第八話 敗走


「――アンタ、名前は?」


 朽ちかけた拝殿の中で、武官束帯ぶかんそくたい姿で直刀を携え、黎花れいかを凝視している幻獣に問いかける。子供のような背格好の幻獣は、直刀を一度ブンっと振ると眉をしかめたまま、威圧を込めた声で答える。


「われの名は、逆鉾龍命さかほこたつのみこと。この霊峰・逆鉾さかほこに鎮座し、その守護を担うもの」


(まずいわね……この村の"制約"の中で、よりによって龍神とは)

 幻獣の名を聞いた黎花が奥歯を噛みしめる。

 四方を海に囲まれた櫻国おうこくにおいて、雨や水の流れを司る龍神は最も人々の信仰を集める神であり、彼らはその名の中に必ず「龍」や「竜」、あるいは「立」などの文字を、一種の力の誇示のために持っている。彼らは同じように人々の信仰や畏怖によって"造られた存在"である幻獣のなかでも強大な力を持っている。


 じりじりと黎花が距離を取りながら、目の前の龍神の気をそらそうと声をかける。その額と背中には冷たい汗がつたう。

「龍神の一柱ともあろうものが、こんなかび臭い"結界"なんか張って、自ら朽ち果てようとしてるなんてね。情けないと思わないのかしら?」

「…………なんとでも云(い)うがいい。この身が崩れ落ちようとも、われはこの霊峰を守ると約束したのだ」

 逆鉾龍命は静かに目を閉じ、そう答える。

(えっ、守る? 幻獣自身に"制約"?)

 意外な答えに黎花が興味を示し、さらに続ける。

「魔力は随分と弱ってきてるにしても、神――しかも高位の龍神が守らなくてはならない約束って何?」


 通常、『神』と呼ばれるほどに信仰を集めて、長い期間、魔力のチャージを受けた共同幻想げんじゅうは、それ自身が人々の伝承に沿った形の自我を持ち、その多くは他者と関わることを拒むことが多い。櫻国において神の中でも最も位の高い龍神ともなれば、その傾向はさらに強く、『一つの土地に、龍神は一柱しか存在しない』といわれているほどである。



「――未熟な召喚士よ。お前には関係のないことだ。それに、お前はこれから黄泉平坂よもつひらさかへと旅立つのだからな」


 そう言い放った後で、逆鉾龍命はすぅと静かに息を吸い込み、手に持った直刀を身体の前で横に構え、独特のリズムで魔法文字ルーンを詠唱し始める。



 その込められている魔力の異常さを感じ取った黎花が、拝殿の入り口を目がけて駆け出す。

「――ッ‼ まずい、まずいまずいまずい‼」 

残っていた魔法紙製の人形ひとがたを自分と逆鉾龍命の間に投げ、それに向けて叫ぶ。

『私を守りなさい! ウンディーネ!』

 その瞬間――黎花の体は背後から放出された魔力の塊のような炎にぶつかり、まるでおもちゃの人形のように空中に放り出される。そのまま拝殿より数メートル先の地面に叩きつけられ、一度バウンドして、ようやく止まる。黎花に呼び出された精霊は、その人形ごと跡形もなく消え去っている。


「ぐッ がぁ……」


 激しく地面に叩きつけられた黎花は、声どころか息も満足に吸うことが出来ずもがく。人形を投げた右手の何本かの指が"曲がってはいけない方向"に曲がっている。鎖帷子のように魔力を帯びた繊維を編みこんでいた黎花の服は焼け落ち、背中には酷い火傷を負っている。


「お嬢様‼」

「黎花ちゃんッ‼」

 拝殿から離れた場所で待っていた亮平と麻衣が急いで駆け寄る。手入れのされていない境内の草むらのなかで、まだ黎花は息が出来ずにもがいている。

「貴様ぁぁぁぁ‼」

 激高した亮平が拝殿の方に向き直り今にも駆け出しそうなのを、声を出せない黎花が服の裾を握り、苦しそうな顔を左右に振って止める。

「…………はぁッ! はぁッ……亮平……ダメ……逃げ……」

 大きく咳き込んで、黎花は溜まっていた血を吐く。べちゃべちゃと地面を血が叩いていく。最後にごぽっと大きく吐き出してから、はぁはぁと背中を大きく揺らせして息をする。

「ダメよ…………亮平……"アレ"はやばい……逃げるの……早く……」

 額には苦しそうな汗を浮かべ、血の気が引き、元々白い黎花の顔がさらに青白くなっていく。

「亮平君! 早く‼」

 みるみる生気を失っていく黎花の顔を見た麻衣が、急いで鳥居の先にある車に向かおうとする。亮平が黎花を両手で抱え、後に続く。



 ――あと一歩で鳥居を越えようとするところで、ピタッと麻衣の足が止まる。



「麻衣さん!?」

 麻衣に声をかけた瞬間――亮平も麻衣のすぐ後ろに"その気配"を感じ、立ち止まる。周囲に殺気を帯た魔力が漂う。


 やがて、それは武官束帯で腰に二振りの刀と、背中に弓を携えた180センチくらいの白髪のの形となって現れる。声が出ない――というより、声を出してしまうと、即座に殺されてしまいそうな圧迫感を感じる。


「……そこの女。そこの哀れで未熟な召喚士に伝えろ。『次はない』――と」


 麻衣が後ろを振り返らずに頷く。

 しばらく間をあけてから「では、行け」という声が聞えると、振り返ることなく急いで車の鍵を開け、エンジンをかける。後部座席に黎花を抱いた亮平が乗り込むのを確認すると、猛スピードで逆鉾神社を後にする。


「麻衣さん‼ この辺の大きな白魔法治療院へ! 急いで下さい‼」

「わかってるわよ、そんなこと‼ 隣町までとばすから、黎花ちゃんをしっかり抱いてなさい‼」



 その様子を鳥居の内側から見ていた逆鉾龍命は、無言で目を閉じ、拝殿へと戻ろうと歩き出す。一歩一歩、歩くたび、その姿が元の子供のような背格好になっていく。完全に拝殿の奥に消えると、境内の草木が何事もなかったかのように、爽やかな初夏の風でふわりと揺れる――ただ一部、大量の黎花の血を浴びた部分を除いて。




(続く)

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