第六話 「君なら、そう言うと思ってたよ」



 バサバサバサバサーっという音を立てて、魔道書の束が教授室のローテーブルに放り投げられていく。

「あぁぁぁ、重かった――!!!」

 肩をグルグル回しながら、元・第三呪術研究室秘書の田中さんが言う。

「な、なななんで居るんですか?」

 今度は首をグルグル回し始めた田中さんの動きがピタッと止まり、「あァ?」と一言だけ凄まれる。

 長い黒髪を真ん中で分けて、無造作に垂らし、黒縁メガネという地味というよりも、本人が外見を気にしなさすぎの格好なのに、その端正な顔と、一部の圧倒的な存在感というかボリューム感のせいでの人だ。

 「黙っていれば絶世の美女」とか「美女の皮を着た悪魔」とかアダ名をつけられていたり、神経領域白魔法教室の教授の顔面をグーパンチで殴ったことがある――とか噂されていて、この白魔法系研究棟の中でもトップクラスの有名人である。


 そして、僕はこの人が大の苦手だったりする。


「愚図に説明するの、超めんどくさい」

 フンッ、という感じで、そっぽを向く。 ……やっぱり苦手だ。

「ああ、田中君にはね、ジェネラル・アンチスペル原典のを取りに海外に行ってもらっていたんだよ」

 田中さんは興味なさそうにそっぽを向いたまま、さすがに長くて邪魔なのか、髪を後ろでまとめはじめる。

「でも、ジェネラル・アンチスペルの原典なんて、どうやって手に入れたんですか? ……いや、そもそも合法的なんですか!?」

「ハァ? ちゃんと入国検査も受けて、持ってきてるわよ!」

 ギロッという目で睨まれる。

「ジェネラル・アンチスペルの注射剤としての製造が開始されてからというもの、異物混入テロからの保護――という国際法のもとで、注射剤用の魔道書の管理が厳重になって世に出回らなくなったという事情はあるんだけど、元となっている『原典』の移動"そのもの"が禁止されてるわけではないんだよ」

 松田教授がフォローするように説明する。

「ただ、実際問題として、さっき説明したように原典そのものはすぐにはアクセスできない状態であることは確かだったからね。国際法の縛りが少し緩いような、知り合いの居る国に行ってもらった……ってわけだ。いやはや、『研究は人脈』、だねぇ」

 ニヤニヤしながら、松田先生が続ける。

「……今、君は少し呆れているようだけど、こういう人と人とのつながりってのが、時には役に立つもんなんだよ。特に研究の世界ではね。」

 そんなもんですか、と返すと、松田先生は意地悪そうな顔で「そんなもんだよ」と笑う。

「うん? あれ? でも、何で田中さんだったんですか? 国際法の縛りが緩いってことは、治安悪そうなところなんですよね?」

 僕の質問を受けて、「ああ、それはね――」と松田先生が言いかけたところで、「教授、余計なこというとコロしますよ」と、ドスの聞いた田中さんの声が響く。

 松田教授は慌てて、「ところで、"彼"、元気だった?」と話題を変える。

「……ええ、相変わらずのドスケベ野郎でしたわ」

 ハッハッハと満足そうに笑うと、「さて、横道にそれてしまったね。続けよう」と松田先生が話を切り返した。




「――ちょっとその魔道書に、目を通してごらん」

 松田先生に促されて、僕は大量の魔道書の最初の1枚に目を落とす。


「…………えっ……何ですか、これ……」

 僕は困惑しながら、そう呟く。

「そう、見たこともない呪術コードだろ? これが、発表当初から、書いた本人にしかわからないと言われている、通称 "マリスコード"というわけだ」

 目眩がしそうな乱雑な配列で魔法文字ルーンが並んでいる。実際頭が痛くなってきて、両手で額を押さえていると、呆れた口調で田中さんが声をかけてくる。


「ハァ、アンタってホントに愚図ね。そういうわけがわからない文字列を見る時は、意味のわからないところなんて読み飛ばして、どこでもいいから『理解できるポイント』を最初に探すのよ」


 田中さんに言われて、ハッとして、魔道書を読み飛ばしていく。1枚目の魔道書が終わる少し前に、見慣れた呪術コードが目に入る。

「あれ、こんなところで『コール』だ。何なんですか、これ……」


 呪術には『シークエンスの原則』の他にも、呪術の対象となる動物が"ある程度の範囲で特定されていなければならない"という『ターゲットの原則』という不可侵項目がある。

 そのため、ほとんどすべての呪術式は、呪術対象者の特定<コール>と呼ばれる呪術コードから始まる。しかし、目の前の魔道書はそうはなっていない。

「コールの後は、凄く細かい条件分岐がずらっと並んでる……ホントに細かい動作で分岐するんですね、これ。初めて見るくらいの……」

 同じような構文が続くページをパラパラとめくっていく。

「最後に…………なんだ、これ? 解呪ディスペルコードの一種?」

 魔道書の最後の文を見ながら、講義やこれまでに読んだ論文の記憶を必死でたどる。


「…………えっ、えぇ!!? これって、まさか"インターカレ―タ―"!?」


 松田先生がパンッと手を叩き、さすがと声をかける。

「そんな!! ジェネラル・アンチスペルって『インターカレーター』なんですか!?」

 僕は驚きを隠せずにいる。教授はそんな僕を見てにやにやと笑っている。



 相手がかけてきた(主に攻性の)呪術を解呪するためのアンチスペルには、大きくわけて二種類の方法がある。


 一つは、かけられた呪術が、対象者の魔力を使って発動する前に、呪術式そのものを対象者の体内から排除する、あるいは呪術式そのものの体内への侵入を妨害するタイプのもので、こちらを『インターセプター<捕縛型解呪式>』とよぶ。

 現存しているほとんどのアンチスペルは、このインターセプターと呼ばれるタイプのものである。


 そしてもう一つが、対象者の体内に侵入してきた呪術式"そのもの"に、アンチスペルが入り込み、呪術式を混乱させることで呪いの発動を抑えるというタイプで、こちらを『インターカレーター<機能欠損型解呪式>』とよぶ。

 しかし、インターカレーター自体は、インターセプタータイプよりも、解呪の成功率やその効果が低いとされ、今日ではすっかり廃れてしまっていて、ほとんど見ることがなくなっている。


 僕は、ジェネラル・アンチスペルの効果の高さから、勝手にインターセプタータイプだと思い込んでいた。でも、確かに呪術がかかってから解呪させるまでのタイムラグを考えると、納得できる気もする。

 謎の呪術コードに、とっくに廃れたはずのインターカレーター…………

 僕の顔が好奇心で溢れているのを見逃さず、松田先生と、そして田中さんまでがにやにやとしている。


「さて、君はさっき、私にこの大学院を辞めて、別の大学院に入りなおしたいと言ってきたわけだが――さぁ、どうしようか?」

 さっきよりもさらに意地悪そうな顔で松田先生が続ける。

「……そんなの、こんな"変なの見せられて"……やるしかないじゃないですか!」

 僕はそう興奮気味に伝える。


 満足そうな松田先生は、こう僕に言葉をかけた。



「君なら、そう言うと思ってたよ」





■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年8ヶ月と2週間

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