mission3-15 フレッドの落し物



「黒流石? 知らないな。いくらガザの頼みでも、工場のことは口外しないよう言われてるんだよ」


 翌日、ガザとルカはファブロに買い物を頼まれたついでに、ガザの知り合いの職人たちの家を訪ねて回っていた。


「なぁ、そう堅いこと言わずに教えてくれよ。子供の頃よくいたずらしてヴェルンドの爺さんに一緒に叱られた仲じゃねぇか」


 ガザはにこやかに言ったが、彼と同じ年頃の職人は顔色を変えず、首を横に振る。


「俺はもう商業派に転向するって決めたんだ。ガザみたいに器用に生きてくなんて、才能のない俺には無理だったんだよ。アンゼルのことはあまり好かんが、あいつの言うことには一理ある。賃金だって望めば前倒しで払ってくれてな、借金地獄から救われた職人だって少なくないんだ。俺から話せることは何もない。悪いが他を当たってくれ」


 男はそう言い切ると、パタンと家の扉を閉じてしまった。キッシュブランの入った箱を抱えながら、ガザとルカは顔を見合わせる。


「ここもダメだったね。商業派の人たちは口が固いよ」


「アンゼルが徹底してるんだろう。こりゃいくら元弟子とは言え、フレッドが教えてくれるとは思えないな」


 ルカはうーんと唸って空を見上げる。天気は良く、青空の中に細かなすすが舞っている。


「……やっぱり直接工場に乗り込むしかないか」


「待て待て待て。こんなに口が固い連中が工場の入口を簡単に開けるはずがないだろ。それに勝手に忍びこんだら俺らはただの悪者になっちまう。今のキッシュは商業派の方が支持されているんだから、義賊の名にも泥を塗ることになるぜ」


「そうだけどさぁ、それじゃあユナの神器はいつまで経っても作れないだろ。ユナのだけじゃなくって、これから神石との共鳴者が増えた時も困るし」


 ルカがぶすっと口を尖らせるのを見て、ガザはため息を吐いた。アイラの苦労がよくわかる。もし自分がこの場にいなかったら、青年は本当に一人で工場に乗り込んでいたかもしれない。


「分かってるって。そうなったら俺は仕事がなくなって食っていけなくなるからな。まぁとりあえずフレッドに話を聞いてからだ。工場に乗り込むか、スヴェルト大陸に直接採掘に行くかはそれから決めたっていいだろう」


 ルカは「はいはい」と上の空で返事をしながら、ヌスタルト工場の方を見ていた。







「戻ったよ。アイラ、それ何?」


 ルカたちがファブロの家に戻ると、リビングにいたアイラはサンド二号の口から出てきた紙をルカに渡した。


「本部から注意喚起が来てるわ。”銀髪女シルヴィア”って聞いたことない?」


「銀髪女……えっと、なんだっけ」


「各地で神石と共鳴した要人を暗殺している女スパイのことよ。本名が分からないからコードネームでそう呼ばれているの。先日シアンが彼女に任務を妨害されたみたいで、共鳴者たちは気をつけるようにって話みたいね」


「ふうん……共鳴者を殺して何がしたいんだろうな。『終焉の時代ラグナロク』を終わらせるための力なのに」


「知らないわよそんなの。きっと常識が通じない狂人ね。とにかく、銀髪の人間がいたら誰であっても警戒しておきなさい」


 一番上に赤文字で注意喚起と書かれたその紙には、銀髪女の人相書きすらない。分かることは地毛が銀髪、変装の達人、ということだけらしい。




 紙に目を通したルカは、買ってきたキッシュブランの箱を抱え直して台所に向かう。そこではファブロとユナが並んで流し台に向かっていた。ユナは皿洗いを手伝っているようだが、それが上手くいっていないのは彼女の傍らに積まれた割れた皿の山で察しはついた。


「ファブロさん、これどこに置けばいいかな?」


「ああ、戻ったかい。その辺に置いてくれればいいよ。悪いねぇ、この腕だと買い物も満足にできなくってさ。ジョルジュじゃ酒を売ってもらえないし、フレッドは私が酒を飲むのを嫌がって買ってきてくれないんだよ」


「まぁ、嫌がる気持ちも分かるよ……」


 ルカは横目で昨日空になったばかりの瓶を数える。ちょうど買ってきた箱の中に入っている数と同じだ。


「ユナは、もしかして皿洗いするの初めてだったの?」


 ユナの顔を覗き込むと、彼女はぷいと顔を背けた。よく見ると耳まで真っ赤に染まっている。


「ははは、しょうがないじゃんか。だってユナは姫--」


「い、言わないで!」


 急に大きな声で遮られ、ルカは目を丸くした。ユナは顔を赤らめたまま、うつむいてぼそりと呟く。


「ちゃんとできるようになりたいんだ。外に出てきたからには、こういうことも自分でできるようになりたいの」


「……ぷっ」


「ちょっと、なんで笑うの!?」


「いや、だってユナが必死だからさ」


 ルカはよほどおかしかったのか、口を押さえてくくくと笑う。そこまで笑うことないのに。ユナはムッと唇をへの字に曲げ、ルカに背を向けた。


「……そりゃ必死になるよ。だって私、何もできない世間知らずで、みんなの役に立ってないんだから」


「あ、いや、そういう意味じゃないんだけど……」


 ルカが弁明しようとした時、ファブロの家の戸を叩く音がした。ファブロは家中に響く大きな声で「ジョルジュ、代わりに出ておくれ」と叫ぶ。すると、工房の方からジョルジュの返事が聞こえてきて、彼はパタパタと小走りで玄関の方へと駆けて行った。




「おかえり、フレッド兄ちゃん!」


「ただいま、ジョルジュ」




 玄関にはキャラメル色の髪の青年が立っていて、出迎えたジョルジュの頭を撫でる。この街では珍しく、町長のような上品な紺のスーツを着ていた。


「よう、フレッド。久しぶりだな」


「ご無沙汰してます、ガザさん。ファブロがいつもお世話になってます」


 すると、聞き捨てならんと言わんばかりにファブロが足音をどかどかと立てて玄関まで出てきた。


「全く、お前は大人ぶっちまって! ガザを世話してやってんのはこっちだよ!」


「ファブロ、ただいま。腕の調子は……」


 フレッドは悲痛な表情を浮かべ、ファブロの右腕に目線を移す。ぐるぐると何重にも巻かれた白い包帯は決して怪我が軽くはないことを物語っていたが、ファブロはわざとその腕をぶんと振ってみせる。


「ガキに心配されるような怪我じゃないよ。ほら、今日はうちにある荷物をまとめに来たんだろ。さっさとやらないと日が暮れちまうよ!」


「う、うん」


 半分ファブロに背を押される形で家の中に入ってきたフレッドは、家の中にいる見慣れぬ三人に向かって軽く会釈をした。


「ファブロ、この方たちは?」


「ああ、ガザの知り合いの旅の人でね。昨日からうちに泊まってるんだよ。お前に聞きたいことがあるみたいだから、後で話を聞いてやってくれ」


 ファブロに紹介され、そばにいたルカはフレッドに手を差し出した。


「おれはルカで、あっちはアイラとユナ。色んなとこを旅して回ってるんだ。よろしく」


 フレッドはその手を取ると、聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さな声で呟いた。


「君がルカか……」


「ん?」


「ああいや、何でもないよ。僕はフレッド。元々ファブロの工房にいたんだけど、今は独立してヌスタルトで働いてる。用事が済んだら後でゆっくり話そう」


 フレッドはにっこりと微笑む。ジョルジュやファブロとは違って大人しそうな、職人らしくない風貌の青年だ。しかしその手は案外ごつごつとしていて、指の付け根にはまめができている。彼も職人の街の男なのだ。





 しばらくしてフレッドは大きな皮袋をパンパンに膨らませて工房の奥から出てきた。ヌスタルト工場で過ごすことが増えてきたため、荷物を工場に移動させるらしい。彼の荷造りが終わると、ファブロが紅茶を淹れて皆で食卓を囲んだ。アイラは紅茶には手をつけずに、煙草を吹かしながら早速本題に入る。


「あなたはヌスタルトで働いてるのよね。工場では一体何を作っているの? 黒流石や色んな資材が工場に流れているという噂を聞いたけど」


「僕はヌスタルトで働いていると言っても町長の事務手伝いがほとんどで、作業現場のことは知らないんです。町長曰く、世界中に売れるものを作る、今はそのためのプロトタイプを作っている、とのことですが、何を作っているかまでは分かりません」


 フレッドは淡々と答えた。ルカは話を聞きながらガザと目を合わせる。やはり彼も、工場の内部のことはあまり話したがらないようだった。


「なぁフレッド、どうにかしてこの人らに黒流石を譲ってはもらえないかい? 市場価値が馬鹿みたいに高騰して、店じゃ買えないみたいなんだよ。どうせアンゼルの奴が買い占めているんだろ。お前ならあの男にも顔がきくじゃないか。力になってあげなよ」


「そうだよ、フレッド兄ちゃん。ガザが困ってるんだ、助けてあげてよ」


 ジョルジュは隣に座るフレッドの洋服の裾を引っ張るが、フレッドは首を横に振るだけだった。


「ごめん、それはできないよジョルジュ。僕は町長に何か意見ができるような立場じゃないんだ。ファブロも、あまり町長に逆らうようなことはしない方がいい。どんな仕打ちをされるか分からないから」


 それを聞くと、ジョルジュが急にバンと机を叩いて立ちあがった。そばかす顔の少年は兄弟子の顔をきっと睨む。


「やっぱりフレッド兄ちゃんは変わっちゃったね。ヌスタルトで働き始めてからなんかおかしいよ。あんな奴の言うことをおとなしく聞いてるなんて……アンゼルの事務手伝い? らしくないって! フレッド兄ちゃんはナスカ=エラにだって行った優秀な職人じゃないか……昔、一緒にヴェルンドを超える鍛冶屋になるって約束したの、忘れちゃったのかよっ!」


「それじゃあこの時代は生きていけないんだよ、ジョルジュ。ただ技術を身につけるだけじゃ、誰も買ってくれないんだ。ちゃんと世の中に必要なものを作らないと」


「知らないよ! アンゼルみたいなことを言うフレッド兄ちゃんなんて嫌いだ!」


 ジョルジュはそう言って席を立つと、大きな音を立ててリビングの扉を閉め、工房の方へ行ってしまった。フレッドは苦い顔を浮かべてルカたちに頭を下げた。


「お見苦しいところをお見せしました。僕はこれで帰ります。お役に立てずすみませんでした」


 フレッドも席を立ち、皮袋を抱えて玄関へと向かう。


「まぁたまには帰っておいで。技巧派とか商業派とか関係なく、お前はうちの子なんだから」


「……ありがとう、ファブロ」


 フレッドは振り返らないまま、家を出て行った。その背中はどこか頼りなげで、弱々しく見える。フレッドが出て行くと、ガザはふぅと息を吐いた。


「フレッドのやつ、なんかやつれたな」


 ファブロは台所からルカたちが買ってきたばかりのキッシュブランを持ってきて、早速栓を開けた。


「去年うちの工房を出て独立するんだって張り切ってた時はよかったんだけどね。この不景気だろ、上手くいかなくて破産しちまったのさ。うちに戻ってくればいいとは言ったんだけど、一度独立した手前気まずいのか、そのままアンゼルに勧誘されて商業派に流れちまった。それ以降はずっとあんな感じさ」


 アイラもキッシュブランの瓶に手を伸ばそうとしたが、ユナがそれを止める。ルカはふと、玄関のあたりに何か落ちているのを見つけた。


「何だこれ、”招待状”?」


 ルカは拾った招待状の中身を読み上げる。





<招待状>

ヌスタルト従業員の皆へ


皆のお陰で、

無事納期通りにプロトタイプが完成予定である。

ささやかではあるが、

日頃の業務の労いとして宴を開催しようと思う。

奮って参加するように。


日時:今宵、業務終了時より

場所:クラブ「インビジブル・ハンド」


--アンゼル





「従業員だけで宴を開くようね。フレッドが落としたんじゃない?」


「アンゼルのおっさんめ……キッシュの聖地、インビジブル・ハンドで商業派の宴会を開くたぁ、いい度胸じゃねえか」


「あなた、突っ込むところそこしかないの?」


「プロトタイプ、ってさっきフレッドさんが言ってたもののことだよね。どんなものなんだろう……」


 ルカが「返しに行こうか」と招待状を持って外に出ようとした時、玄関が勢いよく開いた。





「はぁはぁ……やっぱり、ここにいらしてたんですね、ルカさん、ユナさん」




 突然の来訪者は、昨日煙突の塔の下で会った修道女であった。走ってきたのか、肩で息をしている。




「ジルさん! そんなに慌ててどうしたんですか?」



 ジルは息を整えながらゆっくりと顔を上げ、ずり落ちていた丸眼鏡をかけ直して言った。


「実は……商業派のある子のお父さんが、昨日仕事に出たまま帰ってこないみたいなんです。今までどんなに遅くてもその日中には帰ってきてたみたいなんですが、ずっと連絡がなくて……。他の商業派の方にも聞いてみましたが、何も知らないと言われるだけで。勤務先の工場も関係者以外立ち入り禁止みたいなんです。技巧派を取り仕切る、ファブロさんなら何かご存知かと……」


 ファブロはジルに水を渡すと、室内に案内しながら言った。


「せっかく頼ってきてくれたのはありがたいんだが、見ての通り今のあたしにゃそんな力はないんだよ。悪いが他をあたって--」




「いや、調べる方法ならあるぜ」




 その場にいた全員の注目がガザに集まる。ガザは自信ありげににやりと笑った。



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