mission3-19 血塗られた記憶



「ガザ!!」


 アイラは駆け寄り、自分が着ていたドレスの裾を切ってガザの腰の傷口に当てた。生々しい銃創だ。幸い急所は外しているようだが、出血量次第では命に関わる。傷口に当てた空色が爽やかな生地は、みるみるうちに赤黒く染まっていく。


(出血の量からして、ガザが撃たれたのはそう前のことじゃない。おそらくあのサイレン……銃声を消すために犯人が仕掛けたものね)


 ガザの傍らには凶器らしき拳銃が落ちていた。アイラは応急処置を済ませると、すぐそばでうずくまっている銀髪の女の服を掴み、顔を上げさせた。


「あなたがやったの? 銀髪女シルヴィア


「シルヴィア? 何それ……知らないわよっ……!」


 アイラは自分を落ち着かせるかのようにゆっくりと息を吐くと、ピアスを外し黒の拳銃に変化させた。銃口が向けられ、女は「ひっ」と悲鳴をあげた。


「とぼけないで。あなたは女スパイの銀髪女、理由は知らないけれど『契りの神石ジェム』に関わる人間を狙っているのでしょう」


 女はぶんぶんと首を横に振って涙声で言う。


「はぁ? スパイ? 何言ってるのよあんた……! わけが、わからない……!」


「じゃあ、あなたが銀髪女じゃないっていう証拠はあるの?」


「もう、本当に何なの!? 銀髪銀髪って……そもそもあたし、地毛はこの色じゃないし!」


 そう言って女は自分の髪の毛を一本抜いてアイラに突きつけた。根元の方が彼女の地毛らしい、濃茶色をしていた。パニックが極限まで来てしまったのか、女は泣き喚きながら言った。


「この銀髪はね、片思いしてる男が好みだって言ったから染めただけ!! ええそうよ、受付のウーズレイさんよ! あの人が銀髪が好きだって言ったの! もう、何で新人のあんたなんかにこんなことまで言わなきゃいけないのよ……!」


 確かにここまで取り乱すようであれば、噂で聞くほど着実に標的を仕留める女スパイだとは思えない。


(私も、冷静じゃなかったわね……)


 アイラが神器をピアスの形に戻すと、「う……」という唸り声が聞こえた。


「アイラ……やめろ、そのは犯人じゃない……その娘はたまたま……俺のところに、来ただけだ……お前の踊りに、嫉妬して……俺に、愚痴りに来たのさ」


「ガザ! 意識があったのね。無理して話さなくていいから」


 ガザはうつ伏せの状態から起き上がろうとするが、アイラはそれを止める。ガザは腕を震わせながら床に転がっている銃を指差した。


「その、銃を……見れば分かる……これは、キッシュの銃じゃ、ない……ガルダストリア製、だ」


「ガルダストリア製? そんなのこの辺で手に入るはずが……」


「「ガザ!?」」


 アイラがVIPルームに向かうのを見ていたのか、ルカとユナがやってきた。アイラはユナに向かって声をかける。


「良いところに来てくれたわ。私とルカで今から犯人を探しに行く。ユナはガザのことを見ててちょうだい」


 この状況を見て怖気おじけ付いたかと思ったが、ユナは口をきゅっと結んで頷いた。


「……うん、任せて。今日は……今日こそは、大丈夫だから」


 ユナは自分に言い聞かせるようにそう言うと、自分のバングルに手をかざし意識を集中させる。


「力を貸して--クレイオ」


 バングルにはめられた石が、薄桃色の光を帯びる。ユナは瞳を閉じ、歌を口ずさみ始めた。





いつくしみたまえ ゆらゆら煌めく命の

消し去りたまえ 憂い悲しむ罪咎つみとが

我一心に祈らん 御心みこころの慰みに任せて





 それはとても優しい旋律だった。歌が終わるとガザの身体を薄桃色の光が包みだす。光は吸い込まれるようにして集まっていき、みるみるうちに傷口を塞いでいった。


「す、すごいなユナちゃん……」


 ガザは起き上がろうとしたが、力が入りきらず再び床に突っ伏した。


「あ、あんまり動いたりはしないで。止血しただけだから、体力の回復まではできていないってクレイオが言ってる」


 今日は一日中街に滞在する予定だったので、ユナが神石の力を使う場面などないだろうと思っていた。しかし、彼女は念のため朝にシナジードリンクを飲んでいたのだ。ガザの傷口がふさがったのを見て、アイラは自分の胸の内に絡まった糸が少しほどけていくような気がした。


「ありがとう、ユナ。これでガザのことは一安心ね。ルカ、今から犯人を探しに……!?」


 ルカは返事をしないまま、その場に崩れ落ちた。


「はぁ……はぁ……ヒュウッ……」


「ルカ!? どうしたの」


 ユナはしゃがみこむルカの背中をさする。過呼吸を起こしている。顔は青ざめ、全身からは汗が噴き出していて苦しそうだ。意識はあるようだが、その眼に光はなく、ただじっと床にできた血だまりを見つめていた。







 はぁ……はぁ……



 はぁ……ふっ!……



 う……ぐ……




 ん……







--そう、初めて見た景色はまるで血の海のようだった。





 まず最初に感じたのは冷たい石畳の感触。身体中に走るズキズキとした痛み。四肢を動かそうとしたが、なぜか力が入らず身動きが取れない。そして、鉄がさびたような血の臭い。それは自分のものなのか、はたまた他人のものか分からないほど、辺りに飛び散って景色を赤く染めていた。





--ここはどこだ。何が起きている? そもそも僕は……いや、おれは……一体、誰だ?





「目が覚めたか……どうだ、私が手にするはずだった力を得た気分は」




 声の主は、目の前に横たわる白髪で紫色の瞳の少年。あの時は言葉の意味が分からなかったが……確かにこういう響きの言葉を発していた。少年は呼びかけた相手から返事がないのを見て、弱々しくふっと笑った。




「そうか……やはり上手くはいかぬか……代償による、覚醒など……」




 少年は言葉の途中で激しく咳き込み、口から血を吐いた。鉄のような臭いが一層濃くなる。少年はずるずると這い、同じく石畳の上で横たわっている自分にのしかかると、ぐっと胸ぐらを掴んだ。




「そなたは一体何だ……。私は、に賭けたというのに……! 私にはもう、時間が……」




 少年はそう言ったところで、糸が切れたようにガクンとこうべを垂れた。一瞬眠ったかのように見えたが、すぐにそれは違うのだと分かった。後頭部のあたりから、紫色の光が一筋立ち上る。彼の瞳と同じ色だ。すると少年の顔にはみるみるうちに無数の皺が刻まれ、皮膚は土気色になって頰の張りはなくなり、肉は削ぎ落ち……あっという間に、白骨と化してしまった。


 悪い夢を見ているとしか思えなかった。


 しかし、これは現実だと言い聞かせるかのように全身に痛みが走る。自分も彼と同じように骨となってしまえば幾分楽だったかもしれない。しかし視界に入る自分の腕はかの少年よりもハリもツヤもあり、生命力に満ち満ちていて、衰える様子は一切ない。その腕の先には、やはり少年の瞳と同じ色をした紫の石が握られていた。まるで手の平にくっついてしまったかのように固く握られていて、自分の身体だというのに言うことを聞かず、それを手離そうとしない。


 嘆きたくても嘆き方が分からなかった。まだ夢だと信じていたかった。再び目を閉じると、遠くで声が聞こえた……





 おい……きみ……だ……う……か!


 

 めを……さ……せ!



 ……こえ……る……?



 き……の……名前は……






「ルカ! 大丈夫!?」


 青年はガバッと起き上がった。じっとりとした汗で服が身体に張り付いている。右手が温もりに包まれ、そこから血が巡るかのように身体の感覚が安堵で満たされる……ユナが手を握っていてくれたようだ。


 頭がぼうっとして重い。ゆっくりと辺りを見回した。心配そうに見ているガザ、アイラ、ユナの顔……刺激的な赤色で壁を塗ったこの部屋は血の海ではなくて、キッシュの街のクラブ、インビジブル・ハンドのVIPルームである。


「一体急にどうしちゃったの?」


 ルカは自分の首元を探る。服の中にしまっていた黒の十字のネックレスは変わらずそこにあった。よくよく見ると、いつの間にかウーズレイの制服と同じ白いシャツを着ていた。倒れた時に誰かが着替えさせてくれたようだ。


「三年前……目が覚めた時のことを思い出したんだ」


「! あの時の記憶が……」


 アイラが苦い表情を浮かべた。三年前、ノワールとともに横たわっていたルカを救出した彼女は、その場の凄惨さをよく覚えていた。


「ルカ、身体の調子は……」


 ルカは問いに答えないままユナの手を握り返した。


「ユナ。黙っていてごめん」


「え? 何を……」


 きょとんとするユナに、ルカは小さな声で言う。


「スウェント坑道でおれが眠っている時にユナが会った奴のこと」


「そのことは、今は」


「はっきり思い出した。そいつはたぶん……おれが殺してしまった人だ。本来、クロノスの力と共鳴するはずだった人だよ」


「ルカ? それってどういう……」


 ユナの声は震えている。ルカは目を伏せて答えた。









「おれは……人の命を奪ってここにいるんだ」






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