第十四話 デコイ・スペル 前編


十四の一、 第25行政区大学 附属黒魔法研究所


「それが……逆鉾村でしたっけ? その村で採取されたサンプルなんですね」

 黎花の手元にあるサンプルを珍しそうに第25行政区大学の研究員が覗き込んでくる。

「ええ。これからこの石片に残ってる魔法式を抽出して、一旦、安定性の高い魔法式溶媒モーリュに溶かしてから、『逆翻訳(リバース・トランスレーション)』をかけます」

 黎花は野次馬で集まって来た研究員たちに説明している最中も手元のマイクロピペットを動かし、石片への処理を進めている。


「へぇ……機材として『逆翻訳』がうちの大学でも出来るってのは知ってましたけど、実際に間近に見ることができるってのは結構感激ですよ」

 今度は研究室を貸してくれている第25行政区大学附属黒魔法研究所の酒井という准教授が話しかけてくる。40代を少し過ぎたくらいでスポーツをしているのか、がっちりと引き締まった体躯をしている。

「あはは、使う魔法式キットが高いですからね。それに術者のスキルで成否が大きく変わってしまいますし……でも、こんなに実験環境整ってるのであれば、効率良く逆翻訳かけられそうで、正直、その……」

 黎花は何かを言いかけて気まずくなったのかもごもごと口籠る。

「それは……"地方大にしては"高額機器が揃っててびっくりした、かな?」

 酒井は人が良さそうな顔で笑い、黎花も「ええ、すいません」と苦笑いをする。


「……でも確かに、僕も46行政区の国立魔法学研究所で黒魔法の研究してたんだけど、ここの附属研は異常なまでに設備整ってるよね。何でもだいぶ昔のらしいけど」

 今度は黎花が「へぇ」と感心する。ひょっとしたら、あんな山奥に龍神クラスの共同幻想が存在していることにも関連するのかもしれない。そう思った黎花はピペットを置き、酒井の話を手帳に書き込む。


「しかし、逆鉾村なんて辺鄙へんぴなところに、無機物へ込められた魔法式なんて代物しろものが存在するとはね。そんなもの東都でも滅多にはないし。僕はそっちの方が驚きだよ……実はその石片の周りについている苔が魔法植物……とか?」

「いえ、私もそれを疑ってみましたけど、この苔は一般的なスナゴケでした。魔力は微かにありますけど……魔法植物ってわけでは」

「――となると、君が今持っているその石片は今は"失われた技術"によって作られたもの、ってことか」

「ええ。呪術式を封じた呪具のように、無機物に魔法式を閉じ込める方法の多くは先の大戦時に失われていますので、これはそれ以前の魔法技術によって作られていると考えられます」

 集まっていた研究員たちがざわつく。ようやく黎花が持ち込んだサンプルの貴重さを理解したようだ。


「……っと、作業自体はこれで一段落ですね。あとは反応時間を待って、魔法文字検出器にかけるだけですので、ワタシはこれで――――」

 退出を申し出ようとした黎花の最後の言葉を遮って、研究員たちが「あの」とか「これからお時間ありますか」とか次々に言葉をかけてくる。

「あ、はは……あの、ワタシ……」

「いやぁ、見事な手際、それにその知識。是非、うちの研究員たちとランチをご一緒して、色々と研究について話をしてほしいなぁ」

 酒井がにんまりと笑う。黎花は恨めしそうに酒井を見るが、その手はすでに研究員たちによって第25行政区大学の学生食堂の方向へと引っ張られているのだった。




十四の二、  翌日、逆鉾村


「……しっかし、変われば変わるもんだなぁ」

 貴智が逆鉾神社の境内へと続く階段を見上げてつぶやく。そこにはまだ夏の暑さは続いているというのに、数人の参拝客が見える。少し前のさびれた感じはまったくしない。

「でもさ、貴智君。これって何でこうなってるのか不思議やない? だって、村全体に『逆鉾神社の存在を認識させにくくする』っていう門の魔法はかかったままなんでしょ? なのにどうして、ウチたちやおじいちゃん、おばちゃんたちはあの夏祭り以降、みんな逆鉾神社のことを気にかけていられるのかしら?」

「ああ、そういえば――」



「それは、"上書き"されたからよ!」



「うわぁ!!」

「ちょ、黎花ちゃん! 突然はびっくりする!」

 突然背後から現れた黎花に、麻衣も貴智もびっくりしてよろける。その二人の姿を、ふふんと勝ち誇ったように両手を腰のあたりの脇腹に添えた黎花が見下ろす。


「お、お前、第25行政区大学は? 明日までの予定じゃ――」

「そりゃぁ、大変な目にあったわよ!! 次々と繰り出される無意味な質問、知らんがなの五文字しか答えようのない世間話、それをワタシに聞いてどうするんだという恋愛相談……何よ、彼氏に作ってあげるにはどんな料理がいいですかって! そんなのワタシが聞きたいわよ……」

「な、なんか変なスイッチ入っちゃったみたいね、黎花ちゃん……」

「まぁいいわ、今思い出すとまた寒気がしてきそうだし。25大の話は後で。それで――『今は何でみんなが逆鉾神社を忘れないのか』って話でしょ?」

「そう、それ。ちょっと不思議なんよね。おじいちゃん、おばあちゃんたちはもう何十年もわけでしょ? 何で急にこんなに逆鉾神社がにぎわうのかなって」

 麻衣が立ち上がって、服や手について土を払いながら尋ねる。


「それはね、『逆鉾神社を敬う』っていう魔法式を"上書き"されたからね」


「上書き? 新しく魔法を村人全員にかけたってことか? いつの間に?」

に? 変なこと聞くのね、貴智。ちゃんとワタシがみんなに魔法かけたじゃない、ついこの間」

「だから、い――――え? ちょっと、待て。それって――」



「そ、ってことよ。


 一連の決まった儀式に、集団で踊るという共同幻想構築のために理想的な動作、そこに『逆鉾神社を敬う最近村で話題の松田黎花』という最適な偶像アイコン――そして、その間に魔力を込めた魔法式を流せば、門にかけられた魔法式ほど強力なものじゃなくても、『共通の思い出』や『体験』という本来の共同幻想構築に必要なものを提供した分、こちらの魔法式の方が人々の心には強く作用する……つまり、"上書き"されるってこと。そして――」


「そして?? まだ何かあるのか?」

 怪訝な顔をする貴智を、またふふんと得意気な顔で一瞥した黎花が続ける。




「条件発動型囮魔法式――デコイ・スペルを使うの」




(続く)

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