mission3-16 潜入作戦



 昼間は商人たちのかけ声と職人たちの活気で溢れる街、キッシュ。賑やかな商人街の大通りから脇道にそれて路地に入ると、そこは夜も眠らない”衰えぬ金脈ゴールドラッシュ”通り。日が沈む頃には、特殊な発光性の鉱石を使った極彩色の電飾の数々が、訪れる者を出迎え心を高鳴らせる。道幅のない路地には所狭しと様々な看板が重なり合いながら主張しあい、店の前に立つ薄手のドレスを着た女たちはしなやかな動きで手招きをしていた。


 その中でも一際ひときわ大きな看板と敷地を持つ店、それが会員制クラブ「インビジブル・ハンド」であった。


 今、その店の前に一人の男と三人の女が立っている。


「さぁ、行くぞ」


 男が意気込んで店内に入っていき、女はその後に続いていく。緊張、彼女たちの表情にはそれが見て取れる。彼らはここへ何をしに来たのか。時は数時間ほど前にさかのぼる--。







「私は絶対に嫌よ」


 ガザの提案を聞くなり、アイラはそう言った。嫌悪感むき出しの表情で、彼女は腕を組んで座る。


「だいたい、潜入ならセトの力でツチブタを使えばいいじゃない」


 アイラの神石・砂漠の神セトは砂を自在に操ることのできる能力を持っている。彼女が作る砂のツチブタはあらゆる場所に潜入できる上、見つかってしまっても砂に戻すことができるので、彼女が情報収集をする際の常套じょうとう手段であった。


「分かってないなぁ、アイラ。ツチブタで見聞きできるもんと、ああいう社交場で聞き出す情報じゃ質が違うんだよ」


「だけど絶対無茶よ。私たちがインビジブル・ハンドの従業員に扮して、ヌスタルトの人間から話を聞きだすなんて」


 私たち、と言ってもきっとこの役目を担うことになるのは自分なのだろう。温室育ちで純朴なユナにはとても務まるようなことではない。アイラは頭を抱えて深いため息を吐く。


「なぁ、インビジブル・ハンドってどんなところ? キッシュで有名な飲食店なんだろ」


 ルカはきょとんとした顔で首を傾げて言った。本当にわかっていないらしい。一方、ユナは顔を赤らめて困惑している様子を見る限り、ガザが言い出した作戦の意味は理解しているようだ。


「そうだな、簡単に言うと、キレイな女の子たちが客に酒を注いでおしゃべりする店だ」


「要は酒場ってことか。アイラはそこに潜入することの何が嫌なんだよ」


 アイラはそう聞かれてふっと笑う。


「客がみんなガザみたいな鼻の下を伸ばした男だと言ったら?」


「……それは嫌だ」


「おいっ! そりゃどういう意味だよ、ルカ! お前ら、こんな絶好の機会を逃すつもりか? 口の堅い商業派の奴らが気を抜く瞬間だ。ジルさんが探している奴のことも聞き出せるかもしれない」


 ガザが「なぁ?」とジルの方を見やる。まさかこんな展開になるとは思っていなかった彼女は何も言わずに苦笑いを浮かべた。


「それに、ちょうどインビジブル・ハンドのママから相談を受けていたところだったのさ。ここんとこ女の子が何人か辞めて空きが出てるそうなんだ」


「だからって、そんないきなり行って私たちが従業員として認められるかどうか」


 ぶつぶつと文句を言うアイラに近寄り、ガザは彼女に顔を寄せて囁くように言った。


「お前みたいな美人だったらなんてことないだろ? ”砂漠の蝶”、アイラ・ローゼン」


「--チッ!」


 アイラは部屋にいる皆に聞こえるほど大きな音で舌打ちをすると、すっと立ち上がって玄関の方へと向かう。テーブルの上に置いていたタバコの箱を持って行ったので、外で一服するつもりなのだろう。つかつかと横を通り過ぎるアイラを見て、ユナは不思議に思った。


(あれ、顔が少し赤くなってる。ガザとアイラって一体……)


 アイラに思いっきり舌打ちされたガザは首をすくめながら言った。


「おおこわいこわい。さて、ジルさんはどうする? この作戦に加わるかい」


 ジルは慌てて首を横に振る。


「私は修道の身ゆえ、そういった場所には……。できる限りのお手伝いはするつもりですけど」


 ジルが恥ずかしそうにうつむいて頭を覆っているフードをおさえる。それはそれで需要がありそうだと思ったが、ガザはその考えを脳内にとどめておいた。


「んじゃ、アイラだけで……」




「わ、私もやるよ!」




 いきなり大きな声を出したユナに注目が集まる。意外だと言わんばかりの目線が突き刺さり、ユナの顔はますます赤くなっていく。


「おぉ、乗り気だねぇ、ユナちゃん。別に無理はしなくても……」


「無理なんかじゃない。私が挑戦したいんだ。アイラ一人じゃ大変だと思うし」


(それに、ここでも役立たずになるのは嫌だから)


 ガザはにっと笑うと、その大きな手をユナの頭にポンと乗せて彼女の頭を撫でる。


「いいねぇその心意気! じゃあ早速、夜になる前に準備をしようか」


「ちょっと待てよガザ! ユナにそんなことは」


 ルカが言いかけているうちに、ガザはがっと彼の肩を組み、声をひそめて言った。


「ルカ。心配なのは分かるが、ユナちゃんの気持ちもちゃんと考えてやれ」


「ユナの気持ち?」


 ルカはうーんと唸っていたが、やがてハッとしたように顔を輝かせた。


「そうか、アイラのことが心配なんだな。だったらおれも参加するよ。また女装すればいいんだろ? そしたらいざってときにアイラもユナも守ってやれるし!」


 キラキラと純粋な眼差しを向けてくる青年に、ガザは呆れて溜息を漏らす。


「ああもう、本当にお前は鈍いヤツだな……」







 ファブロの家の窓から見える街の景色は段々とオレンジ色に染まってきていた。ジルに手鏡を差し出されたユナは、その中に映る自分の顔を見て息を飲んだ。


「わぁ、すごい……! なんか、自分じゃないみたいです……! ジルさんて、化粧がお得意なんですね」


 普段化粧をしていないあどけない少女の顔は、ジルの化粧によってすっかり大人びた表情へと変貌していた。元々整っているパーツを強調するよう、目尻の線を濃くしてある。優しげな顔立ちには、暖色のシャドーがよく似合っていた。


 ジルは鏡越しににっこりと微笑む。


「そう言ってもらえると嬉しいです。ナスカ=エラにいた頃は儀式に出られる巫女の方々の化粧をお手伝いしたりしていましたから。それに、こんなに天然で素朴なお顔は化粧のしがいがあるもの」


 それを聞いてユナはしゅんと肩を落とした。


「それって素顔が地味ってこと? ちゃんと国を出る前に化粧を覚えておけばよかった」


「ああ、悪い意味で言ったつもりはないですよ。むしろ、ありのままの表情で出歩けるのは素晴らしいことです。歳を取るとなかなかそうもいかなくなりますから」


 ジルの微笑みはどこか物憂げだ。話によればアイラとほぼ同じくらいの年齢のようだが、二人の雰囲気はあまりにも違う。


(そう言えば、ジルさんってほぼ化粧していないんだ)


 鏡越しにジルの顔をよく見ようとした時、二人が使っていた部屋をノックする音が聞こえた。ジルが返事をすると扉が開いて人影が現れた。


「うおっ、ユナ、誰だか分かんないな」


「ふふ……ルカの方こそね」


 ルカは金髪のウィッグをつけ、ガザが街で調達してきた丈の長いワンピースに身を包んでいた。元々中性的な顔立ちで、細身であるせいだろう、声と仕草にさえ気をつければすっかり女性に見える。ユナでさえ、コーラント城では近くで顔を見るまで気づかなかったくらいだ。


「二人とも、準備はできた?」


 アイラは自分で準備を済ませていたので、二人が終わるのを待っていたのだ。


「アイラ、きれい……」


 いつもより少しだけ濃い化粧と、前髪をバックにまとめ、ゆるくウェーブがかかった髪を後頭部に束ねているヘアスタイル。普段から華やかなアイラではあるが、その美しさを惜しげもなく魅せている今の装いに、目を奪われないものはいないだろう。


 思ったことがそのまま口に出ていることに気づき、ユナは慌てて口をふさぐ。アイラは照れたのか、はにかむように笑った。


 ガザは着飾った三人の姿を見て、満足げに頷く。


「よし、準備万端だな。インビジブル・ハンドの営業開始の時間も近づいてきたことだし、そろそろ行こうか」


「ええ」




 

 ガザたちが出て行くのを、ファブロとジョルジュ、ジルの三人で見送っていた。


「ルカ兄ちゃんたち、あんなんで大丈夫かな」


 ジョルジュが心配そうに言うと、ファブロはそれを笑い飛ばした。


「さあね。ガザの奴、若者たちに随分無茶なことをさせるもんだよ。でもあのエネルギーは私たちも見習わなくっちゃねぇ。キッシュの事情に勝手に足突っ込んじゃってさ。あれが義賊ブラック・クロスってやつなのかね」


「ブラック・クロス? 彼らがですか」


 ジルが驚きの声を上げる。なんとなくただ者ではないと分かってはいたが、彼らが義賊であるということまでは気づいていなかったのだ。


「おや、聞いてなかったのかい。まぁあんたみたいなナスカ=エラのお人なら知られても大丈夫か」


「ええ、少し驚いただけです。ブラック・クロスと言えば最近アルフ大陸で名前を聞くことが増えているので。きっと彼らは、困っている方々のことを放っておけないのでしょうね。……とても、素晴らしいことです」


 ジルは微笑みながらそう言った。




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