mission5-1 カゴシャチに乗って



 サンド二号の口から吐き出されたミッションシートを見るなり、ノワールの顔は一気に青ざめ、わなわなと震えだした。


「やばい……これはやばいな……本部に戻ったらシアンに怒られる……」


「どうしたんですか?」


 ユナが覗き込もうとすると、ノワールは「ああああ、いや、なんでもない、こっちの話だよ!」と言ってミッションシートをくしゃりと丸めてしまった。


 ユナたちはジーゼルロックの海岸から二頭のシャチに乗って海上に出ていた。天気は良好、ジーゼルロックから離れて沖に出る頃には風も止み、穏やかな潮風が鼻をくすぐる。


 ユナたちが乗っているシャチには簡易な船のような形のカゴが設えられていて、シャチが泳ぐために少し潜ってもカゴは浮く仕組みになっている。大人数は乗せられないので、一頭にはまだ目を覚まさないルカとクレイジー、リュウ。そしてもう一頭にはノワール、アイラ、ユナ、グレンが乗っている。


「カゴシャチ、だっけ? この子たちってもしかして、”海のギャング”とも言われてるゾクシャチじゃ……?」


 ユナが尋ねると、ノワールは豪快に笑った。


「そうそう、ご名答! よくわかったなぁ、ユナ」


「背びれが欠けてるから……昔、ゾクシャチは大人になる儀式で互いの背びれをかじるって本で読んだことがあって」


 ユナは恐る恐るカゴの下で悠々と泳ぐシャチの様子を見た。ゾクシャチという種族は非常に気性が荒く、以前キーノから旅先の手紙によると目の前でゾクシャチに襲われて沈められた船もあったのだという。しかしユナたちを乗せている二頭のシャチはずっとゆったりと泳いでいて、時折鼻歌のようにキューンと高い音で鳴いている。


「ゾクシャチは確かに攻撃的なイメージがあるけど、案外仲間思いな奴らなんだぜ。こいつらは立派なブラック・クロスの仲間だから、俺たちに危害を加えることはないよ」


「うん、すごく大人しいよね。でもゾクシャチが人に懐くなんて聞いたことがないからちょっと不思議」


「それはまぁ……俺がこいつらの家族みたいなもんだからかな」


「家族……?」


 ユナがぽかんとしていると、アイラが煙草をふかしながら言った。


「ノワールは子どものころにゾクシャチの群れに育てられたのよ。そのせいか、神石の力でシャチの姿にもなれるの」


「シャチの姿に……!?」


 ユナが驚いているのに気を良くしたのか、「見てみたほうが早いだろ」と言ってノワールは腰に付けられているチャームを手に取った。鎖の先には黒の十字とその中央に灰色の石がある。その石が光り、ノワールが海に飛び込んだ。すると飛び込んだ先から光が強く発せられ、水しぶきと共に新たなシャチが現れた。カゴシャチの二頭が何やら嬉しげに鳴いている。


「な? これが俺の神石ポセイドンの力さ」


 現れたばかりのシャチが大きな口を開けてユナに向かってそう言った。時や砂を操ったり、歌が特殊な力を持ったり、人の姿をシャチに変えたり……神石の力とは本当に様々らしい。


 再び灰色の光が発せられ、ザバンという音と共にノワールが海から上がってきた。その瞬間、ユナは「きゃっ」と慌てて顔を覆う。


「ノワール……すぐに服着なさいよ」


 アイラが低い声でそう言って初めてノワールは自分の格好に気づいた。


「あっはっは、悪い悪い。この能力の弱点は服が着れないことなんだよなぁ」


「シアンに専用の服でも作ってもらえば? きっと喜んでやるわよ」


「いや、裸で泳ぐのに慣れすぎて服があったら邪魔になるからいいよ」


 アイラは肩をすくめてため息を吐く。


「なぁ、今はブラック・クロスの本部に向かってるんだろ。本部って一体どの辺にあるんだ?」


 グレンはカゴの端に立って周囲を眺めていた。だいぶ沖に出てきたので、あまり近くに島や大陸は見えない。背後にアルフ大陸のポイニクス霊山が確認できるくらいだ。


「それは俺でも分からない」


「え……?」


 目を見開くグレン。そういえばルカも以前、本部の場所がわからないと言っていた。自分たちの本部なのに? ユナが疑問に思っていると、アイラが口を開いた。


「ブラック・クロスの本部は浮島なのよ。特定の場所にとどまっているわけじゃないから、ヴァルトロやルーフェイみたいな大国に居場所を掴まれなくて済む。本部の場所はメンバーも知らず、辿りつけるのは島の匂いを察知できるこの子達だけよ」


 アイラがカゴシャチの背を撫でてやると、キュウウンと甘えるような鳴き声が返ってきた。


「ま、そういうこった。てなわけでいつ到着するかも分からないから、飽きたら寝てていいぞ」


 そうは言われても、あまり船に乗ったことのないユナやグレンにとって、海の上の旅というのは新鮮だった。時折破壊の眷属も現れるので気が抜けないというのもあったが。


(キーノの旅も、こんな風だったのかな……)


 ユナは目を閉じて想いを馳せる。潮の香り、遠くで鳴く海鳥の声、波の音……そして、ガーッというサンド二号の口から紙が吐き出される音。


「あれ? さっきミッションシートは届いていたよね」


 するとノワールはサンド二号から吐き出されたばかりの紙をユナに差し出した。


「他のメンバーがコーラントに寄った時にユナ宛の手紙を預かったらしい。シアンが転送してくれたから読んでみな」


 ユナは紙を受け取る。それは見慣れた乳母の筆跡でこう書かれていた。



———————————————————


ユナ様


お元気でお過ごしでしょうか?

美味しいものは食べられていますでしょうか。

柔らかいベッドの上で寝られていますでしょうか。


コーラントはあれから外部との交流が少しずつ増えて、なんだか以前よりも賑やかになった気がします。

触媒もユナ様のおかげで一切の不調なく、皆元気に過ごしております。


さて、今回お手紙を出させていただいた経緯は……今までユナ様の旅の邪魔にならぬようにと控えておりましたが、どうしてもお伝えしたいことがあり義賊の方に頼んだのです。


アウフェン家の遺留品から、彼らの足取りについての手がかりが出てまいりました。


一度コーラントにお立ち寄りいただけますでしょうか?


ご同行なさる方々についても、日頃ユナ様がお世話になっている礼を尽くし歓迎させていただくと、王様よりのお達しでございます。


それでは、お会いできる日を心待ちにしております。


ミント


———————————————————



「なんて書いてあったの?」


 アイラに尋ねられ、ユナは彼女にも手紙を見せた。心臓がドクンドクンと音を立て、少しだけ手が震える。


「キーノたちの旅の手がかりが見つかったから、コーラントに寄ってほしいって」


「良かったじゃない!」


 アイラに肩を叩かれたが、ユナは浮かない表情をしていた。ルカのことや破壊神のこと……本部に戻って対処しなければいけない問題は山積みだ。そんな中、のんびり里帰りをしている余裕などあるのだろうか。


「大丈夫さ。今は焦っても仕方ない。逆にこれからヴァルトロやルーフェイがどう動くかで世界は大きく変わる。やりたいことは今のうちにやっておいたほうがいい」


「ノワール……」


 ノワールはギザギザの歯を見せて笑うと、隣を泳ぐもう一頭のカゴシャチに向かって大声をあげた。


「おーい、クレイジー!」


 するとクレイジーがカゴからぬっと仮面の顔を出す。


「俺たちは今からちょっとコーラントに寄ってくる。お前たちは先に本部に戻っててくれ!」


「はーい、わかったよ」


 クレイジーが了承の合図か、ひらひらと手を振る。ノワールはカゴの中に向き直る。


「グレン、お前はあっちの奴らと一緒に先に本部に向かうんだ」


「え、俺がコーラントに行くと何かまずいことでも……?」


「いや、そうじゃない。お前の神器、ちゃんと扱うには少し直す必要がありそうだからな」


 そう言ってノワールはカゴの隅に立てかけられているグレンの神器を指差した。ヤオ村の祠に保存されていた群青色の弓は古いものであるがゆえところどころ木材が傷んでおり、弦も少し緩んでいるのだ。


「お抱えの技師を本部に呼んでるから、見てもらうといい」


「それってもしかして……」


 ユナが尋ねると、ノワールはにっと笑う。


 二頭のカゴシャチを寄せ、グレンがもう一頭の方へと移る。眠ったままのルカは先に本部に戻して休ませるようだ。グレンが乗り込むと、もう一頭のカゴシャチは徐々に離れ、別方向へと泳ぎだしていった。


「よし、じゃあ俺たちはコーラントへ!」


 ノワールの声に反応するかのように、カゴシャチがキュイイと鳴く。方角はアルフ大陸をぐるっと外周し、孤島コーラントへ。久しぶりの帰郷になるが、皆どうしているだろうか。ユナはミントの手紙を丁寧に折りたたみ、懐にしまった。


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