mission3-34 黒十字の儀式



「えっ、ちょっと待って……ブラック・クロスに入るって、本当に?」


 おどおどと顔色をうかがうルカに対して、ユナはくすりと笑う。


「うん。ずっと考えてたんだ。このままただ一緒についていくだけじゃ足手まといになるし、かと言って一人で旅をするのかと言ったらなんか違う気がして」


 ユナは「それに……」と言いかけて、少し顔を赤らめる。


「きっと好きになっちゃったんだ。ルカとアイラのこと。二人といるのが楽しくって、ブラック・クロスの戦いはかっこよくて、もっと一緒にいたいって思ったの」


「俺は!?」


「空気を読みなよ、ガザ」


「あはは。ごめんごめん、ガザのことも好きだよ。こんな素敵な神器を作ってもらえて、なんてお礼を言ったらいいか分からないくらい」


 ユナにまっすぐに見つめられ、ガザは鼻の下を伸ばしてデレデレとだらしない表情を浮かべた。その隣に座るファブロは大きなため息をつく。ブラック・クロスの二人だけじゃなくて、ファブロも、ジョルジュも。数日前に初めて出会ったとは思えないくらい親しくなった。いずれ訪れる、この街を離れる瞬間が惜しく思えるほどに。


「あなた本気で言っているの? 私たちは来るもの拒まずだから別にいいわ。でもあなたは王族という立場があるでしょう。今回だってそう、最後に手を下したのは銀髪女シルヴィアとはいえ、私たちはこの街を統治する立場の人間に歯向かった。ルカや私みたいに身元の知れない人間ならいいわ。けどユナ、あなたは--」


「心配してくれてありがとう、アイラ。でもね、だからこそなの」


「どういうこと?」


「アンゼルを見て、街や国を治める人がああなってはいけないと思った。確かに商業派の考え方は、『終焉の時代ラグナロク』にみんなが生き延びるのに必要な考え方だったかもしれない。……でも、ガザの言う通りだよ。ヌスタルトの工員の人たちは、自分たちの作ったものを誰が使うかなんて考えていなかった。アンゼルは鎧の材料に破壊の眷属けんぞくを使うことを、工員の人たちがどう思うかなんて考えていなかった。その先に何があるんだろう……そう考えたら怖くって。義賊の二人と一緒にいたからこそ、このことに気づけたんだと思う」


「……意志は固いってことね」


「ユナ、本当にいいのか? 義賊がやることは綺麗なことなんかじゃない、もしかしたら銀髪女が言うように、手を染めなければいけない時が来るかもしれないんだ。それでも義賊に入るのか?」


「うん、私は--」


 声が少し震える。ルカやアイラと一緒にいたい。義賊の目線で世界を見てみたい。その想いに間違いはない。ただ--戦いは恐ろしい。正直、人を傷つけることへの恐怖は拭えなかった。何度か戦いの場面には居合わせているのに、いつも足がすくんで何もできない。


 ユナが言葉を紡ごうとした時、誰かがポンと肩を叩いた。ガザだ。


「ユナちゃん、君は前で戦う必要はないんだ。君には君にしかできないことがある」


「私にしかできないこと?」


「仲間を守り、助けることだよ。これは、君がその力を存分に発揮するために作った神器だ」


 そう言ってガザは手を差し出す。ユナはその大きな手の上に九つの小さな薄桃色の石を乗せる。ガザはそれを受け取ると、一つ一つ腕輪のくぼみにはめていった。


「そうだ、これを忘れちゃいけないな」


 ガザはズボンのポケットから何かを取り出す。石でできた、小さな黒の十字。ガザはそれを腕輪に取り付ける。ユナがこの選択をすることを見越して、あらかじめ用意していたのだろう。カチッと何かがはまる音が聞こえた。そして腕輪が薄ぼんやりと光る。


「さぁ、神石に意識を集中してごらん」


 ユナは言われた通りに、腕輪に手をかざして目を閉じた。


“ユナ、聞こえますか”


(カリオペ! ちゃんと聞こえるよ)


“ふああー。眠いからちょっと静かにしてよぉ”


(あれ? ポリュムニア?)


“ふふ。やっと気持ちを伝えられて良かったですね”


(クレイオまで!)


“神器とは素晴らしいものですね。今まではあの怪しげな飲み物を飲むと一人ずつしかあなたと会話できなかったし、何も飲んでいない状態だとあなたの体力を奪いすぎていました。でもこの新しい腕輪のおかげで、今は九人の女神全員が自由にあなたと対話できるようです”


 腕輪に取り付けられた九つの神石は、それぞれがどこか嬉しげに薄桃色の光をたたえていた。


「ガザありがとう……! これなら、いつでも好きな歌が歌える……!」


 目を輝かせて言うユナに、ガザは悪戯な笑みを浮かべた。


「すごいのはそれだけじゃないぜ。十字のところに手をかざしてごらん」


「こう?」



--ブンッ!



 黒の十字が液体のように弾け飛んだ。ガザが作る神器はアクセサリーから武器へと瞬時に変化するのが特徴だ。ルカの神器は大鎌になり、アイラの神器は双銃になる。液状になったユナの黒の十字は徐々に別の形へと収束していった。黒い本体に薄桃色の光の筋が入った円月輪、チャクラムと呼ばれる武器だ。


「歌はどうしても力の発動に時間がかかってしまう。このチャクラムはミューズの力を乗せて物理的に届かせることができるんだ。歌う時よりは力が落ちるが、素早く力を発動しなければいけない時には使えるはずだ」


 チャクラムは軽く、戦い慣れしていないユナでも簡単に投げられそうだ。色々と持ち替えてみたり、神器をしげしげと見つめるユナを見てルカは思う。


(ユナ、嬉しそうだ。ずっと考えてたって言ってたもんな。おれたちが心配するのは、余計なお世話だったのかもしれない)


 よし、と呟くと金髪の青年は声を張り上げた。


「じゃあいよいよブラック・クロス加入の儀式だな!」


「儀式?」


 ルカは工房の方から釘を二本持ってきて、一本はアイラに渡す。


「儀式って言ってもそんなに堅苦しいものじゃないよ。ブラック・クロスはメンバー二人が承認すれば加入できる。その証を、黒の十字の側面に彫るのさ」


 ルカはそう言って自身のネックレスをユナに見せてきた。よく見ると十字の側面に何やら文字が彫られている。縦の方向には『Noir』、横の方向には『Crazy』。


「おれの場合はノワールとクレイジーが承認者だった。ユナの場合はおれとアイラが承認者だ。アイラ、いいよな?」


「ええ、ユナの意志が固まっているのなら私に止める理由はないわ」


 ユナから腕輪を受け取ると、アイラから先に釘で名前を彫る。アイラ・ローゼン、ルカ・イージス。二人の名前が縦横に刻まれる。


 自らの名前を彫り終えると、ルカは腕輪をユナに差し出しにっと笑って言った。


「ようこそ、ブラック・クロスへ」


「うん! 改めて--よろしくお願いします、ルカ、アイラ」









「よう、アイラ。本部への報告は終わったか?」


「ええ。私に何か用?」


 ガザはファブロの工房の裏口でサンド二号を抱えながらタバコをふかしている女に声をかける。日が落ちかけ、街は橙色の光に包まれていた。ファブロの家の中からは香ばしい匂いがする。今日は皆の快気祝い--というほど全快している者は少なかったが--として、ファブロが気合を入れてかまど料理を作っているのだ。


「用がなくちゃ話しかけちゃいけねぇのかい」


「用がないと話しかけてこないのはそっちの方でしょ」


「はっはっは、古い付き合いってのは怖いな」


 ガザはぽりぽりと頭をかくと、声を落として言った。


「アイラ……俺はキッシュにしばらく残ろうと思う」


「そう」


「なんだよ、もう少し残念がってくれてもいいだろ」


「残念がるも何も、初めからあなたは放浪の鍛冶屋でしょ。いつまでも一緒に旅をするなんて期待してないわよ」


「ちぇっ、いつもながらクールだねぇ。アンゼルが急にあんなことになって今のこの街には指導者がいない。ファブロが町長代理とはいえあいつはあんな性格だ、融通利かなくて敵も多くつくるだろうよ。そこでこの俺様の出番ってわけだ。チョチョイと上手く立ち回って円満解決。なぁに、この街の男どもは皆根は単純さ。最終的にはインビジブル・ハンドで一緒に酒を飲む。これでだいたい分かり合えるって戦法よ」


「素直に言えばいいのに。故郷を立て直したいって」


「……お見通しか。まぁな、こんな俺でも少しは責任を感じてるのよ。技巧派の最前線にいたくせに、終戦後他の職人たちがどうかなんて考えてやれなかった。自分の罪滅ぼしのことで頭がいっぱいだったからな。見て見ぬ振りをしていたんだ……そのせいでフレッドみたいに苦しむ奴を生んでしまったかと思うと」


 アイラはふぅーっと煙を吐き、タバコを一本差し出した。


「”辛くなったら考えるのをやめちまえ”、でしょ」


「……はは、みるな」


 ガザは差し出されたタバコを受け取ると、火をつけて宙を仰いだ。


「そういや銀髪女のことだが……彼女、破壊神の正体を知っていたんだよな」


「ええ、箝口令かんこうれいの事も口にしていたそうよ」


「彼女も案外、色々と背負っているのかもしれないな」


 ガザの言葉に、アイラは呆れた表情で言った。


「何よ、女だからって同情しているの?」


「いや違う」


 ガザは煙を吐き、首を横に振った。


「破壊神の正体を知っているのは七年前戦地にいた人間だけだ。銀髪女はあの場にいて、今もなお生き延び神石を壊して回っている--きっとそこに至る何かがあったってことだよ」










「ノワール! 今アイラから連絡があって、ユナって子がうちに入ることを決めたそうですよ!」


 サンド一号を抱えながら、嬉々とした様子でシアンがブラック・クロスのリーダーの部屋である執務室に入ってくる。デスクについてミッションシートを整理していたノワールはギザギザの歯を見せて微笑んだ。


「おおそうか。あの子ならなんとなくそうするだろうとは思っていたけどな」


「彼女を含めてブラック・クロスのメンバーはもうすぐ五十人。最初はたった四人で立ち上げた集まりだったのに、大きくなったものですね」


 そう言って彼女は執務室の天井に張られた、黄ばんだ旗を眺める。中央には太く粗い墨で黒の十字が記されている。ブラック・クロスの決意の表れとして、立ち上げの頃からノワールが大切にしているものだ。


「さて……人数が増えたのはちょうど良かったかもしれない。さっきリュウから報告が来た。ついに例の場所を見つけたらしい」


 ノワールはデスクの上に山積みになったミッションシートの一枚をシアンに見せる。シアンはそれを受け取るなり目を丸くした。


「これは……!」





「--そう、ようやく見つけたんだ。破壊神が隠されている場所を」





 シアンはゴクリと唾を飲む。七年もの間、『終焉の時代』を誰もどうにもできなかったのには諸説あるが、何より一番の謎は破壊神の行方であった。七年前、その誕生の瞬間には世界中の人々を震撼させたというのに、その後は破壊の眷属しか目撃されず、破壊神自身はどこにいるのか噂すら立たなかった。まるで、隠されているかのように。



「次のミッションではルカたちもここへ行ってもらおうと思う。もうヴァルトロは動き出したらしいからな」


「ヴァルトロ……さすが動きが早いですね。ルカたちだけで務まるでしょうか?」


「いざとなれば助けに入ってもらうさ……なぁ、クレイジー?」



 ノワールは執務室の入り口の方に向かって大声で呼びかけた。そこには誰もいないはずだった--が、扉の影から音もなく背の高い細身の男がぬっと現れた。



「ふふ……せっかく盗み聞きしようとしていたのに。ノワールは勘が鋭いなァ」



 男は紫色の口紅を塗ったほくろのある口元に手をあてて笑う。鼻から上は陶器でできた奇抜なデザインのマスクをしていて表情は伺えない。


「クレイジー! 執務室へはちゃんとノックをしてから入るようにって言ってるでしょ」


「ごめんよ。ほら、つい昔の仕事の癖でサ」


 彼の微笑みにシアンは背筋をぞっと震わせる。クレイジーはコードネーム、本名は誰も知らない。今はブラック・クロスの一員だが、かつては呪術大国ルーフェイの王家直属の暗殺者だったという。暗殺者という割にヒラヒラと派手な格好をしていたり、言動も奇怪だがその戦闘の腕に間違いはないことを彼女はよく知っている。


「やめろシアン。お前もさっき入ってきた時はノックをしていないよ」


「……あ。すみません……」


 シアンはすごすごと肩を縮める。


「ここへ戻るのは久しぶりだな、クレイジー。任務がひと段落したのか?」


「いや、少し荷物を取りに来ただけ。すぐに持ち場に戻るよ。まだしばらくは目が離せなさそうだね。ルーフェイの中央部もボクが見張ってることに気づいて慎重になってるみたいだから」


 情報統制が厳しいルーフェイのことを知るには、ルーフェイ出身の人間でなければ難しい。彼の任務は彼の旧大国へ潜入し、内部の動きを探ることなのだ。かつての雇い主に対して平気で牙をむく。彼が仲間内からも恐れられている理由の一つでもあった。


 クレイジーはノワールのデスクの側までやってくると、先ほどノワールが受け取ったばかりのミッションシートを手に取り怪しげに笑った。



「ルカもアルフ大陸にいるんだね。久しぶりに会いたいなァ。たまには可愛がってあげないと。少しは強くなってるといいんだけど、な」




 そう言ってクレイジーはフリルのついた袖をまくる。袖の下からは黒々と肌に刻み込まれたトライバルがちらりと見えた。



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