第五話 僕の夏は教授の奇策から始まる 後編


 キャンパスの近所である夏祭りも終わって、少しづつ夜が涼しくなってきた頃、僕は戦国武将の名前のついた居酒屋で「八海山」という酒をあおっていた。

 コの字に並んだカウンター席と、小上がり席、それとは別のテーブル席が二つしかない小さな行きつけの店だ。店内には客の笑い声と、有線から流れる懐メロ、そしてテレビのニュースの声がゴチャゴチャになって溢れていた。

「……で、結局戻った、と」

 御神苗が酎ハイのグラスを空ける。「マスター、おかわり!」とカウンター奥の髭面のオヤジにつげる。

「あんまり賢い選択とは言えないけどな。まぁ、お前がいいなら、それでいいんじゃねーの?」

 やってきた代わりの杯に口をつけながら、いつもの気だるそうな口調で「ほら、アレ」とカウンター席の上に設置してあるテレビを指をさす。


『政府は、南大陸の原因不明の奇病に対して、人道的支援として物資や魔法薬の支援、また白魔道士の派遣を決め……』


 9時からのニュースが最近話題になっている病気について取り上げている。

「南大陸で流行しているあの奇病の支援で、うちの大学の附属魔法治療院も白魔道士派遣だってよ。保健魔法省も文部魔法省も大規模な研究プログラムをあの病気の研究で組むっていう噂らしいしな。おかげでうちの教授も、毎日、『誰々と誰々を派遣する』とか『感染魔獣モデルが――』って鼻息荒いわ」

「……まぁそれで研究費とれて、俺の研究も不都合なければそれでいいけど」

 御神苗おみなえ自身は白魔道士ではないが、臨床系の白魔法研究室で研究しているため、所属する研究員や学生のほとんどは白魔道士あるいはそのタマゴである。研究費には苦労しないんだろうけど、それ以外の気苦労も多いんだろうと勝手に思っている。

 八海山がゆらゆらと揺れている杯をもう一度ぐいっと呷り、「ま、なるようにしかならないさ」と自分にいい聞かせるように言うと、それを御神苗が横目でみながらニヤっと笑った。



「さて、君は今、ジェネラル・アンチスペルにおけるタグ仮説を話したわけだが」

 いちいちカチンとくる。

「そもそも、君はジェネラル・アンチスペルの呪術コードを何も知らないのに、何故、そんなことがいえるんだい?」

「ですから、ジェネラル・アンチスペルのことについては、小学校の『魔法』の授業から習ってますし、タグ仮説だって大学の教養の講義で――」

 言いかけてハッとなる。松田教授はニヤニヤとしている。

「"原典にあたれ"、は研究の基本中の基本だよ。君は――いやたぶん、1990年代以降のすべての人はジェネラル・アンチスペルの『原典』を目にしたことがないはずだ」

「でも、先生、おかしいですよ。マリスはすぐに公開したって……」

 僕は慌ててそう返す。

「そう、マリスがジェネラル・アンチスペルを開発・公開したのは事実だ。そして、彼はその功績が認められて、クロウリー賞も受賞している。これも事実」

「しかし、1990年代に公開したコードを使って、現在の注射魔法薬が作られて以降、その原典の価値は、商業ベースにあったかもしれないけど、学術としての価値がなくなったとして、ほとんど顧みられなくなってしまった」

「でもいくらPubMagicパブマジックが開始される前の1987年の論文だって、古いのだと世界歴1946年の論文から記録されているんじゃないですか?」


 PubMagic というのは、西大陸の連邦国政府が資金を出して、魔法に関するあらゆる論文情報を収集し、無料のデータベースとして公開しているサービスのことで、ほとんどすべての魔法関連論文の情報がここに収録され、全世界に公開される。


「マリス論文を載せた魔法誌は、今は廃刊しているし、そのアーカイブも"なぜかPubMagicには残っていない"んだよ。君のような熱心な学生が原典を見たことがないのが、何よりの証拠……ともいえるね」


 後で調べてわかったことだが、PubMagic に残っているマリス論文、あるいはマリスの論文に関する論文は、(信じられないことだけど)200数件しかなくて、そのうちの大半が1980年代の終わりから1990年代の始めの、ジェネラル・アンチスペルの再現性についてで、「再現性あり」と「再現性なし」の論文が半々であった。

 そのうち、いくつかの論文の考察(discussion)のところで、今のタグ仮説と同じ論旨の『マリスのジェネラル・アンチスペルは、対象となる呪術の位置情報に作用するのではないか』という仮説が述べられていて、世界歴2000年の総説レビューでこれらの論文を引用しながら、『タグ仮説』という名前がつけられていた。


 僕は、この自分の研究領域でとされていたことについて、びっくりするぐらい無知であることを思い知らされたのだった。

「…………でも、先生。原典がないなら、僕らだってこれ以上は何も出来ないんじゃないですか?」

「ああ、それなら大丈夫。実は――」

 松田先生が何かを言おうとした瞬間、バタンというにはちょっと……というかだいぶ大きな音を立てて、タイミングよく教授室のドアが開く。

「ああ、ちょうどよかった」

 教授の言葉と目線の先には、黒のタイトスカートに白いブラウス姿で、スーツの上着を肩からかけた黒縁メガネの女性が大量の魔法書を抱えて立っている。


「――なんだ、アンタ、まだ居たの? ったく、クソしぶといわね」


 そこには、辞めたはずの秘書さんが、相変わらずの毒舌で僕を見下ろしていた。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年8ヶ月

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