第三話 僕の夏は教授の奇策から始まる 前編


 長い雨はまだ続いていたけど、ところどころで晴れる日があると、その陽射が少しずつ痛く感じるようになってきた頃、僕は決心をして教授室のドアをノックする。ここ数日、第76行政区から電車を乗り継いで4時間ほどかかる実家に戻って、両親と話し合った結果を、教授に告げるためにここに来ていた。


 「どうぞ」という声がして教授室に入ると、パソコンの画面をにらみながら、時々いくつかの書類に目を落とすという動作を繰り返す松田先生の姿があった。

「ああ、君か。ちょうど良かった。こちらから連絡を取ろうと思っていたところだったんだ。秘書の田中君が居ないから、お茶はでないけど……いいかな?」

 少しだけ肩をすくめておどける教授につられて、「構いませんよ」と軽い感じで返して、ローテーブルの前のソファーに腰を落とす。

 松田先生も自分の机からローテーブルに移動して座ると、「君の研究についてなんだが……」と切り出してくる。

 さて、一大決心を話す時が来たぞ、と僕は身構える。


「――ジェネラル・アンチスペルの解呪ディスペルにしよう」


「は…………えっ、あ、はぁ!!?」

 僕が大学院を辞めるつもりでいることは、松田先生もある程度予測してたに違いないと思っていた僕は、突然の提案に面食らって素頓狂すっとんきょうな返答をしてしまう。

「この研究室には確かに研究費がない。しかし、研究を続けて論文を書かない限り、研究費がある年になってポンともらえることはない。だから――」

「いやいやいや、ちょっと待って下さい、先生!僕は大学院を辞めに……」

 僕の返事を聞いて少しの間の考え込むようなしぐさをした後で、松田先生がゆっくりと話し始める。

「……なるほど、確かにこの研究室には研究費がなくて、君の考える『一度、退学してから別の研究室に入り直す』は、最も現実的な打開策と言えるね。 ――君のキャリアを考える上では」

 それ以外、僕が何を考えないといけないんだよ、と少しムッとしながら口を開こうとすると、松田先生がそれをさえぎる。

「しかし、君がこの研究室を辞めて、別の研究室に今から移ったところで、まともな研究開始できるのはいつになるのかな?」

 突然の質問で僕がうっと言葉に詰まると、それを見逃さないように松田先生が続ける。

「学部学生や修士課程の子たちなら、まだ軌道修正も充分可能だろう。助教やポスドクのように給料をもらいながら研究をする身であれば、自分のベースとなるキャリアを活かしながら、時間をかけてその研究室のルールを覚えるのも大丈夫だろう。

 しかし、博士後期、しかも医療系でもない君に博士論文を書くために与えられている時間は、わずか二年間。一年の留年を見越したとしても、それでも三年。その間には論文投稿や修正稿の作業、博士論文の執筆などが必要になってくる。

 つまり、最短の卒業を目指して、研究者としていち早く巣立つためには、実質、実験ができる期間は―――」


「たったの1年間かそこらしかない」


 僕は最後の一言でぐっと心臓を鷲掴みされたようになる。教授はおだやかな口調で、さらに続ける。

「例えば君が白魔法や橙魔法、いや、あのいけ好かない黒魔法でもいいが、それらの研究をしているなら、君が考えていたプランはうまくいくだろうね。いや、うまくいくように知り合いの先生を紹介したっていい。しかし、君はずっと私の研究室で、学部から修士まで呪術の研究しかやってきていない」

「ですから、他の大学の呪術研究室に――」と、僕は思わずソファーから立ち上がる。

「……無理だね」

 教授は、はっきりと一言で片付ける。

「現在、この国で『呪術学』を教えている大学は、国立私立を含めた775校中、たったの13校だ。大学院の博士課程を持っているところは、11校。そのうち、旧帝国大学の講座制でいうところの第三――つまりヒトを対象にした呪術研究室は、うちを含めてもわずかに三つしかない」

 そこまで話すと、松田先生は少し間をおいて、ふぅと息を吐いてから付け加える。

「……で、あとの二研究室、飯田さんと種村くんのところだけど、彼らのところも全滅だったそうだよ、魔研費」

「なっ!!」、僕は思わず絶句してしまう。

「文部魔法省はよっぽどヒトを対象にした呪術の研究を"してほしくない"んだろうねぇ。 ……それとも、今から産業動物か野生動物を対象にするかい?」

 教授がゆったりとした口調でそういうと、僕はヘタヘタと力なくソファーに腰を下ろしたのだった。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年8ヶ月と2週間

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