mission5-4 遺された軌跡
コーラント城大広間。長い机に純白のテーブルクロスが皺なく敷かれ、その上には見た目から華やかな料理がいくつも並べられた。
ノワールとアイラは初め遠慮するつもりだったようだが、日頃娘が世話になっている礼にと王に着席を促され断るわけにはいかなくなった。
コーラント王と向かい合う形で三人並んで座ることになり普段冷静なアイラもさすがに緊張しているのか、何度もコートのポケットに入っているタバコを取り出そうとしてはここが城であることに気づいてやめるというのを繰り返している。
一方のノワールはのん気なものだ。本来この城の出身であるユナよりも肩の力が抜けている風で、この場の雰囲気よりも次々と運ばれてくる料理の方に興味津々だ。
「ミントさん、この料理なんていうやつなんだい」
「海鳥のタップルジャム添えソテーですわ」
「へえ、肉にジャムなんて珍しい料理だな。炒められた香草の匂いと、ジャムの甘い匂いが混ざって変な感じだ。よし、早速いただき……」
「ノワール。こういう料理はナイフで細かく切って食べるの。あと……フォークの持ち方」
アイラに指摘され、ノワールの動きがピタリと止まる。彼はフォークの柄を握りしめる形で持っており、それを肉の真ん中に突き刺してそのまま口に運ぼうとしていたのだ。ノワールは一瞬きょとんとしていたが、アイラ、ユナ、そしてコーラント王の様子を見てようやく合点がいったらしい。
「ああー、悪い悪い、こういうかしこまった料理慣れてなくてよ!」
ノワールの大きな笑い声が大広間中に響く。アイラは頭を抱えてため息を吐いた。ユナは恐る恐る父親の表情を伺う。向かいに座るコーラント王はただ苦笑いを浮かべている。
「ノワールと言ったかな? 悪いが君たちのことは調べさせてもらったよ。ブラック・クロス……ずいぶん色んなところで無茶をやっているようだな」
「え、わざわざ調べてくれたのか? 無茶だなんて照れるなぁ。俺たちは自分たちができることをやってるだけさ、ハハ」
なぜか上機嫌になっているノワールに、褒められているわけじゃないよとユナは心の中で突っ込む。
「元は『賊』じゃなかったんだろう。七年前の二国間大戦の当時は少人数の慈善団体だったと」
そんな話は初耳だった。ノワールの方を見ると、彼は平然とした様子で食事を口に運びながら答える。
「ああ、そんな風に思われていたこともあったっけ。少し前にヴァルトロに喧嘩を売って以来指名手配されちまってね。ま、周りからどう思われてようと俺たち自身がやってることはそう変わらない。権力とか立場にとらわれずに理想を遂げたい——昔も今もそういう奴らの集まりだね、ブラック・クロスは」
さらりと言ってのけるノワールに、コーラント王がふっと笑みをこぼす。ユナは驚いていた。真面目で厳格な父がそんな風に笑うのは滅多に見たことがなかったのだ。以前見た時はいつだったか……思い返してみて分かった。王に対しても物怖じせずに夢や理想を語るノワールのその姿は、王の唯一の友であったキーノの父によく似ていた。
「それで、あの青年はどうした? 確か、ルカ・イージスといったな」
「あいつはこないだのミッションで力を使いすぎちまって、今は療養中なんだよ。コーラントのことは気に入っていたみたいだから連れてきてやりたかったが」
「そうか、ここには来ていないのだな……」
「ルカには何かご用で?」
「いや、一言詫びをしたかったのだよ。あの時は何の罪もない君たちを疑ってしまってすまなかったとね」
「ああ、お気になさんな! 俺たちはそういう疑いをかけられるのはいつものことだし、密入国したのは事実だし」
「ちょっとノワール!」
アイラが灰色の三白眼を吊り上げてノワールを睨む。ノワールはハッとして口を覆ったが、当の王はあまり気にしていないようだった。
「はっはっは、もう過ぎたことだ、構いはせぬ。それよりこうしてユナが一緒に旅している方の顔を見れて良かった。世間知らずな娘だろうが、よろしく頼むよ」
「お父さん……」
自分で言っていて照れ臭くなったのか、コーラント王は口をつぐんで食事に手を出した。本当はもう一度顔を合わせたらコーラントに戻ってこいと言われるんじゃないかと思っていた。そう言われた時にどう切り抜けて旅を続けるか、カゴシャチに乗っている時にいくつかセリフを考えていたのだが、どうやら必要なかったようだ。
ユナも料理が冷めないうちにと皿に手を伸ばすと、コーラント王が再び口を開いた。
「ところでユナよ、食事はちゃんとバランスよく摂っているか? お前はまだ成長期だ、偏った食事ばかりでは栄養が行き届かないぞ。旅の中ではなかなか難しいだろうが、気をつけるようにしなさい。ちなみにお前の母さんがそれくらいの年頃には」
「お父さん……」
隣でノワールとアイラが必死に笑いをこらえている。ユナは自分の胸元を眺めて、げんなりと肩を落とした。
食事が終わると、ユナたちはミントの案内で城の裏手に位置する魔法機器研究施設へ向かった。城のすぐ近くにあるとはいえ、ユナはこの建物の中に足を踏み入れたことがなかった。彼女がコーラントの魔法——その正体は、桜水晶に宿る歌の眷属たちを呼び出して発現する力であった——を使えなかったからというのもあるが、何よりここに勤める研究者たちは皆偏屈で変わり者ばかりだと父親に言い聞かされていたからだ。
「ここでは基本的には魔法機器に関する新技術の開発が行われていますが、王様は例外的にとある依頼をされたのです」
施設の内部は薄暗く、作りかけの魔法機器がバチバチと火花を散らしていたり、部屋の隅には失敗作と思われるガラクタが無造作に積まれていた。
「セージ、おりますか? ユナ様がいらっしゃいましたよ」
——ガサッ!
「うわぁ!?」
すぐそばにあったガラクタの山が急に動いて、ユナが悲鳴をあげる。ガラクタの中からはボサボサの頭に分厚いメガネをかけた作業服の若い男が出てきた。
「あー、あんたがユナ姫様ね。いつの間にこんな大きくなってたんだか。あ、俺がずっとここにこもりっぱなしだからかへっへっへ」
男は独り言のようにぶつぶつとまくし立て、自分で笑っている。悪気はなさそうだが、なんだか不気味だ。もう何日も風呂に入っていないのか、彼の身体からはつーんと酸っぱい臭いがしてくる。
「こら、セージ! ユナ様の御前ですよ、しっかりなさい!」
「へいへい、ミントさん。んで、この人らが来たってことはアレをお見せすりゃあいいんでしょう?」
セージと呼ばれた男は猫背でふらふらと研究施設の奥の方へと歩いて行った。ユナ達もそれを追う。
「ミントさん。王様の依頼ってのは一体なんだったんだい?」
ノワールが尋ねると、ミントは逡巡したのちユナの方をちらりと見て、口を開いた。
「ルカ・イージス……キーノに瓜二つの彼を見てから、私も王様も、ある可能性について考えずにはいられませんでした。七年前に連絡の途絶えたアウフェン親子は、本当はまだどこかで生きているんじゃないかと」
ユナは黙って聞いている。何よりその可能性を捨てきれていないのが自分自身だと分かっているからだ。
「それで、旅に出ているユナ様とは別の方法で私たちも手がかりを探ろうとしたのです。アウフェン親子の足取りについてはほとんど手がかりがありませんでしたが、唯一彼らが航海に使っていた魔法機器の残骸についてはずっと保管されていたのです」
ユナは話を聞きながら七年前に想いを馳せた。キーノたちから連絡が途絶え、数ヶ月した後のことだった。とある商船がコーラントからは遠く離れた海域で魔法機器の残骸を見つけ、コーラントまで届けてくれたのである。その船の乗組員曰く、残骸を発見した辺りでは数日前に
「んで、そのボロボロになった魔法機器をこの天才セージ様が
そう言うと、セージは研究施設の奥部のモニターのスイッチを入れた。大きな画面に世界地図が浮かび上がる。そんな技術がこの国にあったこと自体ユナは驚きを隠せなかった。アイラとノワールも息を飲んでいる。しかし、ユナとはまた違う理由のようだ。アイラは世界地図の上に引かれた赤い線を指差し、ノワールの方を見る。ノワールも無言で頷いた。
「セージと言ったわね。この線は何なの?」
アイラにじっと見つめられ、それまで誇らしげに胸を張っていたセージが一瞬言葉に詰まった。誤魔化すように咳払いをして、アイラから目を逸らしてから彼はようやく口を開く。
「よ、よくぞ聞いてくれた! これは推定航路だ。アウフェン親子が使っていた魔法機器には、わずかだが魔法が使われた痕跡が残っていた。その痕跡を追って、魔法の内容、使われたタイミング、そして当時の天候記録や想定される船の備蓄量と照合し導き出したのがこれさ。二人はおそらくこの線に沿って旅をしていたってわけだ」
地図の上の赤い線を目で追う。まずは北のヴェリール大陸の海岸線に沿って、東の旧エルロンド王国から、西のガルダストリアの方面へ。そして当時二国間大戦の戦場であったスヴェルト大陸には立ち寄らず、その先のヴィナ大陸——つまりナスカ=エラの土地で一度上陸しているようだ。そしてその後はヴィナ大陸をぐるっと回るようにして進み……海の半ばで、その線は途切れている。
「でもさぁミントさん、前にも言ったけど俺はこの結果にはあんまり納得してないんだ。この最後の線だけ変なんだよ。ナスカ=エラに行くまでは大都市を巡るみたいに進んでいるのに、その後は地図上には何にもないところに向かって進んでるだろ? こいつらが乗ってたのは小型の帆船だって言うけど、そんな船でこっちの方角へ進むなんて自殺行為っすよ。途中で備蓄が足りなくなる」
「確かに……」
ユナはキーノたちが乗っていた船の絵を頭に浮かべた。あまり色々荷を積めるような大きさではない。キーノに聞いた話だと、確か船一杯に積んでも最大一週間というところだったか。モニター上で最後に途切れている線の方角には、一週間かけても補充ができる港がある気配はない。
「ねぇノワールはどう思う?」
ユナが尋ねると、ノワールは急にハッと我に返った。何か考え込んでいたようだ。
「ま、まぁそうだな。セージ、その蓄音解析ってのはどれくらい精度の高いもんなんだ?」
「全く損傷のない最新型の魔法機器でやって一致率七十%の技術だ。いくら俺が天才とはいえ、損傷しまくった七年以上前の旧式魔法機器じゃ限界もある。それでも前半の航路はコーラントに送られていた手紙の記録とも一致するからそこそこ自信はあるが、ナスカ=エラ以降の航路に関しては全く保証はできねぇよ」
「つまり、肝心の彼らの行方についてはわからないということなのです……ユナ様、あまりお力になれず申し訳ありません」
しょんぼりと肩を落とすミントに、ユナはぶんぶんと首を横に振った。
「そんなことないよ! ここまで分かるのってすごいし……何か他に手がかりがあれば、後半の航路についてもわかるかもしれないし!」
強がりというわけではなかった。キーノたちの足取りについて何もわからないと思っていたのに、ここまで明らかになったのである。前に進んだわけじゃないかもしれない。だがユナは嬉しかった。キーノを探すためにミントも、セージも、そして王も協力しようとしてくれていること……それに、この赤い線が、彼らの生きていた証を示しているようで。
日が暮れる頃、サンド二号に連絡が入った。いつまでもノワールが帰らないので、シアンが相当怒っているらしい。ノワールがカゴシャチを迎えに呼び、その日の夜のうちにコーラントを発つことになった。ノワールにもう少しコーラントに留まるか聞かれたが、ユナの答えはノーだった。久しぶりの帰郷の余韻に浸りたいという気持ちがないわけではない。だがそれ以上に彼女は今、一刻も早く顔を見たい相手がいる。
夜、静かな港からユナ達は再びカゴシャチに乗ってコーラントを出発した。見送りはミントだけだ。コーラント王には出発のことを伝えていたが、来る気はないようだった。少し寂しい気もしたが、代わりにミントから書置きを渡され、ユナは父親の思いを理解した。そこには「また帰ってきなさい。再び会えることを信じているから、見送りはしない。お前の旅の健やかなることを祈っている」とだけ書かれていたのだ。ユナはそっとその書置きを胸に抱き、頬をほころばせる。
それは港で大きく手を振るミントが見えなくなった頃だった。研究施設からずっと言葉数の少なかったノワールがようやく口を開いた。
「ミントさんやコーラント王の前じゃちょっと言いにくかったんだが……」
よく見るとアイラまで神妙な顔をしている。
「何か、あったの?」
ユナが尋ねると、ノワールは視線を落として言った。
「あの場所は……俺たちが三年前にルカを見つけた場所とちょうど一致するんだ」
その声は、普段よりも低く、重々しく、波音に溶け込むかのように響いた。
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