魔法大学院第三呪術研究室には研究費がない

トクロンティヌス

一部:魔法大学院第三呪術研究室には研究費がない

第一話 ある五月晴れの日、僕は研究室に研究費がないことを知る


 櫻国おうこく第76行政区内にある唯一の国立大学、第76行政区魔法大学校。76行政区内の中心地である行政区庁舎所所在地に、2つのキャンパス、そして隣接する自治体に別のキャンパスを持つ、総合大学である。


 物語は、この小さな地方国立大学から始まる――



 桜の花びらも散って、サークルの新人勧誘合戦で浮ついたキャンパスの雰囲気も平常に戻りつつあった、ある五月晴れの月曜日。僕は研究室恒例の月曜ミーティングのために、いつもより少し早めに登校していた。


 大学院博士課程1年目の僕と修士課程の学生が二人、学部の新四年生が一人、いつもの月曜日のようにラボと居室の掃除をしている。見慣れたいつもの風景だった。

 お互い、ボソボソとした感じで挨拶を交わす。

 そうしているうちに、ミーティングの時間になって、セミナー室にノートと鉛筆を持って全員移動する。いつもと違い、秘書さんがまだ出勤してなかったけど、特に気に留めなかったんだ……この時は。


 大学院生がデスクを並べる院生部屋の廊下を挟んで向かい側、実験室1の隣にあるセミナー室に入ると手分けしてプロジェクターの準備をして、最初にプログレス(研究の進捗報告)をする修士一年の学生が緊張した面持ちで演台の近くで待機する。薄暗いセミナー室は、よけいに緊張感が増すのは、僕も皆もよく知っている。

 ハァという発表者のため息が何回か聞こえた後で、セミナー室の西側、少し建付けの悪い扉がギィーという鈍い音を立てて開く。

 この魔法大学院第三呪術研究室の教授、松田先生だ。「おはよう」とだけ、僕達に声をかける。

 教授がセミナー室に入ってから、軽い挨拶、プログレス、ジャーナルクラブ(最新研究論文の紹介)、連絡事項の報告と進んでいくのがこの第三呪術研究室の月曜日のミーティングの定番の流れだ。

 早速、去年からラボに居る修士一年生がプログレスに取り掛かろうとしたその時――

「……ああ、すまない。今日はプログレスはいい。これから大事なことを伝えるので、よく聞いて欲しい」

 ええっ、と周りがざわつく。一番びっくりしたのは、僕だ。学部から博士後期課程の今までこんなことは一度もなかった。

 少しだけ間をあけて、松田先生が喋り出す。


「昨日、魔研費まけんひの交付内定の発表があった」


 魔研費というのは、魔術研究費補助金の略で、櫻国政府が基礎から臨床・産業応用目的の幅広い魔法の研究に対して交付する、この国で魔法の研究をするほぼすべての研究者が研究の原資とする研究費だ。

 毎年9月に公募がかかり、11月までに申請書を提出して、その申請書を審査したうえで、翌年5月、つまり今の時期に交付(支払)が内定する。

 少額の若手B・基盤Cから、年間数千万になる基盤Aや基盤Sまで、研究費の規模も様々だ。ひょっとして、基盤Cとかだけしか採択されなくて、今年は研究費厳しいのかな?、と不安になる。


「……うちの研究室、第三呪術研究室は、私と助教の斉藤君ともにすべて不採択だった」


 僕以外の学生がポカンと呆気に取られている。特に学部の学生は何のことかわからずただオロオロとしている。

 僕が何とか声を絞り出して、やっと「え、それって」と言おうとした瞬間、松田先生がいつもより重苦しい声で続ける。

「秘書の田中君には事情を話して、今年度の雇用がないことを伝えた。斉藤君は幸い別の海外研修助成金が採択されたので、二年間、海外のラボで研究できることになっている。 ……よく聞いて欲しい、この研究室には研究を行うための研究費がない」

 あまりの展開で、僕はまだ声を出せずにいる。

「いや、無いというレベルじゃない。教育基盤研究費という名目で大学からも研究費はあるけど、それも雀の涙程度だ。具体的に言うと、一番安い魔術触媒を買うとしても、約三ヶ月分にしかならない」



「――つまり、もう、ここでは今年は研究出来ないということだ」


 その一言を聞いた瞬間、僕の意識が跳ぶ。正直、その後のことはよく覚えてない。果たして、僕は無事に卒業できるのだろうか?




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年10ヶ月

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