mission3-12 シスター・ジル


 巨大な煙突の真下までやってきた。一本、まっすぐ天に向かって塔のようにそびえている。近くまで来ると、それは煙突ではなく、展望台として機能しているのだと分かった。煙突の中に入って登っていけるような構造になっており、最上部には見晴台がついていてキッシュの全貌を見渡せるようになっているようだ。入り口の横には精悍な顔つきの男の銅像が立っており、銅像の台座部分には金字で「伝説の鍛冶屋・スペリウス工房跡地」と書かれていた。


 ルカとユナは急いでいた足を止める。煙突の塔の入り口の前で、子供たちが集まって何やら騒いでいたのだ。


「今さらギコー派なんて古いんだよ! お前んちなんかつぶれちゃえ!」


「そうだそうだ!」


「うるせー! ショーギョー派に流れたお前の父ちゃんこそ、キッシュの職人の恥さらしだ!」


「町長の犬め! 職人を名乗るな!」


 ジョルジュのものとよく似た作業服を着ていて、顔や衣服は煤にまみれている。職人の家の子供たちだろうか。彼らは今にも取っ組み合いの喧嘩をしそうな剣幕で睨み合っていた。


 ルカとユナは目を合わせ、無言で互いに頷いた。考えていることは同じだ。ルカは子供達の方へと寄っていく。


「どうしたどうした。そんなに騒いで、何かあったのか?」


 子供達はルカとユナに気づき振り返る。商業派を主張するリーダーらしき少年は、ルカたちの服装を上から下まで見ると、顔をしかめてぺっと唾を吐いた。


「なんだよ、よそもんは口出してくんな。これはオレたちキッシュの職人の問題なんだ!」


「そうだそうだ!」


 技巧派の子供達までそれに同調し、ルカに詰め寄ってくる。子供とはいえど、ものすごい気迫だ。皆殺気立っている。それほどまでにキッシュの派閥争いが激化しているということなのだろう。


 彼らに何て声をかけるべきか……そう考えているうちに、パンパンと手を叩く音が響いた。音がした方を見やると、ウグイス色の修道服で全身を覆った丸眼鏡の女性がこちらに向かって歩いてきていた。小柄な体に似合わず、ページがところどころ痛んだり黄ばんだりしている分厚い本を抱えている。創世神話だ。


「こらこら、喧嘩は良くないですよ。創世神の一人・ヘパイストス様の言葉に、こういうものがあります。『私が作るものは誰かを不幸にするためのものではない、誰かを幸せにするためのものだ』と。どんな立場であれ、人のことを悪く言うより前に人を幸せにすることを考えないと、良い職人にはなれないですよ」


 近くまでやってくると、修道女は眼鏡の奥で柔和な笑みをたたえる。落ち着いた雰囲気からルカたちよりも年上だとは思われるが、童顔なのか表情は自分たちと同じ年頃くらいのようにあどけなく見えた。化粧っ気がないのも一つの理由かもしれない。


「ジルさんだ!」


 ルカはハッとして子供達を見る。彼女が現れた瞬間、先ほどまで騒いでいたのが信じられないくらい急に静まったのだ。彼らはつきものが落ちたかのようにけろりとした表情でその修道女に駆け寄っていった。


「ねぇ、昨日のお話をまた聞かせてよ」


「やっぱり鍛冶の神さまのお話が聞きたい!」


「僕も僕も」


 子供達に囲まれたジルと言う名の修道女は彼らの頭を撫でてやると、ゆるりとした動作で抱えていた本のページをめくる。


「それでは今日はヘパイストス様が登場する第九章のお話をしましょうか。”この頃は隆起せし大地に地殻変動ありて、暗き穴ぐらにも光を生み出すものあらん”--」




 ルカとユナは思わず、ジルの語りを最後まで聞いてしまった。彼らが魅せられたのは創世神話の中身ではない。それはもう幼い頃に耳にたこができるほど読み聞かされて知っている。惹きつけられたのはジルの醸し出す雰囲気の方だ。穏やかな口調の中に、物語の起伏に合わせて込められる抑揚。創世神話を読みながらも、その大きな瞳は聴くものを一人一人捉えて逃がさない。幼い子どもでなくとも夢中にさせる引力がそこには存在していた。


 それに、ルカの耳にはもう神石の声は聞こえていなかった。いつから声が止んだのかはわからなかったが、どれだけ耳を澄ませても何も聞こえない。強いて言えばユナの神石の寝息が微かに聞こえてくるだけだった。




 語りが終わって子供たちが各々の家に帰って行った頃、ジルは立ちつくしている二人に声をかけた。


「最後まで聞いてくださってありがとう。……申し遅れました、私はナスカ=エラのミトス神教会から派遣されたジルと申します。アルフ大陸の各地を回り、創世神話を語り継いでいく者です。あなたたちは?」


「えっと……おれはルカ、彼女はユナ。この街には買い物に来てて。さっきはすごかったです、子供たちを一瞬で静かにさせてしまうなんて」


 ルカがそう言うと、ジルは首を横に振った。


「いいえ、私がしたのは彼らの気を紛らわしただけ。喧嘩のもとを取り除いたわけではありませんわ。きっと放っておけば明日もまたいがみ合うのでしょう。大人たちの争いが子供たちにも伝播してしまうなんて、悲しいことですね」


 ジルの表情が少し曇り、憂いを帯びる。彼女はキッシュの街の人間ではないはずだが、本心から子供たちのことを気にしているのだろう。これが聖職者というものなんだろうか、とルカは思った。


「やっぱりファブロさんが言った通り、この街は二つに分かれてしまっているんだね」


「そうだな。自分たちの生き方に関わる話だから、技巧派でも商業派でもきっとお互いに必死なんだよ」


「生きるのに必死というのは良いことです。世界を見渡してみれば『終焉の時代ラグナロク』を前に、そもそも生きる希望を失ってしまっている人々もいます。それに比べれば、このキッシュという町はとてもエネルギーに溢れていますよ」


 ジルはにっこりと微笑み、広げている創世神話をパタンと閉じる。古い本だからか、少しだけ埃が舞った。




「それにしても……あなたたちは、ただ者ではありませんね。神に愛された者--『契りの神石ジェム』との共鳴者、そうではありませんか?」




 心臓がドクンと跳ねる。使ってもいないのに『契りの神石』を持っていると知られたことは一度もなかった。ルカとユナは顔を見合わせ、恐る恐るジルの表情をうかがう。すると、彼女は口に手を当ててくすりと笑った。


「ふふふ、冗談です。ミトス神教会では神通力が高い者が多いですが、神石を見破れるほどの力があるのはナスカの統率者でもある巫女様だけ。少し修道の者らしいことを言ってみたかっただけですよ」


「そ、そうですか……」


「まぁいずれにせよ、あなたたちはただの買い物客には見えないですけどね。特にユナさんの方は」


 ジルに微笑みかけられ、ユナは苦笑いを浮かべる。普段はミントに「ユナ様は姫らしくない」と散々小言を言われたものだが、どうも彼女には見透かされているような感じがしたのだ。


 そんなユナの気をよそに、ジルは何かを思い出したのか大きな声を上げる。


「ああ、そうでした、宿の方にお使いを頼まれていたのでした。私はまだしばらくキッシュに留まる予定なので、またお会いできたらゆっくりお話ししましょう」


 そう言って彼女は強引に名刺のようなカードを二人に押し付けると、パタパタと小走りで去っていく。その場に残るルカとユナの額からは冷や汗がたらりと伝っていった。



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