mission3-10 技巧派と商業派


 キッシュブランのボトルは間も無く空になる。食事がいよいよ終わりかけようという時、ガザは思い出したように言った。


「そうだ、ファブロに聞きたいことがあったんだよ」


「なんだい」


「さっき市場の方で黒流石を買おうとしたんだが、相場がありえないくらい高騰していたんだ。どうも誰かが買い占めているらしい。何か心当たりはないか」


 ファブロは「ああ」と言って深いため息を吐く。


「そりゃアンゼルの仕業だろうねぇ。そんなことができるのは今のキッシュじゃアイツくらいなものだよ」


 ルカの脳裏には先ほどの鉱石屋で出会った中年男の顔が浮かんだ。


「アンゼルって、この町の町長なんだろ? どうしてそんなことするんだよ」


「アイツは一ヶ月くらい前からキッシュで事業を始めたのさ。再起の工場、ヌスタルト--何を作ってんだか詳しくは知らないが、あれが稼働してからはキッシュ中の物資や人が工場に集まっている。おおかた、黒流石もそのうちの一つなんだろうねぇ」


 そう言ってファブロはボトルから酒を注ごうとしたが、一滴も残っていないのが分かると、ふらついた足取りでもう一瓶台所から持ってきた。


「ヌスタルト……さっきの職人たちが言っていたのはその工場のことだったのか。だが、ますます理解できないな。町長がこの町で事業を起こしたり、職人たちがそれに加わるなんて、一体何が起こっているんだ」


「皆、生きるのに必死なだけさ。今この町は技巧派と商業派の二つに分かれちまってるんだよ」


「技巧派と商業派?」


「ああそうさ。元々キッシュは職人中心の技巧派の町だった。特にガザの師匠でもあるヴェルンド=スペリウスが生きていた頃はね。彼の技術の高さに皆憧れて、互いに切磋琢磨して自分の腕を磨いてきたのさ。『良いものは必ず売れる、客に選ばれるんじゃない、客を選ぶ側になれ』--それが技巧派の誇りでもあり、キッシュのルールのようなものだった。七年前、突然戦争が終わるまでは」


 ファブロは席を立つと、部屋の壁に立てかけてある槍を手に取った。先端の刃は鋭く研ぎ澄まされていて、汚れ一つついていない。


「武器職人の悲しいさがさ。私たちが作っているのは人殺しの道具だ。世の中から争いがなくなれば、需要はたちまち減っちまう。ガザのように腕も要領も良い奴でない限り、多くの技巧派の職人たちは終戦以降食いっぱぐれていったんだよ」


「それで……そこに目をつけたのが、あの町長というわけなのね」


 アイラの言葉にファブロは頷くと、部屋の隅に乱雑に積まれていた書類の山から、一枚の紙を引っ張り出してきた。その紙には見覚えがある。職人街で二人の男が持っていたのと同じものだ。「ヌスタルト工場、人員募集」と大きな文字で描かれている。


「アンゼルはこれまでのお飾りのような町長とは違って、野心家の男だ。なにやら工場で大量生産をしたいものがあるらしく、その働き手として落ちぶれた職人たちを勧誘しているんだ。私らはアンゼルやヌスタルトで働くことを選んだ職人達のことを商業派と呼んでいる。最初こそ技巧派の方が根強くてなかなか人集めに苦労していたようだが、この一ヶ月のうちにあっという間に勢力は逆転した。技巧派を取り仕切っていた私がこんな怪我をしちまったのも、拍車をかけたみたいでねぇ」


 そう言ってファブロは自嘲しながら包帯でぐるぐる巻きになった右腕を掲げる。この腕ではハンマーを振るうことなどとてもできないだろう。


「ジョルジュからお前が怪我をしていると聞いて驚いたよ。一体どうしたんだ」


「普段ちゃんと部屋を片付けておかないバチが当たったのさ。一ヶ月くらい前に工房に積んでたものが崩れ落ちてきてね、その時に骨が折れちまったんだよ」


 沈黙が流れ、工房でジョルジュが作業する音だけが聞こえて来る。気まずくなったのか、ファブロはそそくさと食卓の食器をまとめて片付け始めた。


「まぁ、あんたらがこの町の情勢に気を配る必要はないだろ。別に誰かが悪さしてるわけでもない、生きるために必死で変わっていこうとしてるんだ。黒流石のことは明日うちに元弟子のフレッドが来ることになっているから聞いてみな。あいつも今はアンゼルの元で働いているからね、内情には詳しいかもしれないよ」


 手伝うよ、とルカがファブロの持つ皿を受け取ろうとする。「ありがとうねぇ」とファブロがルカの肩を叩くと、彼はビクッと体を震わせ涙目になった。


「ルカ、もしかして坑道で落ちた時の怪我が痛むの?」


「いやいや、なんでもないよ! これくらい平気だって……イデッ!」


 ルカが悲鳴を上げ、ガザとユナは目を丸くしてその光景を見つめた。アイラがすっと立ち上がって、いきなりルカの身体を強く抱きしめたのだ。アイラはルカの背中から肩にかけてを何度も撫でる。


「おーよしよし、痛かったわね。いつも頑張ってるものね……少しはゆっくり休んでいいのよ」


 アイラはさすっているつもりらしいが、かえってそれが痛みになっているのか、ルカは顔を歪めて悲鳴をあげる。


「ア、アイラ……どうしちゃったの?」


「なぁに、ユナ。私はいつも通りよ」


 そう言ってユナの方を振り返ったアイラは、どう考えてもいつも通りのキリッとした彼女ではなかった。果実のように頬は赤らみ、普段は目力の強い三白眼も今はとろりと溶けてしまったかのようだ。彼女はふにゃりと微笑んで、ひたすらルカの肩を撫で続ける。その度にルカは声にならない悲鳴を上げた。


「そういえば、アイラは酔っ払うと甘やかし上戸になるんだったな……くそ、ルカめ、けしからん」


 そう言うガザは自分の口からよだれが出ているのに気づいていないらしい。


「痛い痛い痛い! 助けてぇぇぇえぇぇ」


 逃げ出そうにも思ったより強く抱きしめられているせいで、ルカはアイラに捕まったままだった。その時、悲鳴を聞いて不審に思ったのかジョルジュが部屋に戻ってきて、状況を目にするなり「ウワッ」と顔をしかめた。


「ルカ兄ちゃんたち、人んちで何やってるんだよ! やっぱりガザの知り合いだから、ルカ兄ちゃんたちも”ふしだら”な大人だったんだね……」


「違うってジョルジュ! これは、アイラが、いだだだだだ」


「おいおい、何でどさくさに紛れて俺を非難するんだ。なぁアイラ、俺も歩き詰めで疲れちゃったなぁ」


「え、ガザ、何て言った? ごめんなさい、聞こえないわ……」


「あっはっは、賑やかでいいねぇ」




 ユナは自分の中で湯が沸騰するかのように、何かがふつふつと湧き上がってくるのを感じた。こんなことで不機嫌になるのも自分では馬鹿らしいと思うが、どうにもうまく制御できるものではないらしい。急激に血の巡りが早くなったかのように、頭に熱が昇っていく。


(--あぁ、もう!)


 ユナはぎゅっと口を固く結ぶと、つかつかとルカとアイラのそばに歩み寄り、ばっとルカの腕を引く。それまでの堅い拘束が嘘だったかのように、アイラはあっさりとルカを放した。





「私、ちょっとルカと街を見てくるから!」





 ユナはそう言い切ると、ルカを引きずるようにしてファブロの家を出て行った。ルカ本人は状況が掴めていないのかあたふたとしながらユナに引っ張られていく。



「あら……どうしてユナはあんなに怒ってるの?」


 ガザは頭を抱えてため息を吐く。


「アイラ。今のはお前が悪かったぞ」


「え? まぁいいけど」



 アイラはきょとんとして首を傾げた。次のターゲットとして、ジョルジュの焦げ茶色のくせ毛をくしゃくしゃと撫でながら。



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