第五話 宿屋 後編
一、
雨で濡れた服を脱ぎ、
さしずめ、今は雨見風呂とでもいったところだろうか。さっきよりも勢いが衰えた雨が水面に波紋を作っている。
「ハァァァァー 極楽ゥ極楽ゥ」
「お、ようやくちょっと警戒解いてくれたかな?別に取って喰うってわけじゃないの、よッと!」
と言うと同時に、麻衣は黎花の両方の乳房を後ろから掴み、そのまま弾力を確かめるように揉む。
「き、きゃぁああ!? ちょ、ちょっと麻衣さん!!」
黎花が驚いて声を上げる。
「おおおお!! やっぱり服の上からでも大きく見えたけど、なるほど、なるほど。”たわわに実って”ますなぁ」
とカラカラ笑いながら、揉みしだく。今まで誰にもそんなことをされたことがなかった黎花は、驚きのあまり硬直していたが、やっと気を取り戻して、両手で胸を隠しながら麻衣から距離を取る。フーッフーッと毛を逆立てた子猫のように、半分涙目で、麻衣を警戒する。
「……ああ、ごめんごめん。久しぶりの若い子だったんで、お姉さん、ちょっと取り乱しちゃってサー」
麻衣が軽く頭をかく。
「まぁまぁ。機嫌直してよ、ね? 背中流してあげるから、こっちおいで。もう胸は揉まないからサ」
そういうと、手を引いて洗い場の方に促す。
「――この髪、染めたの?」
黎花の背中を洗いながら、麻衣が声をかける。少し猫背の背中をするするとした温泉の湯が流れていく。「そうです」と黎花が答えると麻衣が続ける。
「そっかぁ。黎花ちゃん、顔立ちが
そのあとで、出身はどこかとか、好きな食べものはなんだとか、他愛もない会話を続ける。
しばらくして、背中を洗う手がピタッと止まり、静かになる。さっきまでと明らかに違う、張り詰めた空気がする。微かに辺りに魔力が漂っていくのがわかる。
(……きたわね)
黎花が予測していたように、背中に警戒する。
「それで、
麻衣が鋭い口調で喋りかける。しばらく沈黙が続き、湯面を叩く雨音だけが聞こえてくる。
「麻衣さん、私が青魔道士だってわかるんですね」
黎花が振り返らずに答える。
「こんな仕事を長く続けてるとね、なんとなくわかるものなのさ……それで、村を色々と歩きまわって、
さらに緊張感が増す雰囲気に、下手に誤魔化すよりも、正直に答えた方が良さそうだと、黎花が口を開く。
「祖父に実家を追放されて、この村に行くように言われたんです。ここに『朝比奈』の土地があるから、と――私の本当の名前は、朝比奈黎花。河北商店の件は、もう少し便利にしようと思っただけです。この村――いいえ、この”山”に手を出すつもりはありませんよ、
「えっ!!?」
麻衣は驚いたのと同時に、関心したように黎花に声をかける。
「うちがドルイドだって、よくわかったわね。それに、まさか朝比奈のお嬢様だったなんて!」
”
「玄関にあった神具。それに、高位のドルイドほど、山深くて自然に近いところに庵を結ぶって聞いたことがあったし、それに――」
黎花がまだ麻衣の方を振り返らずに応える。
「この温泉……『ソーマ』でしょ。たぶん湧き出る途中で普通の地下水と混じってだいぶ薄くなってるんだろうけど、かすかに魔力が”見える”わ。ワタシたちにはソーマなんてほとんど関係ないけど、ドルイドの人たちにとっては重要なものだろうし、それで」
と答える黎花に、麻衣は驚いたように話す。
「……驚いた、そこまで気づく”外界人”(自然信仰をしない一般人を指すドルイドの言葉)なんて初めてだよ。いかにもこの温泉は、『ソーマ』がごくわずかだけど含まれていてね。櫻国では『ソーマ』が湧くのはここだけ。だから、私達ドルイドにとっては神聖で、守るべき場所なのさ」
さらに麻衣が続ける。
「緑魔法は、術者の体内に植物や動物のヒト以外の魔力を取り込んで利用する魔法体系だからね。使い続けると、その元の魔力を持っていた動植物の影響を受けて、術者の身体に様々な障害が出てくるの。それで、大昔の動植物の死骸から長い時間をかけて自然に抽出され、大地で濾過された『元の持ち主がわからなくなった
胸の前で両手を組み、麻衣がドルイドの祈りのポーズを取る。何かを思い出したのか、麻衣の頬を涙が伝う。
「…………さっきも言ったけど、私は別にここに手を出すつもりはないわ。自分が快適に暮らすために、村をカスタマイズはするけどね……だ、だから、その……また時々お風呂入りに来ても、いいかしら?」
おそらく緑魔法の影響で身体を壊した仲間を想って泣いている麻衣の涙を見て、少し照れくさそうに頬をかきながら黎花が言う。
「ん? あらあらぁ? あ、ひょっとしてお姉ぇさんの”乳揉み”が気に入っちゃったかなー?」
最初のふざけた口調で、麻衣がカラカラを笑う。
「!!? ち、ちがッ!!」
「アハハハッ 照れない、照れない」
「だから、違うって言ってるでしょ!!」
大声で笑いながら麻衣が風呂からあがると、その後ろから否定の言葉を投げかけながら黎花がついていく。二人があがった湯船には、さっきよりも数が少なくなった雨粒がリズミカルに小さな波を作っていた。
二、
「……リョーヘイは、兄弟とかいるの?」
「今日は泊まっていったら?」という麻衣の提案を受けて、蒼鷺館で夕食を済ませた黎花が問いかける。
「私ですか? 姉が一人いますが……」
金色のツインテールを解いて、長い髪を重力に任せバラバラと踊らせながら、「どういう感じの人なの?」とぼんやりとした口調で黎花が続ける。
「え?? どんな感じ、ですか? ……そうですね、私の家は早くに両親が他界してしまいましたので、歳の離れた姉が親代わり、といった感じでしょうか。ただ、その……ちょっとというか、だいぶ変わったヒトですが……」
黎花は「そっか」と応えると、亮平が敷いてくれた掛け布団の上に身を投げ出す。ふかふかの布団に身体がしずむ。「それでは、また明日の朝参ります」と深々頭を下げる亮平を、右手をひらひらとして送り出し、また、ぼんやりと天井を見上げる。
「――――姉弟、か」
今度は左手を部屋の電灯にかざし、人差し指の装飾ない真っ黒な指輪をじっと見つめる。少しの間それ見つめた後で、左手を胸の上におき、そのまま掛け布団の上で目を閉じた。
(続く)
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