mission3-28 生き抜く意思




「……ソニア・グラシールとどんな関係か、ですって?」


 アイラの表情が変わる。動揺したわけではなかった。むしろ、彼女は余裕の笑みを浮かべ、くすくすと笑った。その様子に、アランは眉間にしわを寄せる。


「何がおかしい! 誤魔化しても無駄だぜ。キリから話は聞いている。アイツ、コーラントで命令を無視してあんたを見逃したんだろ?」


「さぁね……彼が私に惚れているとか、そういうことじゃないの?」


「チッ! 馬鹿にしやがって!」


 アランはぐっとアイラの前髪を掴む手に力を込めようとした。が、一瞬怯んだ。アイラの表情の色がまた変わっていたのだ。それはまるで、この世の全てを憎んでいるかのような恐ろしい形相で、刺すような視線で瞬き一つせずこちらを見据えてきていた。




「あなたみたいな人には分からないでしょうね……だから、土足で踏み込んでこないでちょうだい。けがららわしい」




--カッ!!




 アイラの全身が黄色の眩い光に覆われる。目を開けていられない。


「ぐっ……なんだ、これは……!」


 アランは一旦身を引く。その隙にアイラは自身の神石に向かって語りかけた。


(ルカにできたのなら、私にもできるはずよ……! 全身の自由をあなたに任せるわ。それなら神経毒に関係なく動くことができる)


“承知した。が、残りの体力はそう無いぞ。一分もつかどうか”


(それだけあれば大丈夫よ。一発で終わらせる……!)


 黄色の光が一層強くなる。アイラの全身を巡る血管から発光しているのだ。神経毒などなかったかのように彼女はゆらりと立ち上がる。


「ヒャハハハハ! まさかここまで神石を扱えるとはな! 正直舐めていたよ! だがそれが何だ。俺の神器の前ではその悪足搔わるあがきもムダに……!?」


 アランは自分の左腕、機械化された神器に目をやる。さっきから力を入れているのに動かないのだ。ハッとしてアイラに向き直ると、彼女はふっと笑った。


「ああそれ、砂塵防止処理をしておいた方がいいわよ。さっきあなたに弾かれた銃弾、全部砂にして隙間に入り込ませてもらったの」


「なん、だと……!?」


「じゃ、あとはよろしくね、セト」


 そう言うと同時に、アイラの瞳が灰色から黄色に変わる。


「ああ、任せておけ」


 元の声のまま全く異なる口調で呟くと、アイラ--の身体を借りたセトの意識--は双銃をアランに向かって構えた。両手離して構えるのではなく、二つの銃身をピタリと合わせた状態で。銃にはめられた神石が煌々と輝く。やがて双銃は黒の液体のように宙に弾けてまた別の形へと収束する。今度は双銃ではなかった。肩撃ち式のロケット弾発発射器--バズーカだ。


「おいおいおいおい。まじかよ……」


 アランは苦笑いを浮かべ、動かなくなってしまった左腕をなんとか持ち上げ防御の姿勢を取る。アイラはバズーカを肩に乗せ、低い体勢でバランスを保ちつつ、照準を合わせる。




「砂漠の過酷さはその土地に生きた者のみが知っている--受けてみよ、”灼熱の砂嵐デザート・ストーム”!」




 銃口から熱を帯びた砂が吹き荒れ、アランに襲いかかった。砂塵が舞い、視界が悪くなっていく中でアランの狂気じみた笑い声が響く。



「ヒャハハハハハハハハ! 面白い、面白いじゃねぇか! こうでなくっちゃ張り合いがねぇ! もっと! もっとだ! もっと足搔いて神石の底力とやらを見せてくれよヒャハハハハハハ……」



 やがてアイラがその場で倒れ込んだことで、砂嵐は止んだ。体力切れだ。全身の光が消え、バズーカも元のピアスの形に戻る。意識を取り戻したアイラは先ほどまでアランがいた場所を見て目を見張った。


「いない……!?」


 そこには彼の左腕だけが残されていた。アランの身体は跡形もなく消えている。左腕にはめられていたはずの若草色の神石もだ。辺りを見回したが、痕跡らしきものは何も見つからない。しばらくして、また耳障りな笑い声が聞こえてきた。その声は残された左腕から響いているようだった。



「そこに実体としていられなかったのが残念だ。気づいてたか? さっきまでの俺は神器が映し出すホログラムだったのさ」


「!?」


「まぁ近いうちにまた会うだろう。その時はゆっくり話そうぜ、アイラ・ローゼン」


 そう言ってまた高笑いが響いて、パタリと気配を消した。それから左腕が動くことはなかった。


「あれが、ホログラム……?」


 アイラは苦笑いを浮かべ、床にうつ伏せた。ひんやりとした温度が、神経毒に侵されている身体に心地良い。


「もう、立ち上がる力も残っていない……ルカ、ユナ、ごめんなさい。少し休んでから行くわ……」


 床に落ちている砂をひとすくいして握りしめ、アイラはゆっくりと瞼を閉じる。脳裏に彼の姿を思い浮かべて。





「……ソニア……」






***





“ようやく耳を傾けたな。私の声に”


(お前、もしかしてクロノスか!?)


“……いや、私はクロノスではない。だが今はそれに近い存在になっているのだろう。時の神の眷属けんぞくのようなものだと思ってくれれば良い”


 ルカはゴクリと唾を飲み込む。突如頭の中に響いた声は、三年前に自分の目の前で死に絶えた少年の声と全く同じだったのだ。実際に姿が見えるわけではないが、まぶたを閉じて意識を集中すると、白髪で紫色の瞳の少年の面影が明確に浮かんだ。


(……死んだんじゃなかったのか)


“死んだと言えば死んだし、こうして意識が現世うつしよに留まっているのであれば生きているとも言えるのだろう。いかんせん、私自身どうしてそなたの中に留まっているのか理由が分からぬのだ”


 少年の掴みどころのない言い回しに、ルカは顔をしかめる。


(前から思ってたけどさ、おれと同い年だったくせに喋り方ややこしいんだよ。もう少し分かりやすく喋れないのか?)


“文句を垂れるな。この喋り方は生まれつきだ”


(ああはいはいそうですか。で、なんで今になっておれに話しかけてきたんだ。今はそれどころじゃ--)




“力が、必要なのであろう?”


(……!)




 ルカは黙って頷いた。眼前には限定解除によってさらに強化された一人の鎧と、アンゼルがいる。”音速次元”を使って体力をかなり消費しても、一体の鎧のパーツを破壊するだけで精一杯だった。アイラがここに向かってくる気配もない今、勝てる見込みはゼロに等しい。



(何か方法があるのか?)


“そなたはまだクロノスの力のごく一部を使っているに過ぎない……なぜだか分かるか”


(それは、おれが……)


“そうだ。そなたは生き抜く意思を持っていなかった。迷いがあったのだ。だから、力を託せなかった”


 少年の声は「だが」と続ける。


“ようやくその思いが吹っ切れたらしいな。三年もかかった”


(ちっ。悪かったな)


“そなたに新しい力を託そう。それがあれば、残りの体力でも太刀打ちできよう”




 頭の中が急にすっと開けていくような感覚がした。分かる。何をすればいいのかが、明確にイメージできる。自信とともに腕の震えがおさまってくる。ぐっと力を込めて大鎌の柄を握り直す。



--あ、そうだ。



 ルカは思い出したように、再び頭の中に意識を集中した。


(お前、クロノスじゃないんなら名前は何ていうんだ)


“? 聞いてどうする”


(どうするも何も、名前知らなかったら呼びにくいだろ)


 さも当然だと言わんばかりに返すと、頭の中でふっと笑う声が聞こえた気がした。


“……そういえばも同じようなことを言っていたな”


?)


“いや、今はいい。ジーン・クロノ--それが私の名だ”


(そうか。早速だけどジーン、力を借りるぞ!)






 瞼を開き、現実へと返る。ルカがそうしたと同時に大鎌の周囲に紫色の光が纏う。


「ほう? まだやる気かね、ルカ・イージス」


 ゆったりとソファに腰掛けるアンゼルが言う。目の前にはサーベルを再び構え直す黒の鎧。


「ああ……! おれにはまだやらなきゃいけないことがたくさんあるからな。悪いけど、こんなところで立ち止まるわけにはいかないんだよ」


「はっはっは、安心したまえ。君のことは殺さずに捕らえろと言われている。まぁ、生きてさえいればどんな状態でもいいらしいがね」


 アンゼルの持つコントローラーが黒の鎧の背に向けられる。ゴウン! 鎧の表面が一瞬光ったかと思うと、力強く跳躍した。人間わざとはかけ離れた跳躍力。限定解除が行われたせいか、工場の外で見た時よりも軽々と高くへ飛ぶ。


(こんな動き……中で鎧を着せられている奴にも相当な負担がかかるはずだ。あまり長引かせるわけにはいかない)


 空中で鎧はサーベルの切っ先をまっすぐルカに向けた。そのまま勢いをつけて切りかかってくるつもりなのだ。クロノスの力を使えば避けることはできる。だが、そこに力を使ってしまえば、もう残りの体力で反撃はできない。


(……イチか、バチかだ)


 ルカはすっと大鎌の柄を両手で持ち、落下してくる鎧を迎え撃つ体勢で目をつむった。力を神器に集中させる。大鎌にまとう紫の光は次第に強くなっていく。


「馬鹿め! 避けもしないつもりか!? アキレウスは今までの武器の強度を遥かに超える鎧だ! そんなもので捉えられるわけがあるまい!!」


 天井の方から聞こえる風の音が強くなる。鎧が落下体勢に入ったのだ。徐々にそれが近づいてくる。アンゼルの笑い声。風を切る音。そして、ジーンの声。


“クロノスの第二の力--それは、第三者の時間軸を自在に操ることだ”


 目を閉じていても、神石の光色が強まるのを感じる。


“だが、強い力にはそれに見合った代償が必要だ。この力は体力だけではなく、そなたの時間軸の自由を奪う”


 微動だにしてはならない。サーベルの先が頭上まで近づくのを感じながら、足が動いてしまわないようにつま先に力を込める。


”恐れるな--戦いの中で自らの時を犠牲にすることを。代償を支払う覚悟を持つ者だけに、この力を扱う資格が与えられるのだ”


(--ああ、もう迷わないよ)




 切っ先が大鎌に触れようとした時、深緑の瞳が鎧を射抜いた。


「--第二時限解放、時間軸転移タイム・シフト!」


「!?」




 アンゼルは思わずソファから立ち上がった。それまで微動だにしなかったルカが再び目を開けた時、青年に向かってまっすぐ切りかかっていたはずの鎧の身体が、ピタリとその場で動きを止めてしまったのだ。先ほどまで大鎌を包んでいたはずの紫色の光に覆われ、空中に浮いたまま身動きしない。アンゼルはコントローラーのスイッチを何度も押してみたがまるで反応はない。


「ど、どういうことだ……!? ありえんっ……! こんなことが、あるはずが……!!」


 敵の時間軸の自由を奪えるのはたった一瞬の間でしかない。だが、常人の力を超えた戦いの優劣を決めるにはその一瞬で事足りた。ルカは目を細め、動きを止めている鎧の背部、コントローラーの受信機に狙いを定めて大鎌をブンと振る。



--ガシャン



 受信機が破壊され、黒の装甲がばらばらと剥がれていく。中から現れたのは黒服を着た男だった。もう時間軸転移の効果は切れたはずだが、その場で倒れたまま動かない。気を失っているのだろう。



「うっ……」


 どっと力が抜け、ルカはがくんと膝を折った。


(やっぱ、音速次元より体力を使うな……)


 視界が霞む。ルカは倒れているユナの身体を揺すった。早くここを抜け出さなくては。ユナは朦朧もうろうとしてはいるが何とか意識を取り戻したようだ。自分自身ふらつきながら、彼女に肩を貸す。ジルやフレッドも連れて行かないと。二人の方へ向かいながら、ルカは俯向うつむくアンゼルに声を掛ける。


「おいおっさん……もう手は尽きただろ。悪いがあんたの企みは街の人にバラさせてもらうよ。あんたがやったことは、キッシュの人たちを傷つけた。町長失格だ」




「……、だと?」




 低い声でぼそりとそう呟くと、中年男は肩を震わせて笑い出した。


「ククク……ククククク……あーはっはっはっは!」


「な、何がおかしいんだよ」


「職人共の街の町長など……これほど不名誉な役職はない! 君たちは知らないだろうなぁ、登録商人ギルドの組織体制のことなど。我々は商業第一の組織だ。幹部といえど最前線の現場で金銭に触れるのが我々の矜持きょうじ! 自治区の政治など、閑職がやることに過ぎぬ!! --そう。そうだ。私は外されたのだよ! 幹部の重要なポジションからな! もう何十年もギルドのために貢献してきたというのになぁっ……! おかげで全て水の泡だ! だから、鼻を明かしてやりたかったのだよ! ヴァルトロと組んで! この街を利用して! 私の栄誉を取り戻すのだ!!!」


 アンゼルは狂ったように笑うと、背広のポケットから小さな木箱を取り出した。木箱の中から、橙色の光が漏れる。


「待てよ……それってもしかして……」


--キィィィィン!


 耳をつんざくような音が頭の中に響き、ルカは耳を押さえた。これは、覚醒を始めた『契りの神石ジェム』の声--




「残念だったなぁ、ルカ・イージス! 私の勝ちだ! 私の勝ちなのだぁぁぁぁぁぁぁ!」







「--ああ、やっと見つけた」







 この場に似合わぬ、緊張感のない女の声がした。その瞬間、ルカの目の前で血しぶきが舞う。


(何の……?)


 理解が追いつかなかった。アンゼルの持つ木箱の中の光が徐々に薄れて消えていく。彼の着ていた良質のスーツはみるみるうちに赤黒く染まっていき、アンゼルは口から血を吐いた。鉄の臭いと共に吐き出されたそれは、ルカの頬にも飛び散る。アンゼルの胸の中心からは光の刃が突き出ていた。やがてその身体はドサリと床に崩れ落ちる。小刻みに震えてはいるが、出血がひどい。もう長くはもたない。





「どういうことだよ、これ……」





 ルカはゆっくりと顔を上げた。アンゼルの身体の背後にいた光の剣の持ち主--それは、先ほどまで拘束されていたはずの丸眼鏡の修道女、ジル。




 視線が合うと、彼女はルカに向かってにっこりと微笑んだ。






「銀髪女にご注意をって、聞いたことない?」






 そう言って、返り血に濡れたフードを剥ぎ取る。そこに現れたのは、月光のように輝く長い銀髪であった。



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