mission4-36 ジーゼルロック脱出



「くそっ、どこまで追ってくる気だよ……!」


「振り返ってる暇は無いぞ! 全力で走れ!」


 ルカたちはそれまでの怪我や体力消耗のことは頭から吹き飛んだかのように必死で走った。すぐ後ろでは巨大化した破壊神によって封神殿のあちこちが破壊されている音がする。ハリブルが破壊神の影と一体化して操ろうとしているが、そう上手くいくものではないらしい。とはいえ時折その剣は逃げるルカたちの方にも向けられるので、全く油断はできなかった。


 ようやく見覚えのある空間に出る。呪術文字で創世神話の原典が書き連ねられた場所、各祭壇の分岐路ともなっていた上層の広場だ。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 階段を上りきったところで彼らの疲労はピークに達していた。一番きつそうにしているのはルカだ。神石の力もかなり使っているし、キリに操られたアイラによって撃たれた左足のこともある。ユナが心配そうに覗き込むと、「大丈夫だよ」と余裕の笑みを作ったが、その額のバンダナには脂汗が滲んでいた。


「そうだ、水の祭壇……!」


 グレンはヤオ村の水源のことを思い出す。その正体は穢れを浄化するための聖水ではなく、何かのエネルギーを増幅するための触媒だった。破壊神がここに封じられていたことで、その穢れをより増幅させてしまっていたのだ。


「結局浄化の方法は分からなかったわね。それに、破壊神をここから追い出さないことには、状況は変わらない」


 アイラは気分を落ち着けるためか、慣れた手つきでタバコに火をつけていた。白い煙が空間の中を漂う。破壊神は巨体な分ここに上がってくるまでには時間がありそうだ。


「……私に考えがあるの。グレンの力を借りる必要があるけど」


「どういうことだよユナ」


「カリオペの力が使えるんじゃないかって思うんだ」


「なるほどね……カリオペの歌は不浄なものを寄せ付けない守りの力がある。それで水の浄化をしようってわけね」


 アイラがそう言うと、ユナはうんと頷く。


「でも私の歌は耳を持っている相手にしか効かない……だからグレンの力が必要なの。サラスヴァティーの力なら、水にも影響できるでしょ? 二つの力を組み合わせられないかな、って……上手くいくかはわからないんだけど」


 ユナは自信なさげに肩をすぼめた。神石の力を組み合わせるなど聞いたこともないし、やったこともない。あくまで思いつきでしかなかった。しかも、破壊神が迫ってきていて一刻も猶予のないこの状況で。階下を見張っていたリュウが「そろそろ来るぞ!」と短く叫ぶ。グレンの表情が少し陰るのが見えた。やっぱり無理だ--そう思った時、ユナの肩をポンと叩く手があった。




「わかった。じゃあおれが時間稼ぎをする」




 ユナはバッと振り返る。しかしルカはもう階段へと戻り始めていた。


「ルカ!? 待って、それって……!」


「アイラ姐さんとリュウは、二人のサポートを頼む」


「冗談じゃないわ。あなたはどうするつもりなの」


 ルカは黙っている。すぐ近くでドォンという音が響いた。砂塵が広場の方まで舞い上がってくる。


「馬鹿野郎! なんでお前が……!」


「言ったろ、グレン。理由なんて無いんだ、って。おれにできることが目の前にあるならやるだけだ。だから……早く行け!!」


 その瞬間、砂塵の幕を破って破壊神とハリブルが広場に現れた。


「--行くぞ!」


 ユナの身体はリュウに抱えられて、


「嫌だよ、嫌だよルカぁぁぁぁ!!」


 その叫びは虚しく尾を引いて響くだけで、四人は水の祭壇の通路へと姿を消す。


「あっれー、仲間割れ? ルカ・イージス……イージスの名を持つ青年」


 ハリブルはにやりと口角を吊り上げる。ルカはネックレスを大鎌に変化させ、彼らに向かって構えた。大鎌の柄がうっすら紫色の光に包まれていく。


「何する気? 確かにその力--時の神・クロノスは『終焉の時代ラグナロク』を終わらせる鍵になると言われているよ? でもね……君がその力を使いこなせてないことも、あたしは知ってるんだよっ!」


 ハリブルの叫びとともに、破壊神がルカに向かって剣を振り上げる。




“奴の言う通りだ。この状況で時間軸転移タイム・シフトを使っても無駄だぞ。相手は破壊神……一瞬身動きを止めるだけでも必要な代償が桁違いだ。間に合わぬ”


(よう、ジーン。久しぶりじゃないか。ずっと話したかったのに全然出てきてくれないんだもんな)


 ルカがそう返すと、頭の中でため息のような音が響いた。


“そなたはいつも呑気だな。今すぐ逃げろ。でないと死ぬぞ”


(それはできないよ。おれが今逃げたらユナたちもヤオ村の人たちも助からない。それに……実はもう足が全然動かないんだ)


 階段を上りきった時に、ただでさえ怪我を負っていた足を変な風に捻ってしまったらしい。少し歩くだけでも激痛が走る状態だった。


“そうか……いよいよ死に場所を見つけられて満足か?”


 ジーンがそう言うと、ルカは鼻で笑った。


(そんなわけないだろ。すげぇ必死だよ。どうやったらこいつら足止めして、おれも生き延びられるかって。よくよく考えてみたらやりたいことがたくさんあるんだ。ナスカ=エラの大聖堂のステンドグラスはやっぱり見てみたいし、工業都市って言われるガルダストリアの機械技術だって見てみたい。ユナのキーノ探しにも付き合ってやりたいし、おれ自身の記憶の手がかりも……それに)


 ルカはきっと真正面で剣を構える破壊神を見上げる。


(ライアンってやつを殺さなくていい方法も、探してみたいんだ)


 しばらくジーンからの返事はなかった。頭の中で会話をしているから実際の時間はとても短かったはずだが、その沈黙はジーンが消えてしまったのではないかと不安になるくらい長かった。やがて、短いため息とともに彼の声が再び響く。




“そなたの覚悟はよく分かった。ならば--私を殺せ”


(はぁ!?)




 あまりの動揺と、破壊神の振り下ろす剣の軌道が見えて、ルカは時間軸転移のための力を練るのをやめてそれを避ける。剣は勢いよくルカがいた場所の地面をえぐり、大きな穴が空いた。


(お前を殺すってどういうことだよ!)


“案ずるな。肉体は三年前にとうに滅んでいるし、私は……いや、は元よりこうなる運命さだめの下に生きてきたのだ”


(我々って……お前の他に誰かいるのか……?)


“ずっと居る。そなたが目を覚ましたあの時から、島の人間は皆ここに居る”


(!? まさか……)


 目の前では破壊神が再び剣を振り上げていた。とっさに大鎌で受け止めるも、刃がぶつかった瞬間に刃こぼれするのが見えて慌てて退く。そうだ、マティスの大刀すらも打ち破ったこの剣はおそらく--ガザの最高にして最悪の傑作。


“さぁ、もたもたするな。今更怖気づいたところで仕方ない。時の力を扱うそなたもまた、その苦しみを背負う運命の下にあるのだ”


(……ジーン。おれはもっとお前と話したかったよ)


 頭の中でふっと笑う音が聞こえた。ルカは破壊神から距離をとると、大鎌をゆっくりと円を描くように回す。


「ああもう! さっきから逃げてばっかでじれったいなぁ! 破壊神様、さっさとやっちゃってください! めちゃくちゃのグチャグチャにっ!」


 巨大化した破壊神が、口と思われる場所をガバッと開いた。その奥には赤黒い光の玉が徐々に大きくなっていくのが見える。


「グアァァァォォォォオオオオオオオ!!」


 おぞましい叫び声とともに、放たれる光の波動。




「--さよならだ、ジーン。第二時限上段解放……”時喰亜者ア・バ・クロック”!」




 紫色の光と、赤黒い光がぶつかり合う--。


 ルカの脳内には、白い髪に紫色の瞳をした少年がのどかで自然豊かな島を歩いている姿が浮かんだ。その穏やかさはどこかコーラントに似ているが、白い石で造られた独特な造形の街並みはどこか厳かな雰囲気があって、人々も膝まである伝統衣装のような白いローブを着ていた。少年は同じような容姿をした両親に大事に育てられ、島に暮らす人々にも慕われている様子だった。


 彼は島の外に出たことがないらしい。病弱だから本当は家の中にいなければいけないのだが、しょっちゅう親の目を盗んでは外を出歩いていたようだ。そして日が沈む瞬間まで海をぼうっと眺めているのである。何を願ってなのか、彼は口には出さないがその気持ちはよく分かるような気がする。


 ある日彼は静かな浜辺である少年が倒れているのを見つける。その髪は金色で--……ルカの意識は、そこで途切れた。






 ユナがグレンの神石サラスヴァティーにカリオペの歌を聴かせ、グレンがサラスヴァティーの力を帯びた矢を水源の中に放つ。それだけで、何が変わるのかは分からなかった。だが、その空間の空気が少しだけ変わったのをユナは肌で感じた。


(大丈夫。きっと、大丈夫)


 胸に手を当て、祈る……その時だった。


--ドォォォォォォン……!


 地響きとともに激しい爆発音がして、気づいた時にはユナ達の身体は宙に浮いていた。辺りが急に明るくなり、ユナは目を瞑る。慣れてきて瞼を開くと、爆風で封神殿の外に飛ばされていたのだとわかった。


「砂でコントロールして海の方へ落とすわよ! このまま硬い岩礁に叩きつけられるのは嫌でしょう!?」


 アイラもまた空中にいたが、彼女は器用に両手の銃で仲間に向けて砂を放ち、彼らの落下の軌道を海の方へと逸らす。



--バシャァァァン!!



 四つの水しぶきが高く上がった。今が凪の期とはいえ、ジーゼルロック周辺の海は荒々しく、しっかり泳がないと波に飲まれてしまいそうだ。


「みんな大丈夫か!? どうにか陸へ……!」


「大丈夫じゃない……」


「!?」


 ユナが弱々しい声をあげ、アイラはハッと振り返った。ユナはもがいているが、その姿はどう見ても……


「わ、私、泳げないの……」


 そう言ってぶくぶくとユナの身体が沈んでいく。アイラは慌ててユナの方へと泳ぎだした。


「ああああちょっと、もう少し頑張ってユナ! 今そっちへ行くから!」


 しかし抵抗虚しくユナの身体は海水へと呑まれていく。アイラは腕をぐっと伸ばしてみたが、あと一歩届かない……



--ザバァァァァン!



 アイラの目の前で大きな波しぶきが上がる。そこから現れたのは黒と白の巨体--シャチだ。


「おうお前ら、ご苦労さん!」


 シャチの背びれのあたりに取り付けられたカゴから、黒髪を束ねた男が現れてギザギザの歯を見せて笑う。シャチの背の上には全身ずぶ濡れになったユナがしゃがんでいて、げほげほと海水を吐いていた。


「ノワール!」


 いつも冷静なアイラの表情がほっと綻ぶ。ノワールはカゴを乗せたシャチをアイラたちのそばまで近づかせ、シャチの背の上に引き上げた。


「アイラ、リュウ……それに君は今朝話したグレンだな?」


 グレンは頷く。サンド二号経由で少し話していたとはいえノワールとは初対面だ。義賊ブラック・クロスを束ねるリーダー。その肩書きの割に彼は随分と親しみやすい雰囲気があり、内心安堵する。


「ずっとアイラから連絡がないから心配になって来てみたら大変なことになってたみたいだな。とにかくみんな無事で何より……」


 言葉の途中でノワールはズボンの裾を強くひっぱられるのを感じた。海水を吐き終えたユナが、彼の足にすがるようにして掴んでいたのだ。


「ルカが……ルカがまだジーゼルロックに……」


 ユナの瞳が揺れている。ジーゼルロックにはユナ達が爆風で吹き飛ばされた場所に大穴が開いていたが、そこからでもルカの姿は見えない。


 ノワールはユナの目線までしゃがむと彼女の背中をバンと叩いた。痛いくらいで、彼女は少しむせる。


「だーいじょうぶ! 心配すんな。あいつのことはウチで一番強いヤツが迎えに行ってるからよ」


「え……」


 そう言ってノワールはジーゼルロックの方へと目配せした。







「やってくれたな、ルカ・イージス……!」


 破壊神の肩から降りたハリブルが、一歩一歩ゆっくりと意識を失って倒れているルカに近づく。彼女の腹からは相変わらずとめどなく血が流れていた。影の中に潜り込んでいる時は平気なようだが、ルカの放った力のせいで破壊神が動きを止めてしまった今、その影を隠れ蓑にしていてもしょうがない。


 ハリブルは何が起こったのか理解が追いついていなかった。ルカが放った紫の光によって破壊神は急に動きを止め、彼の放ったエネルギー砲はコントロールを失って暴発してしまった。そのせいでジーゼルロックには大穴が開き、封神殿は今にも崩落しそうな勢いだ。


「まさか破壊神様に干渉する力が、この世に存在するなんて……この失態エルメ様に知られたら……」


 自分で言いながらハリブルはぞくりと肩を震わす。そして一人首を横に振った。


「いいえ……そうよ……今ここで息の根を止めてしまえば……!」


 ハリブルは懐を探り、細いナイフを取り出す。失血で震える右腕をもう片方の腕で押さえながら、ルカの首元めがけて振り下ろそうとした時--



--ザッ!!



 彼女は反射的に後ろに退いた。足元には彼女が持っているものとよく似たナイフが三本、等間隔に刺さっていた。ルカはいつの間にかヒラヒラとした服を着た背の高い仮面の男に抱えられていた。


「ふふ……勘が鋭くなったなァ、ハリブル」


「クレイジー……! 裏切り者がよくものこのこと……!」


 音も立てず現れたその男に、ハリブルは歯をギリギリと鳴らし、ナイフを構える。クレイジーはその様子を見ても動じることなく、毒々しい紫の口紅が塗られた唇で微笑みを形作る。


「この子は連れて帰るよ。大事な弟子だからね」


「ふぅん……そっか、そういうこと。だから”イージス”って名前なんだ」


 ぶつぶつと呟いていたかと思うと、ハリブルは急に笑い出した。


「ああああああ、幻滅だなぁ。がそんなことするなんてっ! いつからそんな女々しい人になったんです?」


 するとクレイジーはクックと喉を鳴らす。


「ボクは元々狂ったピエロさ。だから過度な期待をされるほど裏切りたくなるんだよ。よく知ってるだろ? 君も……エルメも」


 ハリブルの表情が一瞬歪む。しかし彼女はすぐに元の表情に戻ると、すっと構えを解いて動きを止めたままの破壊神のところへと歩み寄った。


「絶対後悔させてやるんだからっ。仮面舞踏会ヴェル・ムスケを抜けたこと」


 クレイジーは肩をすくめる。


「必要あるかな? 後悔ならもうたくさんしたよ」


 ハリブルは懐から陶器の仮面を取り出して、顔を覆う。そしてくぐもった声で言った。




「……先輩のそういうところ、昔から大嫌いですっ」




 ハリブルの足元からワッと影が湧き上がる。それはまるで泉のように広がり、彼女と巨大化した破壊神の身体を飲み込んだ。そして黒い液体のようになったかと思うと、ドプンと音を立ててその場から消えてしまった。



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