mission3-9 留学仲間


 ファブロが巨大なヘラで窯の中の鉄板を取り出した。パチパチと肉汁が跳ねる音と、香ばしい匂いが部屋の中を満たす。


「さぁできたよ。キッシュの伝統料理、かまど焼きハンバーグだ」


 人数分の鉄板が食卓に並べられる。ほどよく焦げ目のついたハンバーグに、添えられた緑黄色の野菜が食欲をそそる。


 工房に併設された居室空間は普段ファブロとジョルジュの二人暮らしらしく、六人が食卓を囲うとかなり窮屈な気がした。食器の数もギリギリで、食器棚の中は今やほぼ空になっている。アイラは食事の用意をするファブロに向かって頭をさげる。


「ありがとうございます。突然押しかけたにも関わらず、私たちの分まで用意してもらって」


「いいっていいって! うちのジョルジュが世話んなった礼だよ。それに、こんなに賑やかなのは久しぶりだしねぇ」


 そう言ってファブロは棚から取り出してきた赤紫色のボトルの栓を開けた。ラベルには「キッシュブラン」とある。工房の床にいくつも転がっていたものと同じ瓶だ。彼女は飲むかどうかを尋ねることなくグラスに注ぎ、ガザとアイラに手渡した。それを見てルカは顔をしかめた。


「げ、アイラ、昼間っから飲む気なのか」


「別にいいじゃない。せっかくいただいたんだし」


 ルカはええと不満の声を漏らすと、隣に座るユナに小声で耳打ちした。読唇術に長けたアイラに見られないよう、口元に手を当てて。


「本人は自覚ないみたいだけどさ、アイラは酔っ払うとめんどくさいんだ。食事が終わったら、絡まれる前に抜け出して街でも見て回ろうか」


「う、うん」


 ユナは小さく頷く。アイラは二人の様子をいぶかしみながらも早速グラスに口をつけた。





 ファブロの料理は、とても家庭料理とは思えないほど美味しかった。


 職人の街であるキッシュでは、かまどを使った肉料理がよく食べられるのだそうだ。そしてキッシュブランと呼ばれる地酒は、芳醇な香りが特徴の度数の高い蒸留酒である。味の濃いかまど料理とキッシュブランの絶妙な組み合わせが、職人たちの活力の源となっているのだ。ジョルジュはハンバーグを頬張りながら、早く大人になってキッシュブランを飲めるようになりたいと言った。




「にしても、ファブロさんっててっきり男の人だと思ってたよ」


 ルカがそう言うと、ファブロは豪快に笑った。彼女の振る舞いを実際に目にしても、ガザよりもたくましく思えることが多かった。


「女職人ってのはあんまりいないからねぇ。だが、私はそこらの男どもに腕で負けるつもりはないよ」


 そう言って彼女は自身の右腕を叩く。右のほうが利き腕のようだが、ぐるぐると白い包帯で巻かれ、三角巾で吊られている。ジョルジュが言った通り、怪我をしているようだった。


 ガザはファブロの言葉に頷いて言った。


「そうそう、紹介が遅れたな。ファブロは俺の留学仲間で、今のキッシュでは一番の鍛冶屋だ。ま、俺がこの街に留まれば話は別だけどな」


「はんっ、強がりはよしな。あんたはとうの昔に武器職人をやめちまって今じゃ神器専門なんだろ。七年もブランクがあるんじゃ、もう私にゃかなわないよ」


 そう言ってファブロはグラスの酒を一気に煽る。競うようにガザも酒を飲み干し、ニヤリと笑った。


「留学仲間って響き、いいなぁ。僕も留学に行きたいよ」


 ジョルジュはすでにジュースを飲み終えて氷だけが入ったグラスのストローをすすりながら言った。ファブロは眉間にしわを寄せて「行儀が悪い」とグラスを彼から取り上げる。


「キッシュには留学制度があるんですか?」


「あぁ。腕の立つ若手の職人は、親方に推薦されればナスカ=エラに留学できるんだ。ナスカは創世神話の聖地っていうイメージが強いが、同時に世界で一番デカい図書館のある学術都市でもあるからな」



 ナスカ=エラとは、創世神話を語り継ぐ巫女が治める永世中立国である。どんな国の人間であろうと、創世神話を知らない者はいない。そして、ナスカ=エラの巫女が告げる預言のことも。特に『終焉の時代ラグナロク』の始まりを告げた先代の巫女マグダラは優れた神通力の持ち主だったと言われており、かつての二大国の王は彼女の預言を頼りに国を繁栄させてきたのだという。


 ユナはガザの話を聞いて、幼い頃に読んだ分厚い創世神話の本を思い浮かべる。表紙にはナスカ=エラのシンボルでもある大聖堂の絵が描かれていた。大聖堂の絵で印象的なのは極彩色のステンドグラスだ。最終章である「最後の神議かむはかり」の様子を表現したものだと言われている。キーノと一緒にページをめくりながら、「いつか見てみたいね」と話していたっけ。




「私らが留学に行ったのはもう十五年以上前か。ナスカにたどり着いた時のことはよーく覚えてるよ」


「おい、その話は恥ずかしいからやめろって」


 ガザはファブロを止めようとしたが、すでに他の四人は興味津々だ。彼女は悪戯な笑みを浮かべて話を続ける。


「ガザはねぇ、ナスカ=エラの門をくぐるなり大巫女マグダラに『その者を通すな。世界に災いをもたらす』って言われて追い出されたんだよ。それで、門の外で一晩野宿することになったのさ。あれには笑ったねぇ。結局、実力はあったもんだから学府の先生が掛け合ってくれてちゃんと入学できたんだけど」


「本当に、あの婆さんにはビビったよ……」


 ガザは当時のことを思い出したのか苦い顔をして口をつぐんだ。ある意味ガザらしい話だとルカは思う。


 留学の話を聞いて始終うずうずとしていたジョルジュは、ファブロに向かって尋ねる。


「ねぇ親方、いつになったら僕を留学に推薦してくれるんだよ。フレッドは十二の頃には留学に行ったんだろ」


 ファブロは左手で彼の頭を軽く小突くと、目を合わせないまま言った。


「甘ったれたことを言うんじゃないよ。お前はまだ果物ナイフすらまともに作ったことないだろう。兄弟子がどうなんて関係ない、お前の努力がまだまだ足りないんだよ」


「ちぇ……」


 ジョルジュは口を尖らせると、そそくさと食器を片付けて工房の方へと出て行く。しばらくすると、カンカンと金槌の音が聞こえてきた。今はまだ小さな音だが、いつかこの街を賑わせる音の一つになっていくのだろう。




「ジョルジュの他に弟子がいるんですか?」


 ユナが尋ねると、ファブロはふぅと息を吐いて答える。


「あぁ、もう独立しちまったから”元”弟子だけどね。二人とも先の大戦で親を亡くした孤児で、行くあてがないようだったから、面倒見る代わりにうちの仕事を手伝ってもらっていたんだよ」




「戦争孤児……」




 アイラがぼそりと呟く。酒のせいかはわからないが、視線はどこか焦点が合っておらず、いつも凛とした彼女らしくない表情を浮かべていた。



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