mission3-29 明かされる正体



--パサリ、ファサ……カラン。




 ジルは……いや、女スパイ・銀髪女シルヴィアはウグイス色の修道着を脱ぎ捨て、丸眼鏡を床に放った。レンズはない。伊達だったらしい。ショールに覆われていた首元には首輪のような形をしたチョーカーが現れた。黒いタンクトップとショートパンツにスパッツという涼しげな格好になり、パタパタと手であおぐ。


「はー、やっとこの格好ともおさらばできる。暑苦しかったんだよねぇ、このローブ。ま、おかげで君たちはまんまと騙されてくれたみたいだけど」


 ルカに体重を預けることでかろうじて立っていたユナは、目の前で起きていることのあまりの衝撃にへなへなと力が抜けてその場に座り込んでしまった。


「ジルさん……だよ、ね?」


「んん? だからジルは偽名だって。コードネーム・銀髪女シルヴィア……それがあたしの本来の呼び名」


 銀髪女はにっこりとユナに微笑みかける。ジルを装っていた時とそのまま同じ、邪気のない笑顔。それゆえに彼女がいきなりアンゼルの胸を刃で刺したという事実がうまく飲み込めない。


(そんな、ジルさんがまさか……銀髪女……?)


 ユナに現実を突きつけるかのように、銀髪女の手には白銀しろがね色の光をまとった剣がしっかりと握られている。刀身にべっとりと付いた血が銀髪女の醸し出す軽やかさとはまるで対照的で、一層不気味さを際立たせていた。




「どうしてアンゼルを……」




 ルカは再び神器を発動し、大鎌の柄にもたれかかるようにして立つ。この場にいる誰の目からしても、彼にそれを振るうほどの力が残っていないのは明らかであった。それでも立ち上がる青年を、銀髪女は黒目がちの眼を細めて興味深げに見つめる。


「なにかおかしい? さっきまでは君がこのおっさんに対して掴みかかってたじゃん」


 そう言って皮のブーツで倒れているアンゼルの頭を踏みつけた。ほんの少し前まで勝利を確信していた男はもう息をしていない。


「……やめろよ……」


 ルカはよろよろと銀髪女に近づき、大鎌の切っ先を突きつけた。銀髪女の顔は一瞬真顔になったが、すぐにぷっと吹き出した。


「ふふふ……あはは……」


「おい、その足をどけろって!」


「あー……これ?」


 目が合ったと思った時にはもう遅かった。銀髪女はすっと体勢を低く落としてルカとの間合いを詰めると、先ほどまでアンゼルの頭の上に置いていた足で素早く回し蹴りを放つ。全身の末端まで力を込めるほどの体力が残っていないルカは、あっけなく倒れこんだ。


「ルカ!」


 ユナにも駆け寄れるだけの体力が残っていない。最後の体力は自分が負った傷の治癒に使ってしまったのだ。銀髪女はそんな二人の様子を見て腹を抱えて笑う。


「あっはっはっは! あーおかしい! ねぇ、君たちそれでも本当に義賊なの? あっはっはっは……」


 彼女は笑いながらしゃがみ込みアンゼルの手の中に握られている木箱を開ける。中に入っているのは橙色の『契りの神石ジェム』。




「これだからブラック・クロスの連中は……甘っちょろくて吐き気がするんだよ!」



--ピキッ……



 一瞬、何が起きたのか分からなかった。


 銀髪女がまだアンゼルの血がついたままの光の剣を両手で持ち、切っ先をその神石に向けてまっすぐ突き刺したのだ。白銀色の光をまとう剣が橙色の石に触れた時、神石は真っ二つに割れた。そして、まるで炎のように灯っていた橙色が消え、ねずみ色のただの石ころとなってしまった。


(う、嘘だろ……? 神石が、破壊された……?)


 かすかに聞こえていた神石の声がパタリと止む。ルカは自分の心臓の鼓動が早まるのを感じた。それはまるで警鐘のように。


 神石を破壊するなんて聞いたことがない。神が宿る石は普通の鉱石とは違う。高いところから落としたり、金槌で叩いたりしても基本的に欠けることはない。今まで戦ってきたヴァルトロ四神将でさえ、神石を直接狙ってきた者はいなかった。破壊することなどもってのほか、神石は『終焉の時代ラグナロク』を止めるための鍵として、誰もが求めるべきもののはずだからだ。


--それなのに、躊躇なく。




「『終焉の時代』の元凶ってなんだか知ってる?」



 銀髪女は剣を納めないまま、つかつかとルカの方へと歩み寄る。



「元凶……? 破壊神だろ、そんなの誰でも知ってる--」


「そう、破壊神! 君たちもその破壊神を止めたいクチなんでしょ? だったらこんなおっさんの息の根止められなくてどうするのさ? !」



「「--っ!?」」


 言葉を失う二人を見て、銀髪女はやれやれと首を横に振った。


「なーんだ、知らなかったのかぁ。まぁ、そりゃそうだよねぇ。七年前、世界中に告げられたのはマグダラの預言だけじゃなかった。破壊神が元人間だってことの箝口令かんこうれいも出されたんだ。そうじゃないと、みんなびびって神石を扱おうとしなくなるからさ、『終焉の時代』を止められなくなるってわけで」


 銀髪女は「でも」と言って続ける。


「破壊神を倒すにはたった一つの神石でも十分事足りるんだよね。例えばあたしのヴァルキリーみたいに」


 そう言ってガバッと倒れているルカの上に跨った。白銀色の光に覆われる剣の切っ先を彼の顔に向けて構える。




「あたしの目的はすべてを破壊すること。ヴァルトロも、ブラック・クロスも、ぜーんぶ大嫌いなんだ。あんたたちが神石を持っているとかえって災いになる。だから、あたしが審判者になってあげる」




--見極めよ……清きを助け、悪しきを罰す……




 声がしたかと思うと、銀髪女の剣の柄にはめられた石が白銀色に輝きを増す。銀髪女はにっこりと微笑んで押さえつけているルカを見下ろした。





「じゃあね、時の神の共鳴者--」


「ルカぁぁぁぁぁっ!」




 ユナの悲鳴が響く。が、ルカはまばたき一つせず上に乗る女の目を見てぼそりと言った。





「……ジルさんが探してた子どものお父さん、見つかったよ」




 ピタリ。まっすぐに振り下ろされるはずの剣が動きを止める。




「あの人見つけるために走って探し回ってた……あれも、偽りの姿だったのかよ」




 刀身についた血が滴となってルカの服の上に落ちる。銀髪女の表情からは先ほどまでのにこにことした笑みは消え、真顔のままルカを見下ろしていた。



「……そっか、見つかったんだ」



 ぼそりとそう呟くのが聞こえ、ルカにかかっていた体重がすっと軽くなる。銀髪女は剣を納めて立ち上がった。



「……今日のところは見逃してあげる。あたしももう疲れたし、なーんか興が削がれちゃった。また今度ちゃんと壊しにいくよ、君たちの神石をね」


「待てよ……質問に、答えろよっ……!」




 ルカの問いかけを無視したまま銀髪女は壁際まで歩き、応接間の窓を開けた。風がわっと入ってきて、彼女の銀の髪をなびかせる。窓のさんに腰掛けると、またあの無邪気な笑顔で言った。



「世の中には神石と共鳴しない方がいい人間だっているんだよ。君なら分かってくれると思うんだけどな--ルカ・イージス」




--カッ!



 白銀色の光が弾け飛ぶ。一瞬にして銀髪女の姿は消え、窓から入ってくる風にゆらゆらとカーテンが揺れていた。






 しっとりとした夜風のにおいと、応接間に充満する血のにおい。銀髪女の存在は、醒めない悪夢のようにルカたちの胸の内にずしりとのしかかる。


 外は少しだけ明るくなり始めていた。長い夜が明ける。まだ、何一つ解決はしていないというのに。



(アンゼルのこと、ヴァルトロの兵器のこと、フレッドのこと、銀髪女のこと……それに、破壊神のことだって。何なんだよ……くそっ)




 ルカは強く床を叩いたつもりだった。しかし、思いのほか力が入らず音は響かない。もう体力の限界だ。




“馬鹿者、まずは休め。考えるのはそれからにしろ”





 ジーンの無愛想な声が頭の中で響く。それを聞くと同時に、ルカの意識は途切れたのだった。





***





 キッシュの街の屋根の上に腰掛ける銀髪の女。その背後にすっと人影が現れた。アシンメトリーの猫毛で、ボーイのような格好をした青年。


「お疲れ様でした、


 銀髪女は眉間にしわを寄せて振り返る。


「ウーズレイ……外ではその名で呼ぶなって言ってるでしょ」


「おお、それは失礼しました」


 そう言いつつも、全く悪びれずににっこりと微笑んだ。その物腰柔らかな仕草は決して役作りのためのものではない。彼の生まれがそうさせる。それを知っている銀髪女は、ますます顔をしかめて彼をなじる。


「君、インビジブル・ハンドで余計なことをしたでしょ。女の一人を銀髪に染めさせるなんてね」


「別にあなたの不利益になるようなことをしたつもりはありませんよ。それに、嘘をついたわけでもありません。銀髪の女性をお慕いしているというのは、本当のことですから」


 整った顔でさらっと言ってのける青年に、銀髪女は深いため息を吐いた。


「……君と喋ると調子が狂うよ」


「褒め言葉、ととらえておきます」


「そういう無駄に前向きなところが腹立つ」


「ありがとうございます」


「……もういい、黙って」


「それより、今回の神石は」


「あ、喋ったね」


「すみません、ですが」


「別にいいよ。そのことはあたしも伝えとこうと思ってた。あの神石はたぶん偽物だと思う」


「!? そんなことが……」


「あれはきっとヴァルトロのアランの仕業だなぁ。手応えがいつもと違ったんだ。なんていうか、妙に反動があったというか。前に破壊した神石もアランが目をつけてたやつだったらしいし、もしかしたらおびきだされたのかも」


 銀髪女は自分の両手を見る。アンゼルの神石を破壊してからというものの、手がジンジンと痺れてなかなかおさまらない。ウーズレイは顎に手を添えながら言った。


「マークされているということでしょうか。それだとやりづらくなりますね」


「うんにゃ、関係ないよ。どんな奴に睨まれようが、あたしはあたしの使命をやり遂げるだけ。どうせ全部壊さなきゃいけないんだ。それが後だろうが先だろうが一緒だってことだよ」


 銀髪女は立ち上がる。彼女は小柄だが、その背はいつでも凛々しくしたたかだ。幼い頃より互いを知っている関係であっても、前にも横にも並ぶことなく、常に彼女の後ろで支える存在でいたい。後ろ姿を見るたびにそう思わされてしまう。


 ウーズレイは感嘆を込めて呟いた。




「やっぱりあなたはすごいお人だ、ターニャ・バレンタイン」


「だからその名で呼ぶなって言ってるでしょ」




 彼女の腰に差された剣から、まばゆい白銀の光が散る。その一瞬の間に、二人の異邦人は職人の街から姿を消したのであった。




***




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