mission3-35 旅の理由



「--ヘクシッ!!」



 ルカが盛大にくしゃみをした。


「どうしたの、ルカ?」


「いや、なんか寒気がしてさ……」


 ルカはぶるっと身体を震わせた。しかし別に室内が寒いわけではない。むしろ工房の中は窯の熱で常に暖かい。ユナは不思議そうに首を傾げた。


 窯の裏側に入り込んで掃除をしていたジョルジュが声を上げる。


「ルカ兄ちゃん、こっちもすすが溜まってるから掃き出してくれる?」


「はいよ」


 ルカたちが目覚め、ガザから神器を受け取った日から一夜明け、彼らは滞在の礼としてファブロの工房の片付けの手伝いをしていた。床のいたるところに酒瓶の転がった今のままでは、とても町長代理の家として認められるような状況ではなかったからだ。


 ファブロ自身は早速働き場所を失った商業派の職人たちの話を聞き、新しい仕事の手配に追われているようだ。ガザはと言えば朝から「工場の様子を見てくる」と言ってふらりと出たきり、昼を回った今も戻ってきていない。彼のことだ、気ままに街を散歩でもしているのだろう。


 工房の扉が開く音がして、ルカは振り返る。アイラが何かの紙を持って立っていた。


「おい、アイラも手伝えよ。おれたちファブロさんに散々世話になってるんだからさ、街を出る前にちゃんと恩は返しておかないと」


「そうね。でももう今日のうちには出発しようと思ってる」


「今日!?」


 目を丸くするルカたちに対して、アイラは持っている紙をひらひらとなびかせた。


「次のミッションが来たわ。それに--」


 アイラはファブロの家のリビングの方を指す。そこではファブロが駆け込んできた職人たちの応対をしているはずだ。ルカたちが作業の手を止めると、リビングでの話し声が聞こえてきた。




「あんたが匿ってんじゃないのか!? アンゼルさんを殺した奴を!」


「そうだそうだ! 義賊がこの街に入り込んだって噂を聞いたぞ! 技巧派の自演じゃねぇだろうなぁ!?」


「俺インビジブル・ハンドで見たんだよ、えんじ色の髪の女! 美人だったから見間違えるわけねぇ、あれはヴァルトロが指名手配してるアイラ・ローゼンだろ!」




 声を荒げる職人達に対しファブロは何とかなだめようとしているがあまり効いていない。突如路頭に迷った人々の怒りは言葉でどうにかなるようなものではないのだ。


「……ね。これ以上い続けたらかえって迷惑になるでしょう」


 ルカとユナは顔を見合わせて頷く。


「そうだな。早いうちに出ようか」


 彼らが工房を出ようとした時--ルカの上着の裾をぐっと引っ張る者がいた。そばかす顔の少年がじっとルカを見上げている。




「ねぇ、僕も連れていってよ!」




 少年の眼差しは真剣だった。冗談を言っているようには見えない。


「どうしたんだジョルジュ。職人に憧れてたんじゃなかったのか」


 ルカがそう返すと、ジョルジュは気まずそうにうつむく。やがてぼそりと言葉を絞り出した。


「……僕もうこの街にいるのは嫌なんだ。フレッド兄ちゃんのことも、ガザのことも、信じられないよ。他の職人たちだってそうだ。商業派とか技巧派とかどうでもいいことで争ってさ……僕はそんな大人にはなりたくない。この街にいたら、僕までそうなってしまいそうで怖いんだよ……!」


 少年はぎゅっとルカの上着をつかんで離さない。その握力は思ったよりも強く、ルカは困った表情で他の二人の方を見る。するとツカツカとハイヒールの音を鳴らしてアイラが歩み寄ってきて--パシンッ! 彼女は平手で軽く少年の頬を叩いた。


「な……!?」


 突然のことに、叩かれた頬を赤くしてアイラを見上げるジョルジュ。彼女は少年の目線までしゃがむと、彼の手を取り言った。





「甘えてはダメ。他人を言い訳にして逃げるような子どもは私たちの旅には要らない」





 冷たい言葉の響きに、彼の目は少しだけ涙ぐむ。


「でもっ……僕つらいんだ! これからどうなるかも分からないキッシュにいるのがつらい……」


 顔を真っ赤にして涙を拭う少年の表情を見て、アイラはふぅとため息を吐くと、彼の頭を撫でてやった。


「大丈夫。あなたには家族のように大切に想ってくれる人がいるでしょう。その人のためにここで頑張りなさい。じゃないと後悔するわよ……私みたいにね。その方がとってもつらいんだから」


「私みたい、って?」


 ジョルジュが問うと、アイラは目を伏せる。長い睫毛まつげの奥に隠れた灰色の瞳はどこか遠くを見ているかのようだった。彼女は囁くような小さな声で答えた。


「私もあなたと同じように戦争孤児だった」


「え……?」


 ジョルジュの声が掠れる。アイラの憂いを帯びた表情が、胸に痛く突き刺さるかのようで声がうまく出なかったのだ。


「昔ね、大事な人の言うことをちゃんと信じてあげられなくて、その人を失ってしまった。もうずっと前のことなのに、今でもその後悔に引きずられている……。私の旅は、失ってしまったものを取り戻すための旅なの。ルカも、ユナもそう。私たちは足りないものがあるから旅を続ける。でもジョルジュ、あなたは違うでしょ。あなたの大切なものはここにある。そのことから目を背けてはダメ」


 ジョルジュは肩を落とし、再びうつむく。その目からはぽろぽろと雫が零れ落ち、石畳の工房の床を湿らせた。


「……ごめんなさい」


「分かればいいのよ。また会いましょう、ジョルジュ。その時には立派な職人になっていることを期待してるわ」






 荷物をまとめ、ルカたちはファブロの家の裏口の方へ出た。すると「ちょっと待ちな!」という声が聞こえた。ファブロが追ってきたのだ。


「ファブロさん? 職人たちの相手は大丈夫なのか」


「ああ、あんまりにも話が長いんで用を足すと偽って席を外してきたよ。挨拶もなしに行くなんてねぇ」


 ファブロはムッと口を尖らせて左の拳でルカを小突いた。


「すみません、これ以上いたら迷惑になりそうだったから」


 ルカが答えると、ファブロは首を横に振った。


「謝りたいのはこっちの方だよ。あんたたちにはこの街の目を覚まさせてもらったってのに、まともに礼もできず追い出すみたいな形になっちまった。すまないね」


「気にしないで。義賊だもの、そういう扱いには慣れてるわ」


「いや、このままじゃキッシュの名折れだ。せめて安全にこの街を出られるように手配するよ。次は一体どこに向かうつもりなんだい」


「アルフ大陸西部よ。ブラック・クロスの他のメンバーと合流してその辺りを調査することになっているの」


「そうかい。ならヌスタルトの裏側にあるウエストゲートから出るといい。あの門なら人通りも少ないし、方角的にも近道になるはずだからね。念のために信頼できる人間を見張りに立たせておこう。商人街や港の方では逆恨みした奴らが自主的に検問をやってるらしいから、なるべく寄らないようにしておくれ」


 ファブロはそう言うと、部屋の中へ合図を送った。ジョルジュが話を聞いていたらしい。彼はその合図を見て取ると、走って街の中へ消えていった。


 家の中からはしびれを切らした職人がファブロを呼ぶ声が聞こえてきた。肩をすくめるファブロに、ユナは尋ねた。


「これから商業派の人たちはどうなるんでしょうか? 彼らが困ってるのは、私たちのせいのような気もしてきて……」


 すると彼女はいつものように豪快に笑った。


「まぁなんとかなるさ! この程度でくたばるほどキッシュの職人たちはヤワじゃないよ。あんたたちが気にする必要はない、この街のことはこの街の人間に任せな」




「--その通り。このガザ=スペリウス様もいるしな」




 大柄な男が手を振りながらこちらに向かって歩いてくる。脇には丸めた羊皮紙を抱えていた。


「ガザ! 何してたんだよ今まで」


「ちょっと工場の中を見るついでに登録商人ギルドの支部に寄ってきてな」


 ガザはルカたちのところまでやってくると、バッと羊皮紙を広げた。設計図だ。その間取りには見覚えがある。再起の工場・ヌスタルトのものだった。


「ヌスタルトの機械を上手いこと組み直して、対破壊の眷属けんぞくの武器を製造できるようにしようと思うんだ。さすがに資材に破壊の眷属を使うわけにはいかないが、コーラントで触媒と言われるような眷属の力が宿る鉱石を使えば同程度の強度が出せるだろう。貴重な資材だから、どうやって仕入れを安定させるかは考えないといけないがな」


 設計図を受け取ったファブロは、その図面を見て大きく舌打ちした。


「この短時間でよくもまぁここまで考えたものだね。頭は鈍っちゃいないってことかい」


「ハッハッハ! この間は"私には敵わない"とかなんとか言ってたよな。前言撤回するか?」


「はんっ、それでも町長代理はこの私だよ。確かに工場を再稼動させれば職人たちもまた仕事にありつける。だが工場改築の許可はどうするんだい」


「敷地の権利を持ってるのは登録商人ギルドだったから、さっき支部で話をつけてきた。製造品の販売ルートの管理をギルドに預けるんなら問題ないってよ。あちらさんも金になる話なら喜んで乗ってくれるそうだ。ま、アランが設計した工場を勝手に改築するとなると、またヴァルトロには嫌われそうだけどな」


 ガザは羊皮紙を畳み直すと、ルカたちに向き直って言った。


「安心してくれ、キッシュは俺とファブロで立て直してみせる。お前たちにはお前たちのやることがあるだろ。--さぁ、行って来い!」


 大きな手にぐいと背中を押される。この力強さがきっとこれからのキッシュを支えていく。商業派も技巧派もなく、『終焉の時代ラグナロク』を生き抜くための道具を作っていく。その様子を見届けられないのは少し残念だが、それ以外にこの街に思い残すことはもうない。ルカたちはガザに押されて少しよろけながらも、次の目的地への一歩を踏み出した。






 ウエストゲートには松葉杖をついたキャラメル色の髪の青年が立っていた。顔は殴られた跡でまだ腫れていたが、血色は随分良くなり本来の優しげな顔つきに戻っていた。彼はゲートに向かってくる義賊の三人に気づき、彼らに向かって頭を下げる。




「皆さん……ありがとうございました」




 ルカはすれ違いざま、フレッドの肩をポンと叩く。



「もう一人で勝手に死のうとするなよ。いつかまた会おう、フレッド」



--それはまるで、自分自身にも言い聞かせるかのように。




 三人は振り返らないまま職人の街を後にする。フレッドは街道を進む彼らの姿が小さくなるまで、頭を下げたまま見送った。背後には心地よい金槌の音が微かに響いていた。







*mission3 Complete!!*

三章完結、ここまでご愛読ありがとうございます。

四章構想のため、二回分更新をお休みします。

次の更新は7/13(水)です。お楽しみに!





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る