mission3-18 商業派の宴
ヌスタルトの団体客が入ると、店内は一層賑やかになった。従業員たちはあちらこちらへとせわしなく動く。入り口の受付をしているウーズレイも、客一人一人の荷物を管理しなければいけないので忙しそうだ。
ルカたち三人はそれぞれ別の女性従業員につき、彼女らの手伝いをしながら客の相手をすることになった。
ユナがつくことになったのは例の銀髪の女だ。ユナは早速酌を頼まれ、慣れない手つきでキッシュブランを客のグラスに注ぐ。緊張で腕が震え、グラスから少しこぼれてしまった。
「ももも、申し訳ありません!」
「あーいいよいいよ、これくらい。君、新人さんでしょ? なんか緊張してて可愛いね」
ユナは気恥ずかしさで顔をぼっと赤らめる。そんな初々しさが逆にうけたのか、ヌスタルトの男は咎めることなくむしろ積極的に話しかけるようになっていった。
「ねぇ、なんでここで働こうと思ったの?」
こういう場合なんと答えるべきか。当然自分の本来の身分を明かすわけにはいかないし、ブラック・クロスに同行してここにいるなど口が裂けても言えたものではない。ユナの頭にはふと先日訪れた街の風景が浮かんだ。
「えっと……地元を離れて自力で生活してみたいと思ったんです。出身はホットレイクで」
「ホットレイクかぁ! あそこいいところだよなぁ。昔はよく遊びに行ったよ。温泉が出なくなってしまってからは全然行ってないんだけど」
「あ、あの、実は先日温泉がまた出るようになったんです。良かったら今度遊びにいらしてください」
「え、そうなの!? いやぁ、これはいいことを教えてもらった! 今度同僚を誘ってみようかな」
男が気を許し始めたのを察し、ユナは意を決して尋ねる。
「あ、あの……普段はどんなお仕事をされているんですか? ヌスタルト工場って外からしか見たことがなくて」
「なんで知りたいの?」
男は一瞬真顔に戻った。こちらの本当の目的を悟られるわけにはいかない。警戒させないよう、ユナは精一杯の笑顔を作る。
「実は……商業派の方たちに憧れてるんです。『
ちらりと上目で男の表情を窺う。彼は満足げに微笑んだ。そして、ユナの隣につく銀髪の女が目を離した隙に、ユナの耳元で囁いた。
「君はお目が高いな。どうだい、VIP用の個室でゆっくり話さないか」
「へ……」
男は微笑んでいるが、まるで狩猟をする獣のように鋭い目線でまっすぐとユナを捉えてくる。目が離せない。だがこれはチャンスだ。ユナは瞬きをせず、しっかりと見つめ返しながら言った。
「わかりました。いいで」
「すみませーん。VIPルームは満席でーす」
金髪の女--もといルカが、呑気な裏声をあげながらユナの座っているソファーの後ろを歩いていった。
(ちょっと、ルカ!)
ユナは目で訴えたが、ルカはパチンとウインクを返してきただけだった。助け舟を出したつもりなのだろう。
(もう。そうじゃなくて!)
悶々とするユナをよそに、男はハハハと笑って言った。
「じゃあまたの機会に、ってことで。話の続きだったな。俺たちはある武器のプロトタイプを作ってるんだ。それが今日ついに完成してね。こいつはすごいぜ? 今までの武器をゴミ同然にしてしまうほどのもんなんだ」
「武器を……ゴミ同然に?」
「ああそうとも。それだけ強力なやつってことさ。個人でやってる技巧派の武器なんざ屁でもねぇ。なんせ、キッシュの職人が大勢集まって作ってるものなんだから」
「そんなものを作って、何に使うんですか?」
ユナが尋ねると、男は首をかしげた。
「さぁ? 俺たちは言われた通りに作るのが仕事さ。それ以外は知らん。売るのは町長や登録商人ギルドの奴らの仕事だよ」
男はくいっとグラスの中身を飲み干す。ユナは慌ててボトルを持ち、空いたグラスに酒を注いだ。
(この人が間違っているとは思わない……けど、この違和感はなんだろう)
ユナはファブロの家で聞いた話を思い出す。『良いものは必ず売れる、客に選ばれるんじゃない、客を選ぶ側になれ』--ガザの師匠であり、技巧派の職人たちに尊敬されているというヴェルンドの言葉だ。
(商業派の人はきっと……お客さんのことまでは見ていないんだ)
そう思うと、ユナには少しジョルジュの気持ちが理解できるような気がした。
「こら新人! サボってないでちゃんと働きなさい!」
「は、はいっ」
ユナの様子を遠目に見ていたルカは、隣についている女性従業員に叱られて肩をすくめた。
(ちょっと不安だけど……ユナ、頑張ってるな。よし、おれも)
ルカはすっと息を吸い、可能な限りの高い声で隣に座る男に尋ねた。
「そういえば町長は来ないのか……じゃなくて、いらっしゃらないんですかぁ?」
男は既に酔っ払っているのか、とろりと溶けた目でルカを見てへらへらと笑った。ルカが男だということには全く気づいていないようである。
「へへ……アンゼル町長か。なんだ、君は結局コレ目当てか?」
そう言って男は親指と人差し指で輪を作る。面倒くさい奴だな。ルカはふるふると首を横に振った。
「そうじゃないよ。お……私、今日が初めてだから、偉い人が来ると緊張しちゃうなって思っただけ」
「それなら安心しな。町長は納品するプロトタイプの最終確認があるってんで、今日は俺たち工員だけで宴をやってくれってさ」
「へぇ、そうなんだぁ」
アンゼルがここに来ないのであれば、かえって情報は抜きやすい。次は何を聞き出そうか。ルカが思案していると、生温かい感触を太ももあたりに感じた。ぎょっとして見ると、男がにやにやと笑みを浮かべながらルカのワンピースの上に手を置いている。やっとアダムに触れられた時の鳥肌がおさまったばかりというのに、再び全身の表面がざわめき立った。
「ちょ、何してるんだよ!」
思わず裏声にするのを忘れて低い声が出たが、男は気にしていないようだった。
「なんだよ……こういう店で働いているんだ、覚悟くらいできているだろう」
「ふ、ふふふふざけんなっ!」
--ドカッ!!!
考えるよりも先に手が動いていた。ルカの拳は男の顎をまっすぐに突き、その衝撃で座っていたソファごと後ろにひっくり返る。男はすっかり目を回して気絶していた。店じゅうの注目が集まり、周囲はざわめき立ったことでルカは急に我に返る。
(げ、やっちまった……)
ユナとアイラの呆れた表情が見える。恐る恐る自分の指導役である女性従業員を見やると、彼女はプッと吹き出した。
「いいのよ、マナーの悪い客は追い出さなきゃ。嫌とは言えない子が多い中で、あなたなかなかやるじゃない」
「そ、そうかな……ハハ……」
ウーズレイが駆けつけて気絶した男を店の外まで運んでいくと、辺りは何事もなかったかのように再び賑やかさを取り戻していった。
(馬鹿ルカ。目立ってどうすんのよ)
アイラが深いため息を吐いていると、慌てた様子でママ・アダムが駆け寄ってきた。
「アイラちゃぁん! あなた、踊りができるって本当?」
急に投げかけられた質問に、アイラは一瞬頭が真っ白になった。
「え……どうしてそれを」
「ガザちゃんに聞いちゃった」
「あの男、また勝手に……!」
これが終わったら絶対殴ってやる。そんなアイラの気をよそに、アダムは手を合わせて頭を下げた。
「実はね、今日一人体調不良でお休みしちゃって、踊りができる子がいないのよぉ。お願い、代わりに踊ってくれない?」
「そんな、無茶でしょう。練習もしていないのに……」
「ああ、あと!」
アイラの言い分は無視して、アダムは思い出したように言った。
「ガザちゃん、こうも言ってたわ。『久しぶりに見たいんだよな。あいつの踊り、すげぇ綺麗だからさ』って」
「--チッ!!」
アイラは舌打ちをしながらも席を立ち、店内にある舞台へと向かう。ウーズレイが用意してきた、キラキラとラメの光る薄いヴェールを受け取ると、アイラは舞台の中央に立ち瞳を閉じた。
店内の音響がフェードアウトし、舞台を除いて照明が落ちる。客も従業員も皆が舞台に立つ人物に注目した。赤いスポットライトが、彼女のえんじ色の髪を妖艶に引き立てる。
(あ、アイラ!?)
「何よ……あの新人、踊りもできるってわけ?」
ユナの隣で銀髪の女がぼそりと呟いた。ユナは再び舞台の方へと視線を戻す。どうしてアイラがあそこにいるのか。考える間もなく、舞台の手前に控えていた楽器隊が拍子を奏で始めた。
弦楽器がうなじを這うような旋律を鳴らすと、それまで微動だにしなかったアイラは、ばっとヴェールを振り上半身をそらしながらゆるりと回転する。ヴェールとえんじの髪が風に乗って舞う。楽器が徐々に手数を増やしていくと、アイラの動きも段々と大きくなり、激しく、それでいて艶やかにステップを踏んだ。彼女が腕を振れば、ヴェールがそよぎキラキラと光を反射する。全身が音楽とつながっているかのような、滑らかで情熱的な舞い。指先一つ一つの動きまで見逃せない。アイラが正面を向くたびに、ところどころで歓声が上がった。踊る彼女の表情は普段のアイラとはまた違う--どこか切なげで、視線はここではない遠くを捉えていて、見る者の胸を打つのであった。
二曲分舞い終えた頃、その出来事は起こった。
--ジリリリリリリリリリリ!!!
最後の三曲目に入ろうとしたところで、耳障りな音が店内に響いた。サイレンのような音だ。店じゅうにいる人々が耳を塞ぎ喚く。舞いどころではない。アイラが踊るのをやめた時、急に何の音も聞こえなくなり、代わりに低い声が頭の中に響いた。
"アイラ。一旦お前の音を遮断した。機材トラブルなのか騒音が起きているようだ”
(久しぶりね、セト。あなたから話しかけてくれるなんて)
アイラは頭の中で声に答える。いくつか客席を隔てた向こう側にはルカの姿が見えた。耳をおさえてその場にうずくまっている。普段耳が良すぎるせいで騒音の影響も大きいのかもしれない。あの様子ではセトの声はルカには届いていないだろう。
“よく状況を見ておけ。これはおそらく--”
(ええ……トラブルじゃない、これは事件ね。誰かが意図的にこの騒音を発生させている)
アイラは目を凝らして、インビジブル・ハンドの従業員たちの口の動きを追った。皆パニックで早口になっているせいで読唇がしづらいが「こんなことは初めて」「原因がわからない」「誰かが勝手に」と言っているのが読み取れた。
(目的は一体何? 誰が何のために……)
アイラは店内を見渡してハッとした。ユナのそばにいたはずの銀髪の女がいない。本部の注意喚起の内容をよく思い出した。
アイラは駆け出した。しかし、一歩遅かった。
「キャァァァァァァァァ!!!!」
悲鳴とともに、騒音が止んだ。
アイラが店の奥のVIPルームの扉を開けると、そこには腰から血を流して倒れるガザと、その場にうずくまって悲鳴をあげる銀髪の女がいた。
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