mission3-31 立ち直る職人街



「ん……」



 温かい日差しをまぶたの外に感じ、ユナはゆっくりと身体を起こした。清潔な白のベッド以外、ごちゃごちゃと酒瓶が散乱している部屋。見覚えがある。ここはファブロの部屋だった。取り付けられた窓から外の様子を覗く。陽はすでに高く昇り、賑やかな街の様子が伺える。工場の方を見やると、煙突から煙は出ていなかった。代わりに、職人街の通りを歩く人々が以前よりも増えたような気がする。


(やっぱり、夢じゃなかったんだよね)


 あの夜、アキレウスに斬りつけられた右腕はぐるぐると包帯が巻き付けられている。幸い傷は深くはなかったようだ。指先までちゃんと感覚がある。……が、いつも手首のあたりにあったはずの真鍮の冷たい感覚はどこにもなかった。腕輪にはめられていたはずの薄桃色の九つの神石だけが、ベッドの傍らに置かれていた。


(お母さんからもらった腕輪……割れちゃったんだった)


 悲しくない、と言ったらさすがに嘘になる。遠い日に死に別れたはずの母。しかしいつも見守ってくれているような、そんな感覚でいられたのはあの腕輪があったからこそだった。この右腕の軽さにはしばらく慣れないだろう。だが今、不思議と胸の内に隙間はない。守られるだけじゃなくて、初めて他人を守ろうと思った。その想いを支えてくれた真鍮の腕輪。形こそなくとも、ようやくかつての母の気持ちと通じ合えたような気がして。




 ユナは辺りを見渡した。部屋には他に誰もいない。ベッドから起き上がり、寝着から枕元に置かれていた洋服へと着替えた。新品に近いブラウスと赤いキルトのスカート。が、少しユナにとってはサイズが大きく裾をまくらなければいけなかった。おそらくファブロのものなのだろう。


(ルカたちはどこに行ったのかな)


 部屋を出ようとすると、一階の方から声が聞こえてきた。




「--こンの馬鹿弟子が!」




 ファブロの怒鳴り声である。部屋から出るに出られず、ユナは扉のそばでそっと聞き耳を立てた。




「お前がアンゼルに従ったことで、一体どれだけの人に迷惑をかけたと思ってるんだ! 私の腕のことは自業自得もあるから別にいいさ。だがね、お前にそそのかされてわざわざ工房を畳んでまでヌスタルトの工員になった職人もいる。それにもともと“陶芸通り”で工房を開いてた男なんざ、お前に殴られた怪我でしばらくは仕事ができないそうじゃないか! 彼らのこと、一体どう責任取るつもりなんだい!?」


「……ごめんファブロ。言い訳をする気はないよ。全部僕がやったことだ。一生をかけても罪は償う--」


「ああああもう分かってない! そうじゃないよフレッド!! こんなにボロボロになってもまだ気づかないのかいお前は!!」


「おいファブロ、フレッドはまだ病み上がりなんだ、今日はその辺で」


「うるさい! ガザは黙ってな!!」


「お、おう……俺も一応病み上がりなんだが……」


 ガザはすごすごと口をつぐむ。


「”気づかない”って何を? いつまでも子供扱いしないでよ。これは僕の問題なんだ。ファブロもジョルジュも巻き込まずに自分で解決したかった。あと少しでそれが上手くいったはずなんだ」


「……本当に馬鹿だねぇ、お前は」


 嘆くようなその声は、いつも豪快な彼女らしくなく少し掠れていた。





「どんなに年を取ろうが、血が繋がってなかろうが、うちを出て行こうが--お前はずっと私の子なんだよ、フレッド」


「……!」





「だから、もっと私を頼りなさい。今更カッコつけようったって無駄だからね。残念ながら私はお前が寝小便をしていた頃から知っているんだよ。何を恥じる必要がある? どうしようもなく惨めな時こそ頼る相手が親ってもんじゃないのかい」


「……」


「アイラに聞いたけど自ら死のうとしたんだってね。まったく、百年早いっての! せめて私よりも長生きしてからそういうことを考えな。私はまだ、お前を育てた貸しを返してもらってないんだから」




 かすかに嗚咽が聞こえてくる。




「……言っておくけど、寝小便をしたのはジョルジュだから。僕は、してない」


「ああそうだったっけ。だけど思い出したよ。お前は元来泣き虫小僧だったねぇ」





 フレッドのすすり泣く声とファブロの優しい声に、ユナまでも目頭が熱くなった。


(ファブロさん……かっこいいなぁ)


 家族水入らずの時間を邪魔するわけにもいかず部屋を出るタイミングを失っていたところで、ノック音とともに扉が内側に開いた。


「あらユナ、目を覚ましていたの?」


「アイラ!」


 どうやら替えの包帯を持ってきてくれたらしい。アイラはユナがすでに着替えているのを見て、安堵したように微笑んだ。


「ちゃんと回復したようで良かった。あなた、三日も寝ていたのよ」


「三日も!?」


「ええ。怪我もそうだけど、よほど疲れていたのね」


 そう言われて、ユナは昨夜……だと思っていた、三日前の夜のことを頭に浮かべる。確かにあの日は色々あった。慣れない格好をしてインビジブル・ハンドに潜入したり、ルカの過去のことを知ったり、四神将のアランが現れたり、それに、ジルが--




「……アンゼルは?」




 アイラは首を横に振る。


「私があの部屋にたどり着いた時にはすでにこと切れていた。この三日の間に彼の葬儀が行われて、次の町長はまだ決まってないからそれまでファブロが代理を務めることになったわ。ヌスタルトとアンゼルの本性を知った商業派の職人たちも、これからどうするんだって皆混乱している。キッシュはこれからが大変ね」


「そっか……。私にもう少し力があれば、こんなことには……」


「何を言っているの。あなたは神器もない状態で充分力を使ったでしょう。嘆くのはやめて。私はあなたに感謝しているんだから」


「え?」


 えんじ色の髪がふわっとなびく。ユナはその光景に目を見張った。アイラがユナに向かって頭を下げたのだ。


「ガザを助けてくれてありがとう。あなたのおかげで大事にはならなかった」


「や、やめてよ。私にできることをやっただけだし、それにアイラやルカにだっていつも助けてもらってばかりだよ」


「それでも、もし彼に何かあったら私は冷静ではいられなかった。ガザは……私を救ってくれた人なの」


 アイラはゆっくりと顔を上げる。


「私の故郷はスヴェルト大陸だって言ったわよね。二国間大戦の戦場……七年前、私はそこで全てを失った。大切な人も、家も、思い出も全て。茫然自失という言葉がぴったりだったのでしょうね。先のことなんて何も考えられなかった。頭に浮かんでくるのは失った過去のことばかりで。そんな時にガザに出会ったの。私に無理やり食事を与えて、いろんな所へ連れ回された。そうしているうちに、なんだかこうして生きるのも悪くないと思えてきてね。ノワールとはその旅の中で会って、ブラック・クロスに加入することになった。今の私が在るのは……ガザのおかげなの」


 ベッドの枕元に置いてあるミューズの神石を手に取ると、ユナの手に握らせる。


「あなたがいてくれて良かった。だから必要以上に自分を責めなくていい。銀髪女シルヴィアのことは、正体に気づけなかった私にも責任があるのだから」


「……ありがとう、アイラ」


 胸の内にじわりと安堵が広がる。アンゼルを目の前で死なせてしまったことへの後悔は拭えないけれど、自分が神石の力を使ったことは、決して無駄ではなかったのだと。


 アイラはふっと微笑むと、「そうだ」と思い出したように言った。


「そう言えば、ルカも少し前に目覚めて、気分転換とか言って散歩に行ったわよ」


「私より先に? あんなに怪我して、体力も使い果たしてたのに」


「あの子は怪我の治癒にも能力を使うから回復が早いのよ。ルカもアンゼルのことは気にしていたわね……何もできなかった、ってぼやいていた」


 それはそうだろう。アンゼルのことだけでなく、銀髪女自身に対しても気にかかることはたくさんある。やろうと思えばルカもユナも彼女の手にかかっていたはずだった。それなのに今こうして息をしている。どこまでがジルで、どこまでが銀髪女本当だったのか。本人に聞かなければ分からないのかもしれないけれど。


「私、ルカと少し話がしたいな。外に出ても良い?」


「ええ。あなたが目覚めたら見せたいものがあるってガザが言っていたから、夕方頃には戻ってきて」


「うん、わかった」

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