第七話 黒い髪の悪魔と赤い目の魔獣




 僕がジェネラル・アンチスペルの解析と解呪ディスペルのための実験を始めてから、一ヶ月が経とうとしていた。

「……おっし! 全部の個体で赤くなってるな。これで、準備はOKっと」

 ようやく前段階の実験が完了して、僕は誰もいない魔獣飼育室でガッツポーズをする。



「さて、君がジェネラル・アンチスペルの解呪ディスペル研究をするにあたって、必ず守ってもらいたいことがある」


『絶対にヒトに向けて、解呪実験を行わないこと』


 僕が「でも、それって」と反論しようとすると、松田先生が間髪入れずに続ける。

「確かに、ヒトへの呪術研究を専門とするわれわれ"第三"にとっては、おかしな話ではあるけどね。しかし、ジェネラル・アンチスペルの解呪が成功したとき、何が起こるかわからない以上、絶対に守って欲しい。 ……いいね?」

「それはわかりますけど、でも、じゃぁどうやって……」

 困ったように返す。


ヒト化魔獣ヒューマナイズドビーストを使って、そこにジェネラル・アンチスペルを導入、そしてその解呪を行う。白魔法研究でよくやられているモデル魔獣を使った実験――ということだね」


 ヒト化魔獣というのは、擬人化猫耳ケモナーな魔獣のことではなくて、先天的に魔力をまったく持たない変異体の魔獣(一般的には"魔力不全魔獣ヌード・ビースト"と呼ばれる)の体内に、移植手術によりヒトと同じ魔力発生構造体(魔力中枢)を組み込むことで、擬似的にヒトと同じような魔力を持つようになった魔獣のことである。

 このヒト化魔獣に、新たな白魔法や魔法薬を作用させ、その反応をみることで、ヒトへの効果を予想することが可能となる。

「い、いや、でもヒト化魔獣なんて、今のこの研究室に買えるわけないじゃないですか!」

 ヒト化魔獣は、その移植手術の難しさから、誰でも作製することができるわけではなく、手術後の魔獣は非常に高価で、一頭で僕の数ヶ月分の生活費くらいになる。

 そして、この第三呪術研究室は一番身近な研究器具である魔法触媒すらも満足に買えないほど、研究費がない。


「……まさか、ヌード・ビーストを買って、自分で移植手術できるようになるってことですか?」

「そんなことしてたら、君、間違いなく卒業できないよ」

 松田先生が即答する。

 僕が「じゃぁ、どうしろっていうんですか!」というより早く、僕たちの会話に田中さんが割って入る。

「先生がバイトするのよ、研究費稼ぎの。近くの白魔法治療院でね」

 僕はえっと驚いた顔で、松田先生を見る。ポリポリと顎鬚のあたりをかいて、少し笑いながら松田先生が応える。

「まぁ僕は一応、免許持ちしろまどうしだからね。それに僕は、対呪術白魔法も使うことができる。

 ジェネラル・アンチスペル登場以前のおじいちゃん、おばあちゃんの中には先の魔導大戦なんかで呪術障害もってる方も多いし、わりと引く手数多なんだよ」

「大学からも月54時間までの兼業は認められているし、それでも足りない分は『奨学寄付金として出す』と言ってくれるところがあってね。それで、この際……ってなったんだけど、流石に何人分の研究費出すくらいにはならないし、それで、研究としては君に絞って、田中君を個人的な秘書として雇って、君のサポートをお願いしたってわけだ」

 なんでよりによって、田中さんなんだよ、と顔に出そうした瞬間に、ゾッと何かを感じ、何とか思いとどまった。


「おっともうこんな時間だな。そろそろ、に行かないとな。じゃぁ、詳しい打ち合わせは、来週のディスカッションの時間にしよう」

 そう言って、松田先生は僕と田中さんを教授室から出るようにうながし、僕が教授室のドアを閉めようとする。


「ああ、そうそうもう一つ――」



■■

 ジェネラル・アンチスペルを導入する前のヒト化魔獣に、ヒト用の呪術コードで作った『瞳を赤くする』という呪術を試した結果――魔獣の瞳の色に関する現象を調べるのに結構時間喰ってしまったけど――ようやく100%の効率で、元々黒い眼をしている体躯20cm前後の魔獣を、赤い目にすることに成功した。

 夜遅くなってしまっていたが、実験が上手くいったことで足取りも軽く、僕は引っ越したばかりの大学のすぐ近くのマンションに向かう。


 鍵を開け、コンビニで買った、いつも実験が上手くいった時にだけ食べる少し高めのプリンとサンドイッチ、ビールの入った袋をテーブルに置き、魔獣飼育室の匂いが染み付いた服を脱ぎながら、シャワールームの扉を開ける。


 ……この時の僕は久しぶりの会心の出来に浮かれすぎていたんだと思う。


 ガチャと扉を開けると、一糸まとわぬ姿で、黒くて長い髪をバスタオルで拭く田中さんの姿があった。一瞬で引きつる顔と、存在感のある真っ白な二つ乳房をしっかりと眼に焼き付けて、「あ、やっぱり大きいんだ」とかどうでもいいようなことを思ってしまう。


「――それで、実験上手く行ったノかよ?」


 ええ、と言った瞬間、僕の下腹部に目がけて、やっぱり真っ白な足がドスッと音を立ててめり込む。うぐぅと変な声をあげてその場にうずくまりながら、あの日、先生にいわれたもう一つのことを思い出していた。


『ああ、そうそうもう一つ。君、アパートも今月で解約しちゃってるでしょ? しばらく、田中君のところでお世話になるようにね。 ――もちろんわかってると思うけど、変なことしたら、君、死んじゃうからね。気をつけて』




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年7ヶ月と二週間

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