mission4-37 不滅のダイアウト




「ユング、調子はどうだ?」


 グレンが尋ねると、格子模様の襟巻きをした青年は「だいぶ良くなってきたよ」と弱々しく笑った。


 あれから三日経つ。村の池は徐々に元の透き通った青を取り戻し、破壊の眷属化していた村人たちもユナとグレンの看病の甲斐あって人間の姿に戻っていった。以前よりも皮膚の赤黒いアザが薄くなってきている者もいる。破壊神が封神殿から去ったことで、ヤオ村には再び七年前の活気が復活しようとしていた。


「にしても、俺が寝込んでるうちに色々あったんだなぁ。聖水が元に戻るなんて……あいつが生きているうちに見せてやりたかった」


 ユングは襟巻きをほどき、手にとってそれを愛おしそうに見つめる。グレン曰く、亡くなった奥さんからもらった大切なものなんだそうだ。


「お前も彼女は大事にしろよ、グレン」


「ええっ!?」


 ユングに指差され、ユナの声が思わず裏返った。その顔はみるみるうちに赤く染まっていく。それを見てグレンは他人事のように笑った。


「違うって。ユナには俺なんかよりもお似合いなヤツがいるからよ」


「なんだ、そうなのか」


 ユングはあっさり納得したが、当のユナはそうもいかない。


「え、ちょっと待って、グレン、その、それってどういうこと……?」


「だって見てればすぐ分かるだろ。ユナがルカのこと--」


「うわああああああああ!!」


 さらに顔を赤くするユナに、グレンもユングもニヤニヤと笑みを浮かべた。こうしていると、ヤオ村がダイアウトになる以前に二人でよく悪戯をしたことを思い出す。ユングが疫病にかかってからは彼が外に出かけることなど滅多になくなってしまったから、こうして共に笑い合っているのも随分と久しぶりな感じがした。


「で、そのルカってやつはどうしてるんだ? うちの村のために頑張ってくれたんだろ。礼を言っておかないと」


「ああ、それが……」


 グレンとユナは顔を見合わせる。ユナは肩を落として小さくため息をついた。






「なかなか目を覚まさねぇな、ルカ」


 ブラック・クロスの一行はヤオ村のグレンの家に滞在していた。ノワールやクレイジーが封神殿を調査する時間を取るためもあったが、何より--ルカが目を覚まさなかったのだ。


 グレンとユナがグレンの部屋に戻ると、ベッドの枕元に座ってルカの看病をしていたジジが振り返った。


「安心をし、眠っておるだけじゃ。それもとても穏やかに。良い夢でも見とるのじゃろう。体力も少しずつ回復しとる。この分なら次起きた時には普通に走り回れるじゃろうよ」


「爺さんがそう言うなら心配はしてないんだけどさ」


 ユナも頷き、眠っているルカの手を取った。脈は落ち着いているし、体温もしっかりと感じる。寝顔も普通に眠っているかのように安らかだ。しかし三日経っても一度も目を覚まさないとなると、このまま瞼を開くことはないのではないかという不安にも駆られる。


 その時、ユナの頭の上にポンと大きな手の平の感触がした。


「力を使った反動だねェ。この子は昔平気で一週間以上寝てたこともあったし、そう不安がることはないよ」


 いつの間にかすぐ後ろに背の高い仮面の男が立っていた。ほくろのある口元は微笑んでいるかのようだったが、仮面と紫色の口紅が不気味さを際立たせている。


「あ、えっと、クレイジーさん。ジーゼルロックから戻ってきてたんですね」


「ハハ、クレイジーでいいよ。どうせ本名じゃあないんだから」


「え、やっぱりそうなんですか?」


 ユナが尋ねるとクレイジーはこくりと縦に頷く。


「クレイジーっていうのは仮面舞踏会ヴェル・ムスケ時代のコードネームなんだ。ま、ボクの本名なんて仮面舞踏会に入った時に捨てたようなものだから、あっても無くても一緒なんだけど」


 ユナの隣で話を聞いていたグレンの表情が少し曇る。


「あんた……ハリブルとも知り合いだったのか?」


「ウン。ハリブルはボクの後輩だよ。昔はもっと根暗な子だったのに、いつの間にかあんなに偉そうになっちゃって……久しぶりにお仕置きが必要かな」


 クレイジーはグレンの思惑を気にすることなく、愉しげに指をパキパキと鳴らした。ユナは少しだけ肝が冷える想いがした。味方だからまだいいが--いや、元仮面舞踏会の人間が本当に味方になり得るのか、ハリブルのことを考えると信じきることはできない。


「お主も仮面舞踏会の人間なのか?」


「”元”だよお爺ちゃん。今では裏切り者として追われる身サ」


「封神殿や王家の狙いのことは知っておったのか……?」


 クレイジーは「いいや」と肩をすくめた。


「ボクは『終焉の時代ラグナロク』が始まる少し前に仮面舞踏会を離れててね。それに任務もスパイとか暗殺が中心だったから、残念ながら破壊神に関わることは聞かされていなかったんだ」


(今さらっとスパイとか暗殺って言った……)


 ユナはごくりと唾を飲み込む。


「爺さんは何か知ってたんじゃないのか。俺たちが封神殿に向かう前に、『大切なものはあれに奪われた』とかって言っていただろう」


 ジジはしばらくうつむいて黙っていた。水精の祠の前に破壊の眷属化しながら立ちはだかった彼の表情を思い出す。それは掟を破って封神殿の扉を開けようとするルカたちへの怒りというよりも、どこか嘆き悲しむような、弱った老人の顔だった。ジジは徐ろに口を開き、一度長い息を吐いた後で、しゃがれた声で語り出した。


「わしは昔中央都で働いておったのじゃ。先々代の王様付きの薬師として、王家のお側に仕えておった」


「先々代っていうのは……?」


 ユナが尋ねると、グレンが手元にあった紙にルーフェイ王家の家系図を書き出した。


 現在の国王はまだ十二歳にも満たない少年で、後見人としてついている叔母のエルメが実質的に実権を握っている状態らしい。封神殿の中で聞いた話が本当なら、この人物がヴァルトロ王マティスの元妻で、破壊神の母親にあたるというわけだ。


 ユナはグレンが描く家系図の線を目で追う。エルメの兄にあたる人物が先代王、そしてエルメと先代王の父が先々代ということになる。その王の名を見てようやく頭の中で点と点がつながったような気がした。母がルーフェイの男に襲われた時に、謝罪にやってきたルーフェイ軍総帥……彼が持ってきた公文書に捺印されていた名前が先々代の名前なのだ。


「先々代はガルダストリアとの二国間大戦を始める決断をされたお方じゃが、戦争が始まってすぐに病に伏して先代に王位をお譲りになり、『終焉の時代』が始まる前に亡くなっとるのじゃよ」


「爺さん、そんな凄腕の薬師だったんだな」


 グレンが目を丸くして言うと、ジジはふんと鼻を鳴らした。


「いかにお主が出来損ないか分かったか、この馬鹿孫が」


「ちっ……で、その中央都で一体何があったんだよ?」


 ジジは再びうつむくと、呟くように言った。


「ある日先々代の寝所で一通の密書を見つけた……その時わしは知ってしまったんじゃ。ルーフェイ王家が、わざと『終焉の時代』を引き起こそうとしておることを」


「--!」


「そして、破壊神を意のままに手中に収めるための要となるのが、わしらの村が守り続けてきた水精の鍵であるということにもたどり着いた」


「だからか……水精の鍵を持ち出すことを禁じていたのは」


「そうじゃ。七年前、仮面舞踏会がヤオ村を訪ねてきた時にわしは脅されていた。封神殿の扉を開けぬのなら、中央都に出ているヤオ村の者がどうなるか分からぬと……。村の者たちとも相談し、最悪の場合、出稼ぎをしている者らも含めて他国への亡命も考えた。村を捨てるつもりだったのじゃ」


 ジジは一息をついて肩を落とす。絞り出した声は少しだけ震えていた。


「……わしは王家や仮面舞踏会の恐ろしさを甘く見ておった。仮面舞踏会はグレンを騙し、出稼ぎに出ていたヤオ村の優秀な呪術師や薬師たちは皆、破壊神のための生贄にされてしもうたのじゃ。そして疫病に侵されたこの村は、ダイアウトにされてしまった」


「父さんや母さんも……その時に殺されたんだろ?」


「! グレン、お前……知っておったのか!?」


 目を見開くジジに、グレンは首を横に振る。


「知らなかったよ。でもこの前封神殿の命の祭壇で聞いたんだ。七年前、あの場所で命を落とした人たちの声を。みんな苦しくて、辛そうで……聞いているだけで気が狂いそうだった。けど、確かに聞こえたんだ。死の間際に俺の名前を呼ぶ声。あれは……間違いなく父さんと母さんの声だった」


 グレンは自分の拳を見つめ、ぎゅっと握る。


「もう二度と会えないのはつらいし、王家や仮面舞踏会の奴らは絶対に許さない……けど、俺は救われた気がした。父さんも母さんも、俺のこと見捨ててなんていなかったんだ」


 自分に言い聞かせるかのように、グレンは一人頷くと、ジジに向き合い、彼の節くれだった手を取った。


「爺さん、前言撤回させてくれ。俺にはまだ失いたくないものがある……ヤオ村の奴らのこと、本当は大好きなんだ。みんなに嫌われてたって、俺はこの村が好きだ。だから守るためならなんだってする。それだけは……その気持ちだけは嘘なんかじゃないって、信じて欲しいんだ」


 ジジは優しくグレンの手を包み込むと、細い腕で青年の身体をぎゅっと抱き締めた。


「そんなこと昔から知っておる。グレン……お前はわしの大事な大事な孫じゃからな」







「おい、クレイジー、ユナ! ここにいるか?」


 外から声が聞こえて、クレイジー、ユナ、グレンは連れ立って村長の家の外に出た。家の前にはノワールとアイラ、それに分厚い巻物を抱えたリュウが待っていた。


「封神殿の調査はもういいの?」


「ああ。大体のことは調べ終わったし、気になることもあってな……だからそろそろ戻ろうかと思ってる」


「戻る?」


 するとノワールは何か思いついたような顔をして、ユナの肩を強く叩いた。


「俺たちブラック・クロスの本部にだよ!」


「本部……! 私、初めてです……!」


「そうだったな! 本部についたらユナ用の部屋も用意しないと。そうとなったら早速出発だ! 本部へは海路でしか渡れない。ジーゼルロックのそばにカゴシャチを呼んであるから、ルカもそこへ運ぶぞ」


 クレイジーは「じゃあボクがルカを運ぶよ」と言って村長の家に戻っていく。ユナはグレンが鼻をすする音でハッとした。当然のようにずっと一緒に行動していたから忘れかけていたが、彼はブラック・クロスのメンバーではない。つまりユナたちが本部に戻るのであれば、ここで彼とはお別れだ。


「もう行っちゃうんだな」


「グレン……」


 突然の出発に、グレンはいささか戸惑っているようだった。うまく言葉が見つからないのか、彼は誤魔化すようにぽりぽりと頭をかき、ユナから少しだけ目をそらした。


「色々大変だったけど……あんたたちと一緒にいるの楽しかったよ! また会おうぜ。俺はこの村をなんとか立て直して--」




「馬鹿グレン! さっさとこんな村から出て行っちまえ!」




 突如、大きな声が村の中に響き、ユナもグレンも声がした方を振り返る。松葉杖をついたユングが、寝間着のままの格好で家から出てきていたのだ。


「ユングお前……! 何言って……それに、まだ治りかけてないんだから安静にしてろって……」


「お前なんか義賊と一緒にどっか行っちまえよ! このお節介野郎! バーカ! バーカ……!」


 ユングの顔は赤い。声も震えている。その瞳はどこか潤んでいて。


 ユングにつられたのか、村人たちが次々に家から出てきた。シーシャも、キユも。皆ユングと声を揃えるようにしてグレンを罵倒する。涙をこぼしながら、鼻水を垂らしながら。


「嘘つきグレン!」


「お前なんかに心配されなくてもなんとかできるっての!」


「落ちこぼれのくせに意地張りやがって!」


 ルカを背負ったクレイジーが村長の家から出てきて、後ろからグレンの顔を覗き込み微笑んだ。


「どうするか、決まった?」


 グレンは着物の袖で顔を拭うと、縦に頷く。そして胸いっぱいに、大きく息を吸って。




「お前ら本っ当に嘘つきばっかだな……! ああそうかい! 出て行ってやるよ! そんで、村をこんなにした奴らを一発ぶん殴ってきてやるからな! だから、だから……!」




 言葉はそこで途切れ、嗚咽に変わる。村人たちもまた同じだった。背後でやれやれと呆れたような声がする。ジジが出てきたのだ。彼は励ますようにグレンの背中を叩く。


「行って来い、グレンや」


「ああ……! 爺さんも、村のみんなも……! 俺が戻ってくるまでに絶対、元気になってろよ……!」




 一筋の風が強く吹き、ヤオ村の軒先に取り付けられている色とりどりの風車がくるくると音を立てて回った。凪の期ももう終わりだ。吹き始めた風はどんよりとした雲をさらい--頭上には、青空が見え始めていた。










***




「マティス様。例の件、ナスカ=エラにて無事承認が下りたそうです」


 キリは飛空艇ウラノスの玉座に構えるマティスに、一通の書状を差し出す。マティスは黙ってそれを受け取った。そして部屋の隅に立てかけられた折れた大刀に視線を投げる。アランがすぐに打ち直そうとしたもののマティスはそれを断ったため、封神殿を脱出した時以来そのままにしてあった。


「いかが……いたしましょうか?」


 キリが尋ねると、マティスは再び彼に向き直った。その鋭い瞳は、ヴァルトロ四神将のキリでさえ呼吸をするのを戸惑わせる。彼は浅く息を吸い--そして、はっきりと響く低い声で言った。




「ルーフェイに宣戦布告を出せ。戦争だ」








*mission4 Complete!!*

四章完結、ここまでご愛読ありがとうございます。

五章構想のため、二回分更新をお休みします。

次の更新は11/30(水)です。お楽しみに!



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