mission4-35 破壊神の覚醒



「何ですか、今の光は」


 何の前触れもなく、封神殿全体は赤黒く強い光に包み込まれていた。キリは元から細い目をさらに細める。そのかたわらには眼帯のない方の目をかばうソニアと、キリの力によって眠らされているアラン。光が発せられたのは彼らの王と王子がいるはずの破壊神封印の間からだ。嫌な予感がする。


「まさか、ライアン様……」


 ソニアがぼそりと呟いたその時、アランの左腕の義手が青白く光った。アランの持つ神石の光色ではない。この色は--


『ぶはぁ! つながった!』


 声とともに、青白い光がぼんやりと少女の形を作った。


「ウラノスじゃないですか。アランの虚像機構をハッキングしたのですか? 飛空艇で大人しく待っているようマティス様に言われていたでしょう」


 見た目的には同じ年頃だが、キリはたしなめるように言う。しかし少女はそれを無視して言った。


『王様が危ないよ。早くみんなで助けに行って』


「まさか。あのマティス様がそのようなこと--」


『破壊神が覚醒したんだ』


「な--」


『僕の感覚は王様と繋がっているから分かるよ。ルーフェイの術式はもう完成していた』


「……一歩、遅かったということか」


 奥歯をギリと噛み締める音がし、キリはソニアの顔を見上げる。普段冷徹な彼の表情は、少しだけ歪んでいた。


『僕はすぐに転送陣を描く! だからみんなは王様を助けて、脱出の用意を!』


 せっかちな性分なのか、キリたちの返事を待たないままブゥンと音を立て青白い少女の影は消えてしまった。やれやれ、とキリは肩を落とす。


「ボクが想定していた中では最悪の事態です。行きましょう、ソニア」


 ソニアは黙って頷いた。相変わらず何を考えているのか分からないが、少なくとも同じ想いはあるだろう--今ここで王に死なれては困る、と。








 ハリブルがとった行動に、ルカたちは思わず言葉を失った。瀕死の身でありながら、彼女は穢れに満ちた水たまりの中に躊躇なく入り、その中央で眠っている破壊神・ライアンに口づけをしたのだ。気が狂っているとしか思えない行為だ。しかし、それが示す意味を理解するのに深く考える必要はなかった。ルカたちは肌で直に感じたからだ--破壊神の覚醒を。


 赤黒い光に包まれた空間の中で、ヒューッ、ヒューッ、と空気が漏れるような音が聞こえる。破壊神の姿は逆光になっていてよく見えないが、だんだん光の強さに目が慣れてきて、その音の正体が分かった。ゆらりと立ち上がる、破壊神の影。その左胸の部分にはぽっかりと何者かに穿うがたれたかのような大きな穴が空いていた。そこから彼の吸った空気が漏れ出ているのである。


「ライアン、兄さん……?」


 ドーハが恐る恐る話しかける。しかし破壊神は……彼と血の繋がった兄であるはずのその人物はドーハの方を振り向くわけでもなく、頭を抱えて呟いた。


「ワたしニ……話シかけルのハ、何モのダ?」


「ドーハ! 弟のドーハだよ! 兄さんがよく一緒に遊んでくれた……!」


 すると破壊神はぴたりと動きを止めたかと思うと、幼い子どもがするように首を横にひねる。そして一息ついて、何か思いついたかのようにギンと目を見開いた。


「アあ……ドーハ! ドーハ! ……ドーハ? ワたしニ……ワたしニこノ穴ヲ開けたノハ、貴様だな!?」


「へ……?」


 破壊神は不気味な音で笑うと、その指先をドーハに向けた。そこに、赤黒い光が集まっていく--




--ドォン!




「はぁ、はぁ……大丈夫ですか、ドーハ様」


 ドーハは恐る恐る目を開け、ハッとした。


「フロワ!!」


 褐色の肌の大柄な女性の背が、そして彼女の幻獣・玄武がドーハを庇って立っていたのだ。王子の身代わりとなった玄武の甲羅の方からは肉が焼けただれた臭いがして、幻獣は低いうめき声をあげながら姿を消していく。それと同時にフロワは膝からその場に崩れ落ちた。ドーハは慌ててその身体を支える。よく見れば全身傷だらけだ。


「お前、この傷でよく……」


「ハッハ、関係ないよ……! 主君の盾となるのがこのフロワの役目! それにしても……ずいぶん様変わりしたねぇ。あそこにいるのは、ライアン坊ちゃんなんでしょう……?」


 フロワは肩で息をしながら、玄武を攻撃した相手を見やる。破壊神は薄ら笑いを浮かべてただじっと佇んでいた。幾度の死線をくぐり抜けてきた彼女でさえ、その表情を見てゾッとする。ドーハのことを血の繋がった弟だとは見ていない。いや、そもそも自分たちのことを同じ人間だと知覚すらできていない様子だった。間に入るのが一歩遅ければ、ドーハの胸には破壊神と同じような穴が確実に開いていただろう。




「だから言ったはずだ……あれはライアンではない。破壊神ウルハヴィシュヌだ、と」




 低い声が響き、フロワは姿勢を正した。この状況においてもマティスの威厳は揺るがなかった。彼は再び大刀を構える。


「そこを退けドーハ。眠っていようが目覚めていようが関係ない。俺がこの手で斬る。それまでだ」


「ふふふふ……そうは、させないよっ……」


 声がしたのは破壊神の後方からだった。ハリブルが口についた血を拭いながらゆらりと身体を起こす。マティスに貫かれた腹部からは今もとめどなく血が流れ続けていて、とても動いていて良い状態ではない。しかし彼女は構わず立ち上がり、にやりと余裕の笑みを浮かべた。


仮面舞踏会ヴェル・ムスケ、それにルーフェイ王家……あなたたち、まさかなの?」


 アイラが尋ねると、ハリブルは高い声で笑った。


「ふふ……あはははは……! そうだよ……! あたしたちの本当の使命は、七年前の発現の際に弱体化した破壊神様をお守りし、復活の儀を行うこと! この封神殿で穢れのエネルギーを蓄積して、表の風が弱まった時に満を持して破壊神様がこの世にもう一度降臨する……! この凪の期を狙っていたのは、何もあんたたちだけじゃないってことだよっ」


「なるほど……それですべてが繋がるわ」


「アイラ、破壊神信仰って何……?」


 ユナが尋ねると、アイラは神妙な面持ちで答えた。


「創世神話の解釈には色々な見方がある。その中で最も危険な思想--それが破壊神信仰よ。破壊神によって世界が崩壊することを是とし、そこからの再生を期待する厭世主義者。各地で小規模な過激派がいるくらいなら大したことはない。けど、それが大国のトップなら……話は別」


「つまりルーフェイの奴らは破壊神の力を使って『終焉の時代ラグナロク』を押し進めようってわけだな」


 ルカが再び神器を発動させ、大鎌を構え直した。グレンもリュウも、ハリブルと破壊神に向かって応戦態勢に入る。ハリブルはケタケタと笑っていたかと思うと、その輪郭はどろりと溶けて、影となって落ちた。そして影は地を這い、破壊神の影と同化する。今度は破壊神の方から、ハリブルの声だけが聞こえた。


「君たちにはきっと分からないだろうね……あたしたちが破壊神様に託す想いが!!」


 ドォン! 空間全体が縦に大きく揺れたかと思うと、破壊神は前屈みになって低い唸り声を上げ始めた。


「ウ……ガガ……ウォァァァァアアア!」


 破壊神の全身から赤黒い光が放たれ、彼の身体を覆っていた白い布はボロボロと剥がれていく。皮膚の表面はまるで鱗のようにひび割れ、メキメキと盛り上がる。


「アガ……ウウウウウゥゥゥゥ!」


 悲痛な叫び声に、ルカたちは耳をふさいだ。まず変化したのは彼の右腕だった。熟れた果物が木から落ちるかのように肩からぼろりと腕が外れ、その傷口から骨のようなものが勢いよく飛び出す。それは彼の身体をすっかりと包み隠し、周囲の泥や石を束ね、どんどんとその体積を大きくしていく。まるで破壊の眷属が巨大化したような姿。


「これが、破壊神……?」


 ユナの声は破壊神の叫び声にかき消されてしまいそうなくらい小さく揺れていた。元人間だと聞いてから、どこか気を緩めてしまっていたのかもしれない。だが忘れてはいけなかったのだ。彼が、戦場で大震災を引き起こし、五年以上続いていた二国間大戦をたった一瞬で終わらせてしまったことを。


 破壊神を鎧のように包み込む穢れの塊は、どんどん膨張していって、ついには人の五倍以上の背丈にまでなった。一歩踏み出す。ただそれだけで振動が響き、天井からパラパラと砂塵がこぼれ落ちた。


 マティスはそれを見上げ、深くため息を吐いた。


「愚かな……散々教え込んだはずだぞ。大なるものに惑わされるな、ヴァルトロの武人たるもの、その身の芯の強さで闘えと!」


 ブン! 大刀の剣閃がまっすぐ破壊神めがけて風の軌道を描いていく。しかし--破壊神の手前で、それはバシュッと音を立ててかき消えた。破壊神が左手に持っている巨大な剣で相殺したのだ。いつの間にか現れたその剣は、人の骨に血管が絡みついたような禍々しい形をしていた。柄の部分には赤黒い石がぼんやりと不気味な光を放っている。リュウは「あれは右腕だ」とぼそりと言った。確かに破壊神の足元には、抜け落ちたはずの彼の右腕がどこにもなかった。


 巨大化した破壊神の肩に、ぬっと影が湧き上がる。そこから響く甲高い笑い声。影は徐々にハリブルの形に変化して行った。


「あはははははは! 豪傑で知られたヴァルトロの王も、破壊神様の前ではさすがに歯が立たないみたいね? それが実の親子だなんて……ああ、なんて悲劇的! もっとどん底に落ちて、あたしを楽しませてよっ……!」


 ハリブルの言葉に呼応するかのように、破壊神は剣を振り上げた。そしてそれをマティスに向かってまっすぐに落とす。マティスは大刀で受け止めようとしたが、端から見て力の差は歴然だった。激しい金属音が響き--手に持つことすら並大抵の人間には敵わぬであろう重厚な刀身が、二つに分かれて弾け飛んだ。後ろに仰け反る王を支えんと、フロワが駆け寄って行く。


 ルカは破壊神から目を離せなかった。本能がぞわぞわと末端の神経を騒がせるが、それに反して目線を釘付けにされて、身動きが取れない。ルカにとってどう表現したらいいのか分からない感情だった。


 パン、と手を叩く音でルカはハッとした。アイラだ。


「一旦退きましょう。あのマティス・エスカレードの力が通用しない相手に、私たちがどうにかできるはずがない」


「けど……」


「思い出して、ルカ。今回のミッションはあくまでジーゼルロックの調査だったでしょう! 彼をなんとかしたいと思うならばこそ、今は退いて立て直すべきなのよ!」


「--その通りだ」


 声がしてルカたちはハッと後ろを振り返った。ソニアとキリだ。


「ボクたちは撤退しますよ。覚醒した破壊神とやり合うには、それなりの準備が必要なのでね。あなたたちもここで死にたくないのなら、さっさと逃げた方がいい」


「……随分親切なのね」


 ユナが怪訝な顔をして言うと、キリは緊張感のない様子で笑った。


「キャハハハハ! あくまで共通敵がいる間は、ですよ」


 キリは杖を取り出し何やら呪文を唱え始める。マティス、ドーハ、そして四神将、彼らの身体の中心に青白い羅針盤のような文様が浮かび上がった。ソニアは王の方へと歩み寄る途中--アイラとすれ違いざま、うつむきながら呟くように言った。




「……残念だ。あなたに刃を向けるのは、今日で最後にしたかったのに」


「こっちの台詞よ、ソニア」




 一瞬、ユナの目には無愛想な彼の口元が緩んだように見えた。しかしその表情が何を意味するのかは彼女にはわからない。きっと、アイラにしか。




「マティス様! ウラノスの転送陣の準備が整いました!」


 マティスたちの身体に浮かびあがる文様の光が強くなり、キリが叫ぶ。マティスは二つに折れた大刀を持って立ち上がった。最初に攻撃を向けられた時に腰を抜かしてしまったドーハは、フロワによって担がれている。


「なんだー、逃げちゃうの? これからがクライマックスなのにっ!」


 破壊神の肩の上で口を尖らせるハリブルに、マティスは声を張り上げて言った。


「仮面舞踏会の女! エルメに伝えよ。貴様が思い描いているのは妄想に過ぎん、近いうちにライアンもろとも消してやる--とな」


 すると、ハリブルはにやりと口角を吊り上げ、封神殿中に響く大きな声で返した。


「ああそうだー、私もエルメ様から伝言を預かってました! ……“別れた男の言葉など聞く必要なし。一言たりとてわらわに通すでない”、だそうですっ」


 その言葉に、マティスよりもグレンが先に反応する。


って……? 待てよ、エルメ様ってルーフェイの王家の……!」


 しかしそれに構わず、マティスは深くため息を吐いた。


「……そうか。つくづく愚かな女だ」



 青白い光が強くなる。グレンは先ほどの言葉の意味を問おうと声をかけたが、だんだんとマティスたちの輪郭は薄くなっていき--シュッという音とともに跡形もなく姿を消した。


 封神殿に残るのは、ルカたちと、ハリブル、そして破壊神。




「で、どうするのー? 君たちブラック・クロスも破壊神様と遊んでくれないのっ!?」




 破壊神の剣が勢いよく振り上げられる。考えている間はなかった。ルカたちは上層の広場の方へと繋がる階段を駆け上った。




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