mission3-14 夜の工場
***
「あーあ、ついてないぜ……帰り際に仕事頼まれちまうなんて」
男はぶつぶつと呟きながら、大きな木箱を抱えて工場の通路を歩く。町長のアンゼルが定めた勤務時間はすでに過ぎているので、照明は最低限に減らされていて薄暗い。無機質な金属製の壁が押し迫ってくるような感じがして、大の男でも少し心細くなってくる。
彼が頼まれた仕事とは、工場で生産した製品を倉庫に運ぶことだった。この箱の中に製品が入っている。本来は同僚がやっている仕事なのだが、その同僚は今日体調を崩して早退してしまい、代わりに引き受けることになったのだ。
「ま、これで貸し一つできたわけだし、今度あいつに酒でもおごってもらいますかね」
男はふと通路の途中で立ち止まり、きょろきょろと周りを見渡す。どうやら道に迷ったようだ。指定された倉庫がどこにあるのか分からない。はぁ、と深いため息を吐く。慣れない仕事だった上に、彼はまだこの工場で働き始めたばかりだった。夜の工場内が日中とは違う雰囲気であるというのもあいまって、すっかり間取りが分からなくなってしまった。
「確かこの辺りだったはずなんだけどな……仕方ない、一部屋一部屋あたってみるか」
男は通路の脇にある部屋をそれぞれ覗き見ながら歩いていく。大体の部屋の扉には上部にのぞき窓がついていたが、一部屋だけそれが曇りガラスになっている部屋があった。
「ん? なんだここ」
男は不思議に思い、ドアノブに手をかける。もはや仕事のためというよりは好奇心だった。この工場はキッシュの職人たちがそれぞれに持つ工房とは比べ物にならないくらい敷地が広い。初めて敷地内に入った時はそれはもう驚いたものだ。しかしここで働いているとはいえ、日中は与えられた仕事に専念することになるため、普段自分が業務を行う場所以外のことはあまり把握していない。こうして歩き回ってみると、自分が知らなかった部屋がいくつもあり、まるで探検でもしているかのような高揚感が生じ始めていた。
男はゆっくりとドアノブを引く。鍵穴がついているが、鍵はかかっていないようだ。部屋の中は薄暗くてよく見えない。
「確か、照明は……」
男は抱えていた箱を床に置き、部屋の入り口付近の壁に手探りで触れた。凹凸の感触。照明のスイッチである。スイッチを押すと、部屋の天井に取り付けられた照明がパチパチと点滅して、部屋が明るくなった。
「あ……あ、あ……こ、これって……」
その部屋に置かれていたものを目にした瞬間、男は腰の力が抜けてその場に座り込んでしまった。喉が震え、うまく声にならない。ここにいてはいけない。全身から吹き出る冷や汗が警告をしているかのようだ。男は慌てて部屋から出ようとした。しかし立ち上がろうにも力が入らないので、尻もちをついたままずるずると不恰好に後退する。
扉のあたりまで来た時、彼は誰かにぶつかった。先ほどまで誰もいなかったはずなのに。恐る恐るその相手を見上げると、そこにはキャラメル色の髪の青年が一人立っていて、無表情で彼を見下ろしていた。キッシュの若者にしては線が細く、頬は少しこけていて目の隈が表情に影を作っていた。
彼とは直接面識があるわけではないが、噂は聞いたことがある。職人見習いの頃から将来有望と言われていて、ナスカ=エラへ留学にも行ったことがあるはずだ。確かまだ十八歳になったばかりという話だが、アンゼルにはかなり気に入られていて、彼の秘書のような仕事をしていると聞く。服装も工場の職人の作業着ではなく、アンゼルのようなスーツをしっかりと着こなしていた。
「……見てしまいましたね」
青年は男とは目を合わせずにぼそりと呟く。青年の手元を見てその表情が何を意味しているかに気づき、男の背筋は一瞬のうちに凍りつく。
「う、ウワァァァアアアアア! み、見逃してくれ! 忘れる! 全部見なかったことにするよ! だから頼む、なぁ、許してくれ……!」
しかし青年は表情を変えず、首を横に振るだけだった。
「それはできません。アンゼル様から、例外は出すなと言われていますので」
青年はそう言うと、手に持っている鉄製の棒を思い切り振る。ゴンッと鈍い音がその部屋で響いた。男は目に涙を浮かべたまま、意識を失って倒れてしまった。
「……資材室への侵入者を取り押さえました。今は別室で眠らせています」
「ご苦労だったな、フレッド君」
町長の部屋でアンゼルにそう言われ、フレッドは軽くキャラメル色の頭を下げる。手がじんじんと痺れていた。男を殴った時の反動だ。気絶させる程度の力しか込めていなかったとはいえ、自分の手で人を傷つけてしまったことには変わりがない。罪悪感に圧迫されて、胃の中のもの全てを吐いてしまいそうな気分だった。
そんな青年の考えを見透かすかのようにアンゼルは彼に歩み寄り、肩をポンと叩いた。
「なに、気にすることはない。工場の規則を無視して勝手に資材室に侵入した者がいけないのだ。君は自分の夢のため、与えられた役割をこなしているだけ。違うかね?」
「……いいえ」
アンゼルの髪につけられたポマードの油っぽいにおいが余計に吐き気を加速させる。フレッドは極力不快感を顔に出さないよう努めた。
町長はふと思い出したように自分の事務机に向かうと、引き出しから茶封筒を取り出した。「死に八つ蛇」--ヴァルトロ帝国の紋章が捺印されている。
「確認したまえ」
フレッドは黙って封筒を受け取り、中に入っている数枚の書類を取り出す。人の顔写真と特徴がまとめられている。その中には見知った顔もあった。封筒の中身は書類だけではなかった。拳銃だ。キッシュのものではなく、ガルダストリア製のもの。もちろんキッシュ製のものであれば、簡単に足がついてしまうからなのだろう。小型ではあるが手に持つとずしりと重みがあった。
「君にしか頼めない仕事だ。もちろん、やってくれるね」
アンゼルは満面の笑みで言った。断られることなどハナから想定していないのだろう。彼の自信の理由は、青年が一番よく知っていた。
「……はい、必ずや遂行してみせます」
「良い子だ。期待しておるぞ」
アンゼルが再びポンと肩を叩いて部屋を出て行こうとする。フレッドはハッとしたように封筒の中に入っていた拳銃を手に取り、アンゼルの背に向けて構えた。全身から冷や汗が止まらない。指は震えて引き金からするりと滑る。
アンゼルは扉の所でピタリと足を止め、背を向けたまま言った。
「やめておきたまえ。君が私を殺しても、失うものしかないということはよく分かっているだろう。君がその引き金を引けば、君自身だけでなく君の師匠や
「……」
--カチャ
フレッドが拳銃を床に置く。アンゼルは満足気に笑い声をあげた。
「それでいい、それでこそ我が忠犬だよ、フレッド君」
彼が部屋を出て行った後も、廊下から笑い声が聞こえて来る。フレッドはただ自分の唇を噛み締めその場でうずくまった。
***
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