mission3-32 煙突の塔



 ファブロの工房を出ると、ユナは職人街の中央あたりに向かって歩いて行った。道を挟んで所狭しと並んだ職人の工房から金槌の音が小気味よく響く。空は驚くほどに快晴。宙には小さなすすが時折舞って風に流されていく。


 キッシュの中で一番背の高い建物・煙突の塔。ユナはその真下まで来ると、本来ならば煙突の排気口である最上部に取り付けられた展望台の方を見上げた。朱のバンダナがひらひらとなびいているのが見えた。


「--ユナ? 良かった、目が覚めたんだな!」


 展望台の方から青年の声が聞こえる。ユナは頷くと、声を張り上げて返事をする。


「ちょっと待っててー! 私もそこまで昇るからー!」



 煙突の塔の中は螺旋階段になっていた。レンガの壁に閉ざされ、薄暗くひんやりとしている。入り口付近に立てられた看板によると、かつてこの街で伝説の鍛冶屋と呼ばれたヴェルンド=スペリウスが存命だった頃、この中はごうごうと火の粉が舞い、武器を作る職人の熱で満たされていたのだという。実際に建物の中に入ってみると、塔と表現する方がしっくり来る広さと高さだ。これが煙突であるということはにわかには信じがたかったが、ガザやアランの師匠と言われる人物はそれだけ豪快な男だったのだろう。


 百段以上はある螺旋階段を登り終えた時、すでに展望台にいたルカがくるりと振り返った。


「よ。その階段けっこうきつかっただろ」


「はぁ……はぁ……うん、私、自分が目を覚ましたばかりだってこと、忘れてた……」


「ははは。よくわかったな、おれがここにいるって」


「なんとなくね……ジルさんと会ったのがこの辺りだったっていうのもあるけど--頭の中がごちゃごちゃしている時は、こういう景色を見たいなって」


 ユナは展望台のへりにもたれかかっているルカの隣まで歩み寄る。そこからはキッシュの街並みが一望できた。


 手前は職人街、まるで林の木々のように煙突が立ち並ぶ。ファブロの工房もよく見えた。その煙突からはうっすらと煙が立ち昇っている。北西の方角にはヌスタルト。外から見てもやはり煉瓦造りの街並みには少し不似合いな近代的な建物だ。人気はなく、入り口は閉鎖されているようだった。北東には中央広場、そして商人街が広がる。インビジブル・ハンドのある”衰えぬ金脈ゴールドラッシュ”通りは、夜の賑やかさが嘘のように静まりかえっているようだ。東部のゲートの向こうには自分たちが抜けてきたスウェント坑道につながる山道が見える。商人街の先は港だ。アルフ大陸の中では有数の大きな港で、ルカたちが初めにコーラントに来た際にはあの港を使ったのだという。




「あのさ」「あのね」




 顔を見合わせ、二人は吹き出した。



「ルカからどうぞ」


「えっ、いいのか」


「うん」


「じゃあ聞くけどさ……ジル、いや--銀髪女シルヴィアのことどう思った?」


 短く切り揃えられた栗色の髪が風に吹かれて自在に舞う。それを押さえるように片側の髪を耳にかけながらユナは答えた。


「正直、未だに信じられない。ジルさんのこと、素敵な人だなって思ってたんだ。優しくて、子供想いで、純粋で」


「ああ。本当にミトス神教会のシスターだと思ったもんな」


「でも」


 ユナは一瞬言いよどむ。




「やっぱりその……人を殺すのはどんな理由があってもいけないことだと思う」




 それは、隣にいる金髪の青年を言い表す事でもあったから。



「分かってる。罪は罪だ。おれだってチャラにする気はないよ」



「……ごめん。だけど、ルカのことを嫌いになったわけじゃない。確かにね、ちょっと怖いなとは思ったよ。でも、だからこそ、もっと知らなきゃと思った。今までは私がルカのことを知ろうとしなかっただけなんだって」



 ルカは「そうか」と呟いただけだった。ユナは遠いキッシュの港の海を見ながら続ける。



「だからなのかな……あの人に対しても同じことを思うんだ。アンゼルを刺したことや私たちを騙したことは許せない。だけど、不思議と嫌いになれないの。……こんなの、変かな」



 ユナは展望台のへりに向かってうなだれる。ルカはその肩の上にポンと手を置いた。



「分かるよ、おれもそう思う。銀髪女がもし噂通りの狂人だったならおれたちはここにはいないはずなんだ。だけど、あの人はおれたちを殺さなかった。それができるだけの体力は残っていたはずなのに」



 ルカにとっては、行方不明の男が見つかったと知った時の、一瞬だけ見せた銀髪女の表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。



「ブラック・クロスは大嫌いって言われちゃったけどさ、やり方が違うだけで考えていることはおれたちと一緒なのかもしれないな」


「破壊神を、止める……」



 ユナはスカートのポケットに入れてきた薄桃色の神石を取り出す。腕輪から外れ、むき出しとなった九つの小さな石は相変わらず優しげな色をたたえている。



「あの人が言っていたことは本当なのかな。破壊神が神石と共鳴した人間だなんて」


「……それは分からない。おれだって初めて聞いた。それまで破壊神ってもっと目に見えないような存在だと思っていたんだ」



 破壊神を止めることで、『終焉の時代ラグナロク』が終わる。世界中の人が創世神話を通じて知っている常識。言葉にすればいたって単純だ。しかし、その実は謎に包まれている。破壊神がなぜ生まれ、どうすれば止められるのか--その答えを知る者がいないからこそ、七年もの間人々は終末への恐怖にさらされ続けているのだ。



「俺たちはこのままでいいのかな。ヴァルトロはどんどん力をつけているし、銀髪女だって神石を持つ人のことを狙ってくるだろ。あいつらに対して出遅れるような気がして不安でさ」


「私たちも少しずつ前に進んでるんじゃないかな。ルカだってクロノスの新しい力を使えるようになったじゃん」


 ユナにそう言われ、ルカは胸元の黒の十字を握りしめる。


「新しい力、か。あいつ--ジーンは、ピンチの時くらいしか出てくるつもりがないんだろうな。目が覚めてからずっと呼びかけてるけど返事がないんだ」


「やっと声が通じるようになったのにね。ミューズたちもなんだか静かだよ。みんな腕輪がなくなって調子が出ないみたいでさ」


 するとルカはハッとして、慌ててユナに向かって頭を下げる。



「ごめん、これを先に言わなきゃいけなかった。ユナ……悪かった。おれが不甲斐ないばっかりに、大事なお母さんの形見を……」



 すっとユナの手がルカの肩に触れる。ゆっくりと顔を上げると、ユナは首を横に振った。その顔は穏やかな微笑みを浮かべていた。



「いいんだ。ちょっと寂しくなるけど、ルカの事を守れたから、それでいいの」


「無理してないか」


「大丈夫、おかげで決心もついたし」


「決心?」


「うん、実はこれが言いたかったことなんだけど、私--」





「ルカ兄ちゃーん! ユナ姉ちゃーん! ガザが呼んでるよー!」





 煙突の塔の下でジョルジュがこちらに向かって叫んでいた。ユナはふっと笑って、螺旋階段の方へ向かう。



「行こっか。また後で話すね」


「ん? ああ」




 ルカは首を傾げてみたが、それでユナの言いたいことが推し量れるほど彼は器用でもなかった。考えるのはやめて、ユナの後を追い螺旋階段を降りていった。



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