mission3-13 途中経過報告



「あ……そうだわ、そろそろ本部に途中経過を、報告しないと」


 アイラはそう言ってよろよろと立ち上がる。その一瞬の隙のうちに、ジョルジュは彼女の腕の中からすっと抜け出した。ただでさえ元々くせ毛であるのに、撫でられすぎたせいで爆発したかのようになってしまっている。


 嫌だったわけではない。どちらかといえば少し照れくさかった。幼い頃から母と死に別れ、男勝りなファブロに育てられてきたジョルジュにとっては、こうして女性に抱きしめられるという経験があまりなかったのだ。アイラの腕の中は優しくて心が落ち着くがゆえに、このまま居続けると自分がふにゃふにゃにとろけてしまうような、そんな気がして少し恐ろしくなったのである。


 アイラはファブロの家の壁のフックにかけていたコートを取ると、ポケットからサンド二号を出した。手のひらサイズに縮んでいるこのぬいぐるみは、女性に叩かれることで付喪神つくもがみ眷属けんぞくとしての力を発揮する。アイラはサンド二号に向かって拳を振り下ろした。


--ぽふん


 柔らかいクッションの音。サンド二号は沈黙したまま起動していない。アイラは首をかしげてもう一度試すが、結果は同じだった。酔っているせいでいつものような力が入らないのだ。


「うーん、これではダメねぇ……」


 そう言って部屋の中を見回す。ユナはルカと一緒に出て行ってしまったから、あと女性と言えば一人しかいない。


「ファブロさん、ちょっとこの子を叩いてみてくれない?」


「私が? 叩いたりしたらぬいぐるみが壊れちまうんじゃないかい」


「大丈夫大丈夫、この子はそんなにヤワじゃないから」


「? まぁよく分からないが、こうすればいいんだ……ねっ!」




「--ヴゴフッ!!!!」




 鈍い悲鳴とともに、水色のぬいぐるみから白煙が湧き上がった。巨大化したサンド二号は、ファブロの左手で殴られた腹部を抑えてぷるぷると小刻みに震えている。生き物ではないが、サンド二号の目にあたる白いビーズは涙を浮かべるかのようにゆらゆらと揺れた。


「ひゃ、ハロー、アイラ姐さん……今日は、どうしはったん……」


 さすがのサンド二号も女職人の鉄拳にはかなわなかったのだろうか。これが利き腕だったのなら、使い物にならなくなっていたのかもしれない。一部始終を見ていたガザは、昔ファブロを怒らせて何度も殴られかけたことを思い出し、人知れず身震いをした。


「本部に状況を報告しておこうと思ったのよー。さ、ノワールにつないで」


「姐さん……もしや酔ってはるん? 嫌や……うちはいつもの冷たいアイラ姐さんの方が好きなんや……」


 サンド二号はぷいっとアイラに背を向ける。ふよふよと宙に浮きながら食卓の上を一周すると、ジョルジュが飲もうとしていた水の入ったグラスを奪い取った。


「あ、おいサンド二号、お前まさか……!」


 ガザはぬいぐるみが何をしようとしているのか察して、止めようとしたが一歩遅かった。サンド二号はグラスを精一杯振りかぶる。


「アイラ姐さん、目ぇ覚ましてやー!」




--バシャーーンッ!




 グラスに入っていた水は思い切りアイラの顔にかかり、えんじ色の髪が濡れて毛先から雫がこぼれる。ガザは「知らないぞ……」と呟き、そそくさとアイラから距離を置く。ジョルジュは慌ててタオルをとって彼女に手渡そうとしたが、先ほどとは違う、ぴりっとした雰囲気を感じて近寄れなかった。アイラは濡れた前髪をゆっくりと掻き上げる。そこにはいつも通り--いや、いつも以上に刺すような灰色の三白眼があった。


--ガッ!


 サンド二号が飛び退く間もなく、彼女の手はぬいぐるみの頭部と胴体のつなぎ目あたりを掴んで拘束してしまった。


「サ、ン、ド、二、号……?」


 アイラの声音が低く揺れる。苦しいという感覚があるのだろうか、ぬいぐるみの腕はぴくぴくと不規則に痙攣している。


「ぐふ……い、いつもの、アイラ姐さんや……」


 そう言うと、サンド二号の耳はぴんと垂直に立った。耳の周りにうっすら浅葱あさぎ色の光をまとっているのを見て、ジョルジュはガザに尋ねる。


「ねぇ、もしかしてあれが神器ってやつなの? ガザは最近そればっかり作ってるんでしょ」


「いや、サンド二号は神器じゃなくて付喪神の眷属が宿っているぬいぐるみだ。本体の付喪神は別のところにいるんだが、付喪神とその眷属同士で意思の共有ができるんだとよ」


 ガザが説明している間に通信が終わったのか、サンド二号の口がぱかっと開き、ハスキーな女性の声が聞こえてきた。


『アイラ? 久しぶりね! こちらシアン、今ちょうど本部に帰ってきたところよ。ノワールは出かけているみたい』


「ちょうど良かった。シアン、サンド二号の暴走をどうにかしてくれない? さっき思いっきり冷水をかけられたの。服も化粧もぐちゃぐちゃだわ」


『おかしいわね。サンド二号、アイラのことは気に入っているのに。何かあったの?』


「アイラはさっきまで酔っ払っていたのさ」


 ガザが口を挟むと、サンド二号からはシアンがくすくすと笑う声が聞こえてきた。


『あぁ、それは自業自得よ、アイラ。あなたは酔っ払うと本当に面倒くさいんだから。むしろ何かやらかす前に酔いが醒めてよかったじゃない。ほら、だって昔クレイジーに』


「あああああああ! その話はやめて!」


 アイラは急に大声を出してシアンの言葉を遮った。酔いは醒めているはずだが、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。


 シアンとアイラはブラック・クロスの中では数少ない女性メンバーである。二人ともブラック・クロスの所属歴が長く、年も五つほどしか変わらないため、互いに気を許しているのだ。普段クールなアイラをここまでからかうことができるのは、シアンの特権のようなものだった。


『それで? 任務の途中経過報告で連絡くれたんでしょう。ノワールの代わりに聞くわ』


「そうね。ユナの神器を作るためにキッシュまで来たんだけど、黒流石はまだ手に入っていないの。どうやらこの街の町長が買い占めてしまっているみたいで」


『買い占め? 黒流石ってそんなに大量に使うようなものだったかしら、ねぇガザ』


「ああ、それは俺も引っかかってたところなんだ。黒流石ってのはなかなか扱いが難しい石でな、それこそ、数ヶ月前に町長になったばかりのおっさんが使い方を閃くようなものではないんだよ」


 横で話を聞いていたファブロも、腕を組んで頷いた。


「そうだねぇ、黒流石を大量に使うって言ったら、この街じゃ今は亡きヴェルンド爺さんかその弟子くらいじゃないと……」


 言いかけて彼女はハッと口を覆う。


「ガザ、もしかして……」


「ああ。アンゼルのおっさんのバックには、俺の兄弟子がついてる可能性がある。ヴァルトロ四神将、アラン=スペリウスがな」


 アイラはそれを聞いて深いため息を吐いた。


「またヴァルトロ四神将、か。彼らの手広さには本当に驚かされるわ。少人数で対峙する私たちの身にもなって欲しいところね。……というわけでシアン、ノワールに伝えておいてくれない? 私たちはもう少しキッシュに滞在して、黒流石が買い占められている理由を探る。ヴァルトロが関わっているとしたら、なんだか嫌な予感がする」


『わかった、ちゃんと伝えておくわ。そう言えばそこにはいないようだけど、ルカは?』


「あぁ、あの子なら街を見に行ったわよ」


 アイラがそう言うと、シアンは驚きの声をあげた。


『ちょっと! ちゃんと彼のおりをするのがアイラの役目の一つじゃない。放っておくとすぐに問題を起こすんだから』


「大丈夫よ。ユナがついているし、さすがに無茶はしないでしょう」


『あら、用心深いあなたの割には、ユナって子のこと随分と信頼してるじゃない』


 アイラはジョルジュに灰皿を持ってこさせると、煙草に火をつけて白い煙を吐く。


「そうかもね。ルカが目覚めた時のことを知っている私たちとは違って、あの子はルカに対してとても真っ直ぐだから。それに……あの子と出会ったことで、ルカが少しずつ変わってきている。私はそれに何かを期待せずにはいられないのよ」








 どこかの海にぽつんと存在する、険しい岩礁でできた洞窟のような空間。松明たいまつの明かりと人の賑わいで、内部は不思議と暗くない。そこがブラック・クロスの本部であった。中心部は吹き抜けの広場というドーム状の構造になっていて、一階にはリーダーの執務室と食堂が、二階にはメンバーの居室がある。アイラとの通信を終え、シアンは執務室でアイラの報告内容を書類にまとめていた。リーダーであるノワールが不在の時は、彼女が任務の管理をしているのだ。



--ザバッ!!



 海に面している広場の方で、大きな波の音がした。シアンは部屋を出て音がした方へと向かう。そこには、人間の体の十倍以上は大きなシャチが一体佇んでいた。



「お帰りなさい、ノワール」



 シアンがそう声をかけると、シャチの体は灰色の光をまとってもやがかかったようになり、徐々に縮んで人の体を形作っていった。シャチから変化した男は、長い黒髪を手首に巻きつけていた麻紐で結ぶと、シアンに向かって微笑んだ。ギザギザの白い歯は人のものというより獣に近い。この男こそがブラック・クロスのリーダー、ノワールである。


「やぁ、シアン。もう任務から帰ってきてたのか」


「ええ……ちょっと失敗してしまって」


「失敗? お前にしては珍しいな。話を聞こうか」


「お願いします。でもその前に服を着てくれますか?」


 そう言って、シアンは執務室から持ってきたノワールの服を手渡す。なるべく彼の方を見ないよう、目をそらしたまま。ノワールはそう言われて初めて自分が裸の状態であることに気づいようだ。悪びれもせずあっはっはと豪快に笑った。


「悪い悪い。いやー育ての親が人間じゃないと、こういうところで苦労するよ。何年経っても子供の頃のクソは直らないからな」


「それを言うなら”クソ”じゃなくて”クセ”です」


 シアンは冷たい口調で言い返す。意図的に冷たくしているわけではないのだが、どうしても彼の前だとこうなってしまう。シアンはそんな自分があまり好きではなかった。きっとまたアイラが帰ってきた時にバカにされるのだろう。


「あれ、そうか。こないだミッションシートを送った時にアイラにも怒られたんだよ。もっと字を練習した方がいいって。俺にしては上手く書けたと思ったんだけどな」


「さっき見ましたけど、誤字脱字ばっかりでしたよ。エナジードリンクがエヌジードリンコになっているし」


「ああ、それは間違いじゃなくて俺なりのジョークのつもりだったんだよ。ほら、よくルカが苦い顔して飲んでたのを思い出して」


--ドゴッ!!


 慣れた動作で鉄拳をかわす。ノワールが先ほどまで座っていた場所には大きな穴が空いていた。岩場であるにも関わらず、である。


 服を着終えると、ノワールは立ち上がって執務室への方へと歩き出す。シアンはその少し後を追った。


「……で、どうだったんだ。任務の内容は、ヴァルトロの勧誘を受けていた神石の共鳴者の説得だったよな」


「説得に向かう前に……彼は死んでしまった。銀髪女シルヴィアに殺されてしまったんです」


「! コードネーム”銀髪女”、最近暗躍しているという女スパイか」


「神石もその場にはありませんでした。ヴァルトロの兵士が神石が見つからないと騒いでいたから、彼らが回収したわけではないのでしょう。多くの人の目をかいくぐって暗殺を成し遂げた……あの女スパイ、かなりのやり手かもしれません」


 ノワールはうーんと首をひねる。


「一体何が目的なんだろうな。とりあえず、うちの共鳴者たちには注意喚起を出しておいてくれ。目的は謎だが、今のところ銀髪女に殺される人間の共通点は、神石との共鳴者ってことだけらしいから」


「わかりました。すぐにサンドシリーズに連絡を出しておきます」


 本部の吹き抜けの広場からは、天井に穴が空いていて空が見える。もうすぐ日が沈む。今日の夕焼けはやけに赤紫の色合いが強く、今が『終焉の時代ラグナロク』であることを人々に思い知らせるような、そんな不気味さを感じる色をしていた。




「俺たちものんびりはしていられないな……」




 ノワールはぼそりと呟く。シアンが「何か言いましたか」と声をかけたが、ノワールは「大したことじゃない」と首を横に振った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る