第四話 僕の夏は教授の奇策から始まる 中編


 僕は教授室のソファーでうつむきながら、田舎に帰った時のことを思い出していた。 ――ただ、ひたすらぐるぐると。


「……さて、感傷に浸っているところ悪いが、そろそろいいかい?」

 僕はキッと教授をにらみつけるだけで、声にはならなかった。

「君が産業動物や野生動物を研究対象にせずに、このままヒトを対象とした呪術研究を続ける前提で、最もわれわれが解決しないといけない点はどこにあると考えるかな? いや、研究費以外でだよ。もちろん」

 他に何があるっていうんだよと思ったが、やっぱり声にはならない。

 教授が立ち上がって、僕の分と自分の分のコーヒーを持って来る。「まぁ飲んで」と言われても、飲む気にはなれなかった。教授はそれを見ると、ふっと小さく息を吐いて口角を上げる。


「最も解決しないといけない点は……やはりジェネラル・アンチスペルだよな」


「例えば―――」

 そういうと、松田先生は呪術用の魔法触媒である万年筆を使って、呪術式を高速で紙に書き始める。と思った途端、僕の右腕が勝手にコーヒーカップを持って、勢い良く顔の前まで移動する。

「え!? ちょっと、先生!!」

 自分の意志とは関係なくコーヒーカップをひっくり返して顔にコーヒーをかけようとする、その一歩手前で、ピタッと右腕の動きが止まる。

「……さて、今、何が起こったのか説明できるかい?」

 松田先生がニヤっとしながら質問する。

「え?? ……えっと、先生の呪術が僕にかけられて、右腕がコーヒーカップをつかんで持ち上がり、そのまま顔にコーヒーをぶちまけようとした寸前で、"ジェネラル・アンチスペル"が発動して止まりました……でいいですか?」

「その通り。私が即興で作った『君をコーヒーまみれにする』という呪術が、その最後の段階で阻止されたわけだ」

 僕は怪訝けげんな顔をして「それがどうかしたんですか」と尋ねる。

「当たり前だ、という顔をしているね。そう、1990年代以降のわれわれにとってはどうということはない、当たり前という現象だ。

 しかし、君は不思議に思ったことはないかい? 私のこの即興の呪いは、それが即興で作った呪いであったにも関わらず、止まるんだよ?」


 いまいちピンと来ない。


「――ふむ。少し言い方を変えよう。これまで呪術を専門に勉強してきた君なら、呪術の三大不可侵項目の一つである『シークエンスの原則』についてはわかるね?」

 松田先生が僕に問いかける。

「……ある呪術式を構築する際に、最終的に発動する呪いに向けて、任意の単位に区切られている呪術コードを連続して順序よくならべる必要があるっていう原則ですよね」

 僕が高校生の教科書にも書いてあるようなことを、そのまま答える。

「そう、例えば『君が突然心臓発作で倒れる』という呪いを発動させるにしても、このシークエンスの原則がある限り、単一の呪術式で呪いが発動することはないし、"心臓発作が起こる順序"というのを途切れなく再現する呪術コードを一つ一つ組み立てていかないといけない。 ……まぁ一つ一つの動作がどのくらいの呪術コードで割り当てられるかというのは、術者の腕のようなところもあるけど」

「あの、それが……?」

 教授がコーヒーをあおって話を続ける。


「このシークエンスの原則についての現在の考え方としては、

①それぞれ個別にみれば単一の動作を規定するだけの呪術コードも、"最小単位の呪い"とみなすことができて、

②その連続する順序というのは"最終的に発動する呪い"から術者の意識とは関係なく『何らかの位置情報』が個々の呪いに自動的に割り振られることで成立していて、

③それぞれの呪術コードの位置情報と発動順序に差異や欠落があると、最終的に発動する呪いが失敗する、というものだ。 ……もちろん知っていると思うけど」


「タグ仮説、ですよね。ジェネラル・アンチスペルはその最後の"タグ"情報を認識して、最終的に発動する呪いをディスペルするっていう――」


 そういいかけたところで、教授はニヤリと意地悪そうに口角を上げた。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年8ヶ月と2週間

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