第三話 道具屋


一、


「さて、と。リョーヘイ、行くわよ!」

 さかきが帰ってから一週間後、黎花れいかは相変わらず、村のなかをぐるぐると歩き回っていた。その容姿と気さくな語り口調に、村の人間たちも少しずつ打ち解け始めている。

「お嬢様、今日はどちらに?」

 黎花のすぐ後ろを歩きながら、亮平りょうへいが尋ねる。平日の10時ということもあってか、時々、脇の田圃に野鳥がいるくらいで、さびれたこの村を歩いている人間など一人もいない。

「今日は”買った物件”の下見」

 そうなんですか、と亮平がついていくと村役場のすぐ近くで止まる。


「――此処よ」


「え、えっ!? ここって、『河北商店』さんじゃないですか!!」

 河北商店はこの村で唯一の店で、二階建ての一階部分の小さな店舗エリアのなかで、わずかな日配品と新聞、何日か遅れで届く雑誌類、それに種類や量は少ないが家電製品を売っていて、高齢者が多いこの村でも最も重要な場所であった。

「リョーヘイ。よくあるロールプレイングゲームで最初の”旅立ちの村”に最も必要なのはなんだと思う? 武器屋? 防具屋? ……ちがうわね、薬草や毒消し草なんかの消耗品を売ってくれる道具屋よ。だから、真っ先に此処を『買った』の」

 そう言うと黎花はずかずかと店舗の奥に入っていく。

「か、河北のおじいちゃんとおばあちゃんは、どうされたんですか!?」

 二階へ向かおうとする黎花を見上げながら声をかけると、不意に白い下着が見えてしまい、亮平はとっさに下を向く。

「ん? それなら、”彼”に説明するときに一緒に説明するわ。何してるの? 早くついて来なさい」

 そういうと二階の廊下をすすみ、一つの部屋の前で立ち止まる。


「――さてと、ね」




二、


 薄暗く閉めきった部屋のなかで、ぼんやりと光るパソコンのモニターを見つめながら、大友おおとも貴智たかさとは、カチカチとマウスを押していた。

 

 貴智は櫻国首都・東都の私立大学で産業応用を主とした橙魔法を学んだ後、就活で苦労して入った小さな女性向けの下着を作る会社に就職した。毎日毎日、満員電車に揺られ、夜遅くまで残業した上に、同僚や上司から「莫迦」だの、「愚図」だの言われつづけても耐え続けていたのだが、2年半勤めたある日、仕事で大きな発注ミスをした責任を取らされて、呆気無く解雇される。

 解雇になった直後は、(なんだこんな会社、こっちから辞めてやる!)とも思っていたのだが、再就職先を見つけようと履歴書を送っても、40以上の会社に一次選考の書類で落とされ、そうこうしているうちに失業保険が切れた途端、自分のなかの”何か”がプッツリと切れてしまい、実家に戻った。


 しかし、第27行政区内にある実家の両親は、自分とは違い優秀で、白魔道士を目指している歳の離れた妹の教育ためによくないと、貴智が実家に居ることを嫌がり、母方の田舎であるこの逆鉾村さかほこむらに来ることになったのが、2年前。


 ――それ以来、貴智は『何も』していなかった。


 髪と無精髭がぼうぼうに伸び、大学時代はそれなりに小奇麗にしていた服装も、今ではずっと寝間着のまま。それでも祖父母には迷惑をかけているという感覚が残っていて、出される食事にはあまり手をつけないでいたら、いつの間にか随分と痩せてしまっていた。頬骨が目立ち、目の下の隈もずっと消えていない。


 最初のうちに思っていた『どうしてこうなったんだろう?』という自問は、もうだいぶかすれてしまっていた。また今日も、昨日と同じように、ただあてもなくネットを見ようとしていたその瞬間――


 ドガッン!!


という豪音を立てて、閉めきっていたはずの自分の部屋の扉が蹴破られる。そのはずみで倒れた扉の付近で長い間そのままにしていた埃が舞い上がっている。


 扉の外には、仁王立ちしている女が一人と、その後ろでおどおどとした様子で男が一人立っている。女の方は、ゴシック系の黒の服に、少し短い黒地に白で模様の描いてあるフリルのスカート、足元はごつごつしたブーツに、髪は金髪という格好で、男の方はスーツ姿というつり合わないような格好をしている。


「っと。はい、邪魔するわよー」

 ズカズカと土足で自分の部屋に女が入ってくるところで、はっとなって声を上げる。

「ちょ、ちょっと何だよお前ら!!!」

 貴智が上ずりながらそういうと、ジロリという感じの目で女の方が睨む。

「――臭い。リョーヘイ、窓開けて」

 指示を受けた男の方が「は、はい」と窓を開けようとする。

「ちょッ、話聞いてんのか! 何、勝手にしてるんだよ!! まず誰だテメーら!!」


「……ふん、声だけはでかいわね。私は”松田まつだ”黎花。こっちはお手伝いの町田。ここの店の『所有者オーナー』よ」

 黎花は、PCデスクの前で座っている青白い男を見ながら、父親の旧姓で名乗る。

「お、オーナーだと? ここは俺の祖父の――」

「買ったのよ、私が。家屋込み2000万で。だから、私がオーナー……で、アンタは前の住民ってわけ」

 貴智の話をさえぎって、黎花が即答する。

「なっ! そ、そんなの聞いてねーぞ!!」

「聞いてないんでしょうね……ほら、コレみてみなさいよ」

 黎花はハァとため息をつきながら、手をつけられていなかった何回か分の食事の膳から、紙切れを二枚とって貴智に渡す。そこには祖父の字で確かにそんなことが書かれていた。


「……アンタね、働く働かないは別として、ご飯食わせてもらってるおじいちゃん、おばあちゃんとの最低限の会話くらいしときなさいよ」

「う、うるさい!!お前には関係ないだろうが!」

 貴智が激高して答える。

「関係ないわよ。別にアンタが働かなくても、ワタシは困りはしないし。ご自由にどうぞ……でもね、アンタは『何で、河北かわきたのおじいちゃんと、おばぁちゃんが大事にしてきたこの店を売る気になったのか』は知っておいてもいいんじゃないの?」

 黎花は、キッとさっきまでとは違う威嚇するような目で貴智を睨みつける。気圧された貴智が自分の椅子からずり落ちる。


 しばらくして、静かになった部屋で黎花がゆっくりと話しはじめる。


「河北のおじいちゃんとおばあちゃん、もうね、この店の利益だけではアンタを養いきれなくなってたの。若い頃からコツコツ貯めてた貯金切り崩しながら頑張ってたんだけどね……役場の人間も、もうほとんどが隣の村に移っちゃってて、そこで生活してるんですもの。そりゃ、売上も立たなくなるわね」

 貴智が「じいちゃん、ばぁちゃん……」と小さく呟いたのを、黎花は見逃さず続ける。

「だからね、『アンタと一緒に暮らせるなら』って、喜んでこの店売ってくれたわ。おじいちゃんとおばあちゃんに、感謝するのね」

「一緒に暮らすにも、家もあんたが買ったんだろ? 暮らせないじゃないか」

 はは、と力なく笑いながら貴智が呟く。それを見て、ふんッと鼻を鳴らした黎花が自信たっぷりそうに告げる。


「なに勘違いしてるのかしら? ――アンタ、


「へっ!?」

 あまりのことに、貴智は素頓狂すっとんきょうな返事をする。

「私の会社、『逆鉾開発』が、この店を社宅付きのコンビニに建て替えて、アンタはそこの店長になるのよ。心優しくで美しい黎花様は、社宅規定には単身者専用だの、収入うんぬんなんてなんてしみったれた条件はつけないわ」


「――だから、好きなだけおじいちゃんとおばあちゃんに孝行しなさい」


 やっぱり突然すぎて、「ははは」とさっきと同じように笑う貴智の目には、さっきとは違い薄っすらと涙が滲んでいた。

 2年もの間、ほとんど開けられることのなかった古い家の窓からは、梅雨時期の雨が降る前の湿度を含んだ風が入り込んでいた。




(続く)

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