第七話 逆鉾龍命


 今にも崩れ落ちそうな拝殿の正面の扉には鍵もかかっておらず、そもそも扉そのものが外れてしまいそうなまでに朽ちている。建物自体は平入切妻造のごくありふれた形状をしているが、向拝とその他の装飾はなく、素朴というよりも質素という言葉が似合う造りをしている。


「……奥に本殿はなさそうね。逆鉾岳さかほこだけをご神体にして、拝殿だけがあるって形式なのね。まぁ、造りからしても、近代のものではなさそうね」

 ふむふむと一つ一つ確かめるような黎花れいかの後を、麻衣と亮平がおどおどと続く。

「ね、ねぇ黎花ちゃん。ここ、今にも崩れてきそうだし、早く帰らない? ここ前に"幽霊"見たって噂もあるのよ……」

 麻衣が拝殿の屋根を見ながら、心配そうに言う。

「幽霊⁉ ……ぷっあははは! 逆に面白そう」

 笑いながら二歩、三歩進んだところで急に黎花が立ち止まる。

「黎花ちゃん?」

 麻衣の声に反応することなく、黎花は拝殿の奥を厳しい表情で凝視している。


「――居る……わね。リョーヘイ、私のバックをこっちに。それから、麻衣さんと拝殿から離れなさい」

 黎花はいつもより真剣な口調で亮平に指示を出す。その額には汗が滲んでいる。

「お、お嬢様⁉ 何を……」

「いいから早く‼」


 その瞬間、拝殿の奥から心臓を握りつぶされそうな威圧感が襲ってくる。


「ぐッ‼ ……バックを早く‼ は…早く離れろって‼」

 "何者か"の放つ威圧感に抗うことが出来ず硬直している亮平からバックを強引に剥ぎ取り、左手で突き飛ばす。

「麻衣さんも‼ 早く離れて‼」

 そう叫ぶと、バックの中から取り出した灰汁あくの入った酒を撒く。麻衣は得体のしれない何かに怯えるように無言で頷きながら、這う様にして拝殿から遠ざかる。


「諸々の罪と穢れを祓いて 綾に尊き御前に拝み奉る……」

 黎花は魔力を織り込んだ櫻国おうこく特有の詞を奏上しながら、じりじりと拝殿の奥に進む。五分ほど進んで、拝殿の中腹に差し掛かったところで歩を止め、すぅーと一つ大きく息を吸う。


「……さてと。アンタが何式の"神"なのか知らないから、多少無礼があっても大目に見なさいよねッ‼」

 そういうと、残っていた灰汁酒を奥に向けて、ぶちまける。神木の枝を焚いた灰の入った黒い酒は――まるでそこにがあるように――黎花の前方数メートルのところで弾き返される。


 それと同時に、黎花の胸元を目がけて飛んで来る『何か』を、身を捩らせてかわす。完全にはかわしきれず、黒のブラウスの右肩の部分が少し裂け、黎花の白い皮膚からは血がにじむ。

 通り過ぎた『何か』から距離を取るように床を蹴って反対側に飛ぶと同時に、フリルのミニスカートをたくし上げて、バサバサと内側に仕込んでいた魔法紙製の人形ひとがたを拝殿の床に落とす。小さな黒いリボンの着いた白い下着と太腿が露わになるが、黎花は気にせず床に落ちた人形に魔力を注ぎ込んでいく。



『さぁ行こう、我らは抗うもの。水から土から風から、そして暗闇から。我らの仇敵を討つ四つの刃――踏み潰せ、水鬼スイキ金鬼キンキ風鬼フウキ隠形鬼オンギョウキ


 黎花の詠唱する青魔法により、床の人形が大小の四体の鬼に姿を変え、拝殿の何もない空間目がけて飛びかかる。ガキンッという大きな金属と金属がぶつかる音がして、水鬼、金鬼、風鬼の動きが止まる。


 少し離れたところに立つ一回り大きな黒い隠形鬼が両手を合わせ、もごもごと人間のそれとは異なる魔法文字ルーンを唱えると、それまで何もなかった空間に、武官束帯姿で金鬼と鍔迫り合いをし、両足を水鬼、胴を風鬼に押さえつけられている子供のような幻獣が姿を現す。

 子供のような幻獣は、自分の姿が具現化されたことに気づくと、顔を歪ませて黎花を睨みつける。


『女ァ! かような無礼、許さぬぞ‼』


「と言っても、アンタは今、動けないでしょ。大人しく話を……」

 黎花がそう言いかけたところで、子供のような幻獣が目を閉じ、静かに『草も木も わが大君の国なれば いづくか鬼の 棲なるべき』とうたう。すると、これまであった四体の鬼の姿は掻き消え、元の紙の人形に戻る。

「……四鬼四散しきしさんの歌を知ってるとなると、一筋縄ではいかなそうね……アンタ、名前は?」


逆鉾龍命さかほこたつのみこと


 武官束帯姿で直刀の先を黎花の顔に向け、幻獣はそう名乗った。




(続く)

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