第二話 長い雨の中で、僕は今後について真剣に悩む
あれから二週間が経とうとしていた。外は細かい雨がしとしとと、もう三日も降り続いている。キャンパスの中では、「大学生」に慣れた一年生がちらほら大学をサボり始める頃だ。
この二週間で、僕の周りは大きく変わっていた。
まず、実験の相談などいつもアドバイスをもらっていた助教の斉藤先生は、海外へのサバティカル(海外での研究のための長期休職)の準備のために、有給休暇に入った。
次に、新しく配属された学部四年生については、学科長と松田先生の間で話し合いがあって、今年度は第三呪術研究室には「配属なし」ということになり、配置換えとなって大学内の別の研究室に移った。
博士前期課程(修士課程)の学生についても、松田先生の親しくしている別の教授の研究室や、違う魔法大学院の研究室に出向という形で、僕以外の全員が軌道修正を行い、新しい環境で研究を再開することになった。
―――そして、僕だ。
この魔法大学院では、博士後期課程に関しては『主査(博士論文の審査責任者)となる指導教員が死亡、または長期の入院など研究指導に著しく不都合を生じる状態になった場合、あるいは他大学への異動がない限り、在籍期間途中での主査の変更を認められない』となっている。
つまり、僕は卒業するか、この大学院とは別の大学院に入りなおす以外、第三呪術研究室から出て博士論文の研究をすることはできないため、一人だけ残っていた。
そして、この研究室には研究費がない……
■
世界暦1800年代に、魔法が偶然「発見」された当時から、まだ魔法が一部の先天的に高い魔力をもった人間だけのものだった時代までの長い間、まず最初に研究された魔法領域は、ヒトの怪我や病気を
呪術とは、「特定」の「動物」に、あらかじめ決めておいた条件が成立した際に、これも事前に決めておいた効果である「呪い」が、"対象者の魔力を使って" 発動するという条件発動型魔法体系のことだ。
また、呪術には三大不可侵項目というのがあって、
(1)ヒトの他にも野生動物などにも効果があるのに、なぜか等しく魔力を持っている植物には効果がない
(2)対象者を「殺す」などの殺傷能力の高い呪いを構築することも可能だが、対象者にかかるすべての効果を、魔法式で記述して正しい順番に並べることができないと、対象者の髪の毛一本抜くこともできない(なんかバーンと当たって、結果、死ぬみたいな抽象的な呪いにはまったく効果がない)
(3)ある程度の範囲特定は可能だが、たとえば「空港にいるすべての人」のような、非特定の動物群すべてを対象にすることはできない
など魔法研究が進んだ現代になっても、未だ解決していない未知な点もあり、研究対象として非常に興味深い。
「つっても、今は"ド"マイナーな分野だけどな」
僕は「ぐぬぬ」という顔で、喫煙室で煙草を咥えながらダラーと天井を見上げて、手をぶらぶらとさせている同期のほうを見る。
「マリスのジェネラル・アンチスペルが発見されて、1990年代にはすでに終わってた領域だろ。2015年にもなって、そんなところに行くほうが悪い」
また「ぐぬぬ」となる。
呪術は、その誕生から二度の魔法大戦に至るまで、相手を殺傷する「兵器」としての研究が主に行われてきた。そのため、ある国が新しい呪術式を開発すると、対立している国の研究チームが、その式を無効化するアンチスペルを研究・開発するというイタチごっこが二世紀もの間続いていたのだが、世界歴1987年に、C.マリスというそれまで無名だった呪術研究者が、『ほぼすべての呪術式を、"発動"の手前で無効化する』というジェネラル・アンチスペルを発表し、状況が一変することになる。
しかもマリスは、このジェネラル・アンチスペルを独占することなく、即座に全世界に無償で公開したため、1990年初頭までに「兵器」としての呪術の歴史は幕を閉じた。
その後、ほぼすべての国で、乳幼児の頃にこのアンチスペルを体内に埋め込まれ(注射され)ることが義務付けられ、呪術は人間に対してはすべて無効化されている。そのため、現在では呪術は家畜などや野生動物への応用が主な研究目的になっている。
「就職目的なら"白"か"橙"、研究者やるにしても、"白"の免許取ってからって常識だろ」
二本目の煙草に火をつけながら髭面の同期、
「ただでさえ俺たち免許なしが白魔法系の学科で研究しつづけるのは難しいのに、何で
御神苗の言葉はいちいち勘に触ったけど、確かにその方法しかないとずっと考えていたところだった。
喫煙室の外の雨は、さっきより勢いを増して、ザァザァと窓を打っていた。
■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年9ヶ月
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