね」


 アイラが頷く。


「ノワールとアイラはルカを連れてここに戻ってきて、その後クレイジーと一緒に過ごした。クレイジー、今までルカの記憶が断片でも戻ったことはある?」


 クレイジーは首を横に振った。ルカはキッシュで一度フラッシュバックを起こしているが、その記憶は時の島で目を覚ました直後のものだった。つまり七年前にキーノが時の島の座標に到達してから、三年前にルカが目覚めるまでの四年間については空白の状態だ。


「残念ながら私たちが知っているのはここまでよ。少しはキーノにつながる手がかりになったかしら?」


「うん……まだちょっと、時の島のことが実感湧かないけど」


 ユナが自信無げに言うと、アイラは「そうでしょうね」と肯定した。彼女自身、あの島でのことを現実に起きたものだと受け入れがたい時がある。


「ルカの目が覚めたら、本人にも聞いてみなさい。私たちはそろそろ自室に戻るわ。私の部屋の隣が空室だったから、ユナはそこを使うといい。明日は今後の作戦会議をするでしょうし、あまり遅くならないようにね」


「ボクはもう少しここにいてもいいけど?」


「空気を読んで、クレイジー」


 アイラは低い声でたしなめると、クレイジーを連れて部屋を出て行った。残されたのはユナと眠っているルカだけだ。相変わらず気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。ユナはルカのベッドのそばの丸椅子に座りながら、ノワールたちから聞いた話を反芻していた。


(分からないのは……キーノが何のために時の島のある場所へ向かったのかということと、ルカがどうしてクロノスの共鳴者になったかってこと)


 ルカの枕元には黒の十字のネックレスが置かれている。普通、神石の共鳴者は石に宿っている神の声が聞こえるはずだが、ルカの場合は違う。他人の神石の声は聞こえるのに、クロノスの声は一度も聞いたことがないという。神石に宿る眷属とは話したことがあると言っていたが、それもやはり正統な共鳴者でないことが関係しているのだろうか。


(……あれ、ちょっと待って。キーノの話も、ルカの話も、確かの話が出てきたような……)


 もう一度コーラントで見たアウフェン親子の航路の図を頭の中で思い浮かべていたときだった。ふと寝息の音が止まった。ハッとしてルカの顔を見る。ルカは眉間にしわを寄せてううんと唸っていたかと思うと、急にがばっと起き上がった。


「ルカ!」


「あれ、ここは……おれの部屋? それに、ユナ?」


 ルカはきょろきょろと周囲を確認する。無理もない。彼が意識を失ったのはジーゼルロックを脱出しようとしていた最中のことである。


「おれ、どれくらい寝てたんだ?」


「えっと……五日くらい」


 ユナがそう言うと、ルカは深いため息を吐いて肩を落とした。


「そんなに寝てたのか……破壊神とハリブルはどうなった? それに、みんなは? あとヤオ村の人たちも」


「たぶんルカが力を使った後かな……ギリギリ危ないところでノワールとクレイジーが助けに来てくれたんだよ。ハリブルたちはクレイジーが追い払ってくれたって聞いた。みんなは無事だよ。ヤオ村の人たちも水源を浄化したことで人間の姿に戻ってきたの。グレンは私たちと一緒に本部に来てる」


「そうか、みんな無事で本当に良かった。ノワールとクレイジーには礼を言っとかないと」


 そう言ってルカはベッドから出ようとする。しかししばらく寝たきりだったのだ、すぐには動かない方がいい——ユナが止めようとしたとき、ルカの身体がふらっとバランスを崩す。ユナは慌ててその身体を受け止めた。めまいを起こしたのだろうか。ルカはユナに体重を預けながら額を押さえるようにして手をあてる。その顔は真っ青だ。


「いや、違う……いない……あいつがいない……!」


 ユナは呼吸を荒げるルカの背中をさすってやる。少しだけ汗ばんだ背中越しに、はやる心臓の鼓動を感じる。


「ああ、そうだ……! クソ、何で忘れてんだよ……! おれはあの時、破壊神の動きを止めるためにあいつの命を使ったんだ!」


「あいつって?」


「クロノスに宿ってる眷属……っていうか、幽霊みたいなものって言った方が近いか。ジーン・クロノ。三年前おれの目の前で倒れていた、クロノスの本来の共鳴者のことだよ」


「え、どういうこと……? 実はさっきちょうど時の島のことをノワールたちから聞いたんだ。でも確かその人って、もう」


「ああ、肉体は滅んでる。ただ、理屈はよく分からないけど、精神はここにあるんだ。この神石の中に……ジーンだけじゃなくて、時の島の人たち全員の精神が」


 ルカはそう言って荒々しく枕元のネックレスを手に取った。黒の十字にはめられた紫色の石がぼんやりと光り、ルカはぶるっと身震いをする。


「前までは分からなかった……でも今ジーンがいなくなってみてやっとわかった。ザワザワって小さな音が聞こえるんだ。何を言っているかは聞き取れない……けど、おれに向かって何かを伝えようとしてる」


 ルカは震える手で黒の十字を握りしめ、ぎゅっとまぶたを閉じる。ルカは彼らの声を聞こうとしているのだ。たとえそれが罪人つみびとに対する罵声であったとしても、きっと彼には聞かぬふりはできないのだろう。そんなことを思うとなんだか悲しくて、ユナはルカの背をさする手に力を込める。


「大丈夫、大丈夫だよ。ジーンという人は、ルカにちゃんと声を伝えられていたんでしょう。彼は最期に何と言っていた? きっとルカのこと認めてくれたから、力を貸してくれたんじゃないかなって、私にはそんな気がする」


「あいつは……時の島の人たちはみんなこうなる運命の下で生きてきた、みたいなことを言ってた。おれもそれを背負う運命だから今更怖気づくな、って言われた気がする」


「どういうこと? 運命って……クロノスが覚醒したら自分たちが死んでしまうことが分かってたってこと?」


「あいつの言葉の意味は分からない。でも実際やってみて感覚としてはわかったよ。彼らの精神体を犠牲にして能力を使う時はおれにも反動があるんだ。ジーンが消えたとき、変な映像がおれの頭の中に入ってきたんだ。誰かの記憶を無理やり移植されるような、そんな妙な感覚だった。今回意識が飛んだのはそのせいもあると思う。一瞬自分が誰だか分からなくなるような、そんな感じだったんだ。正直気味が悪くて、何度も使いたい力じゃない……けど、破壊神の動きを一瞬止めるだけでもジーンを失う必要があった。今後破壊神とまともにやりあうことになったらと思うと、おれはこの力を避けてちゃダメな気がする」


 ルカの右手がシーツを強く握りしめる。彼と全く同じ目線でものごとを考えるのはきっと難しいのだろう。しかし、前に進みたいと焦る気持ちを抱いているのはユナだって同じだ。


「ルカ、あのね」


 ユナはルカの気をなだめるように、あるいは自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりとした口調で言った。


「私もそう思っていた。もっと強くなりたいし、『終焉の時代ラグナロク』に対して何ができるか、ちゃんと答えに近づきたい」


 力んだルカの右手を、ユナは両手でふわりと包み込む。


「実はね、ルカが眠っている間にコーラントに寄ってきて、キーノの足取りについて分かったことがあるの。キーノたちは七年前に時の島がある海域で消息を絶った。でも彼らがどうしてそこに向かったのかは分からない。だから、ちゃんと調べたいんだ。キーノとルカをつなぐ時の島のこと。それがきっとクロノスの力のヒントにもなると思う」


「キーノも時の島に……」


 ルカは複雑な表情を浮かべていた。しかし彼の手に触れるユナがいたって落ち着いた様子だったからか、冷静に彼女の言葉を噛み締めたようだ。しばらく黙ったのち、再び口を開く。


「確かに時の島のことは一度ちゃんと理解したいとは思ってた。けどそれ、どうやって調べるつもりなんだ?」


 ユナは先ほどアイラから借りておいた世界地図を取り出し、西南に位置する海に囲まれて独立した大陸を指した。そこは、ナスカ=エラ——世界中の知と創世神話の神秘が集結する永世中立国のある場所であった。


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