mission5-2 コーラント再び



 場合によっては時速百キロを超えて泳ぐというカゴシャチのおかげで、コーラント港に着くまでさほど日数はかからなかった。特にやることがなかったので、実際にかかった日数以上に眠ってしまった気がするが、だいたい二、三日というところだろうか。


 岸が見えてきて、ユナは息を飲んだ。キッシュに比べて随分こじんまりとした港、アルフ大陸よりもやや北西に位置する温暖な気候のために茂る葉や咲く花々の色は明るく、聞き慣れた鳥の甲高いさえずりが聞こえて来る。十七年過ごした故郷に戻ってきたのだ。


 急に胸の内がほっとほぐれていくような気がした。決して、この地に良い思い出ばかりが眠っているわけではない。母やキーノとの別れ、国民に認められないことを耐え忍ぶ日々……忘れたくても忘れられない出来事もたくさんあったというのに、コーラントの地を目にした瞬間なぜだか心が落ち着いていく。それが故郷というものなのだと、ユナは初めて知るのであった。




 カゴシャチが船着場に着くと、ゲートの方から入国審査官が駆けてきた。


「ユナ様! よくぞご無事で戻られました。王様よりお話は聞いております。ささ、どうぞお通り下さい」


 こんな風に出迎えられるなど想像していなかったユナは少し面喰らう。


「俺たちは正式な通行証を持ってるわけじゃない。ここで待ってるよ」


 ノワールがそう言うと、審査官はぶんぶんと首を横に振った。


「滅相もございません! 王様より、ユナ様のご友人は皆お通しせよとの命でございます。通行証はこちらで発行しますので、どうぞお気兼ねなく」


「あらそう? じゃ、お言葉に甘えて」


 アイラがカゴから降りようとすると、審査官は急に目の色を変えた。


「!? あ、あなたは……!」


 アイラが何のことかと首を傾げている間に、審査官はあたふたとしたのち、急に膝をついてしゃがみ、その手をアイラに向かって差し出した。


「実は以前こちらでお会いした時からあなたのことが忘れられず……ここで再び会えたのも何かのご縁。よ、よろしければ一緒に食事でも……」


 覗き込んでみると、審査官の厳格な顔つきはのぼせたかのように真っ赤になっていた。


(うわぁ……すごいなぁ。こんな人に食事に誘われるなんて)


 ユナは次にアイラの方を見やったが、彼女はいたって平常通りだった。ふっと笑うと、差し出された手を取り、彼の胸元に返す。


「ごめんなさいね。あいにく私は根無し草の賊女ぞくおんな。あなたのように公正な立場を貫くべき人が関わってはいけないわ。きっと一時の気の迷い。夢と思って忘れなさいな」


「そんな……でも……!」


 抗議しようとした審査官の唇に、アイラがすっと人差し指を当てる。そして彼女は何も言わずただ微笑みかけた。男はハッとして口をつぐむと、大人しく退き下がり、城下町へ続く道を開ける。ノワールが歩き始めたのにつられてユナもその後を追う。少し離れてから審査官の方を振り返ってみた。その表情はどこか餌をお預けにされた動物のように寂しげではあるが、まだ赤さを保っていた。


「相変わらず上手いねぇ、


 審査官には聞こえない距離を取ってから、ノワールがからかうように言った。アイラは小さなため息を吐くと、肩をすくめる。


「別に。人前で踊る人間なら誰しも身につける処世術よ」


 もし自分がああ言い寄られたら何と返しただろう。きっと頭の中がいっぱいになって、顔に血が昇って、黙りこくってしまうかもしれない。アイラはやっぱり大人だ。ブラック・クロスの二人の後ろを歩きながら、ユナは改めてそう思うのであった。




 コーラントの城下町は、見た目こそ以前と変わらずのどかな街並みだったが、心なしかユナが国を出る前よりも賑やかになっている気がした。


「ユナ様! お久しぶりでございます。今年もコーランタップルは良い熟れ具合ですよ。お帰りなさった記念だ、どうぞ召し上がってくださいな」


 果物屋の主人がユナに気づき、屋台から大きな果物を抱えてやってきた。コーランタップル。コーラントの島の名産で、赤く熟すと甘くジューシーな蜜が口の中で広がる果物だ。


「ささ、お連れさんも」


 店主に勧められ、ノワールとアイラも果物を受け取る。ノワールが礼を言ってその皮を剥こうとすると、主人は急に笑い出した。


「はっはっは、やっぱり初めて食べる人は皮を剥いちまうんだねぇ」


「剥いちゃダメなのか?」


「ああ。コーランタップルは皮ごと食うのが一番美味いんだよ。最近少しずつ輸出を始めて見たんだが、なかなかこれを説明するのに苦労してねぇ。以前ここにやってきた……ほら、あんたたちの連れだろ? 金髪の青年さ。彼くらいだよ、外国の人なのに何も聞かずに皮ごとまるっと食っちまったのは」


 ルカのことだろう。島の果物に目をつけて、いきなり皮ごと食べてしまうなんて、いかにも彼らしい。同じことを思ったのか、ノワールとアイラが顔を見合わせて笑っている。


「輸出、始めたんですね」


「ええ、街の商人らの一部はユナ様の演説を聞いて以来、貿易に手を出すようになりましてな。まぁ、まずはここから割と近いキッシュとの取引で精一杯ですわ。んでも向こうの商人たちもなかなか気が良くて、コーラントの特産品はそれなりの値で買い取ってくれます。そこそこ儲かってますよ」


 そう言って店主は人差し指と親指で輪っかを作ってにやりと笑う。しかし市場を見渡してみると、全ての商店の羽振りがいいわけでもなさそうだ。市場の奥で衣料品店の店番をする店主と目があったが、ぷいと逸らされてしまった。果物屋の店主はそれを見て小さなため息をつく。


「……お察しの通り、上手くいってる奴らばかりじゃありません。依然交易には反対してる奴もいて、そいつらの考えはなかなか変わらんようです。輸出事業に手を出したやつらと差が出始めたのを不平に思ってるのもいるみたいで」


 店主はやれやれとため息を吐いたが、そこまで悲観している様子もない。まだコーラントは変わり始めたばかりだ。良くも悪くも人々は浮き足立ちつつ、前に進もうとしている。そう思うと、自分がやったことにちゃんと意味があったのだと励まされる気がした。


「すぐには上手くいくものではないですよね。私からお父さんに状況について話しておきます」


 ユナがそう言うと、店主は「おお、それはありがたいことです……!」とぱっと顔を輝かせた。




 城下町の中心部、宿の前あたりまで歩いてきたところでユナの名前を呼ぶ声が聞こえた。城の方角から走ってくる者がいる。ミントだ。


「ユナ様! よくぞご無事で戻られました……! ああ、お元気そうで何より……うう」


 ミントは途中で言葉を詰まらせて瞳に涙をにじませた。「もう、大げさだよ」と返しつつも、ユナ自身久しぶりに乳母に会えたことが思いのほか感慨深かったのか、少しだけ声が震える。


「実は、ユナ様がここまで早く戻られるとは思いもせず、王様はまだ公務の最中なのです。終わるまでまだ時間がありますから、どこかで休まれるか、島の中を散策なされると良いかもしれません」


 ユナはノワールとアイラの方を見る。二人ともユナの好きにして良いと言うように頷いた。


「それなら……コーラントに戻ったら寄りたい場所があったの。お父さんのお仕事が終わるまでそこにいるね」


「分かりました。頃合いを見てお迎えに上がりますわ。……して、どちらに?」


 ユナはふと右腕の腕輪に視線を落とす。九つの薄桃色の石は、ここに来て心なしかいつもより輝きを増している気がした。




「入り江の洞窟だよ。確かめたいことがあるんだ」




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