第八話 誰のための研究なのか



 すっかりと涼しくなって、朝晩は寒ささえ感じるようになっていた、ある秋の晴れた日。夕方になろうとしていた時間に、松田は第76行政区このちいきでは最も大きな総合白魔法治療院の屋上にいた。

 大学ではもう着ることのなくなった白衣の胸ポケットに様々な色のペンを差し、魔法具である聴診器を首からぶら下げ、その風貌は白魔道士ドクターそのものだった。

 しばらくやめていた煙草をゆっくりと吹かす。


「ここに居たのか。 ……院内は全域禁煙だぞ」

 屋上の入り口から、中年期男性の低い声で話しかけられる。

「……兄さんか。院長先生が、こんな時間に何の用だい?」

 松田は後ろを振り帰らずに返事をする。

の白魔法仕事はどうだ? アカデミアボケしてないか?」

「さぁね。それなりに治療は、上手くこなしてるつもりだけど。まぁ、兄さんが、ウチの大学からスカウトして来た若い白魔道士たちのほうが、腕はいいのは事実でしょ」

 利き腕の左手をひらひらさせて返す。

「お世辞にも、励ましにもならんな。いまだに導き手の頃あのころのお前を知っている患者さんが、わざわざこんな田舎まで訪ねて来る。お前の知名度はだ」

 ふーんと興味なさそうに、紫煙をゆらゆらとくゆらせる。その様子を見て、院長はフーっと息を吐く。

「どんな心変わりかしらないが、お前がこの治療院で非常勤として働くようになって、特に遠方からの患者が一気に増えた。この治療院の経営にとって、効果を上げている以上、それ以上は何も聞かんよ」


「お前が高額個室VIPルームで、政府関係の患者にを聞いて回っててもな――」

 そういうと、院長も胸ポケットから煙草を一本取り出し、火を点ける。

「…………まだ諦めていないのか?」

 松田は遠くを見つめながら、ああ、とだけ返す。

「お前、それは一体、"誰のための研究"なんだ? お前自身のか?それとも新しい院生のか?」

 少しだけ眉をひそめた院長が続ける。

「……まぁ儲かっている間は詮索はしないがね。うちに面倒事だけは持ってくるなよ」

「ハハ、かつての『導師様』の言葉とは思えないくらいの世俗感たっぷりな発言だな」

 松田は煙草の吸い殻を携帯灰皿にしまい、院長の肩を軽く叩いて、屋上の出入口に向かって歩き出す。


「―――あ、そうそう。兄さん、ここ、禁煙だよ」


 振り返ってそう言うと、松田は屋上をあとにした。



 僕のジェネラル・アンチスペルの研究は、ヒト化魔獣ヒューマナイズド・ビーストでのヒト用の呪術式の効果を確認して、論文用の最初の図を作った後で、第二段階のジェネラル・アンチスペル投与試験に入り、それももう少しで終わろうとしていた。

 薄暗くした教授室でプロジェクターを使い、松田先生に進捗を報告する。以前の大人数でのプログレスと違った別の緊張感がある。


「どうやら市販のジェネラル・アンチスペル剤投与については、予想通り、ヒト化魔獣のなかでもヒト用呪術式の解呪ディスペルが行われているようだね」

 松田先生が映しだされたデータを見ながら言う。

「はい。投与してない対照群コントロールでは100%赤い目になるのに対し、投与群ではすべての個体で、元の黒い目のままでした」

「それで次は、ジェネラル・アンチスペル非投与群を陰性対照群ネガティブ・コントロールに、市販品投与群を陽性対照群ポジティブ・コントロールにして、『原典』にある呪術コードを一部改変した改変呪術式を試してみようと思っています」

 僕が次の実験計画を話すと、松田先生は腕組みをしてしばらく考えこむ。

「…………うーん、最終的には改変呪術式のデータは欲しいし、アンチスペルの根幹がどこにあるのかを知るにはその実験しかないとは思うんだけど、まずは市販品を使った際の解呪がどのように、どの段階で起こっているのか知る必要があるんじゃないかな?」

 松田先生が続ける。

「せっかく、というべきかは別として、ヒト化魔獣を使ってるんだし、瞳の色が赤色になる幾つかのステップの、ジェネラル・アンチスペルが作用しているかを、投与後のいくつかのタイムコースで解剖して見てみたら?」


 先生の意見としては、市販品のジェネラル・アンチスペルを投与したヒト化魔獣(複数匹)にヒト用呪術式をかけ、その直後から、ネガティブコントロールが赤い目になる時間までの間のいくつかの時点で、それぞれヒト化魔獣を解剖し、その瞳のなかで起こっている反応を調べて、魔獣のなかでジェネラル・アンチスペルがどのように作用しているかを確かめるという提案である。


 確かに必要な実験だとは思うし、僕自身も考えていたのだが、自分が提案した実験に比べるとインパクトは低いし、何よりヒトのジェネラル・アンチスペルと同じであれば、おそらく最後のステップの手前で作用していると考えられるため、かなりの"まわり道"感がしてしまい、あえて提案しなかったものである。

 

 ――それに、僕にはあまり時間が残されていない。


 そのことを察したのか、松田先生が穏やかな口調で話す。

「君には残された時間も少ないのは重々承知してるけどね。論文を投稿した後で、査読者レビュアーに絶対突っ込まれる点になるだろうし、ここは押さえておこう」

 渋々、「はい」と応えると、松田先生はバイトに出掛けてしまい、田中さんと二人で教授室の片付けをすることになった。

 正直、あの一件以来気まずくて――元々そうだったのだけれど――まともに会話ができていない。沈黙が続く。


 意外にも沈黙を破ったのは、田中さんのほうだった。

「――教授にいわれた実験、ちゃんとやりなさいよ?」

「え? ええ、もちろんです」

 これまで、あまり実験内容に関しては口を出してきたことがなかったので、少しびっくりする。

「教授も、本当は自分で実験もしたいんだろうけどね。それをあえて、アンタに託してる感じがするのよ」

 脈絡のない展開にきょとんとしていると、それに気づいた田中さんが、少し気恥ずかしそうな顔をして続ける。


「ぐ、愚図野郎に言っても無駄だったわね。さっさと実験しろ!ってことよ」


 タイミングよく、もうすぐ雪を連れてきそうな寒風が、教授室の窓をカタカタと揺らしていた。




■僕の博士課程論文提出期限まで、あと――1年4ヶ月と一週間

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