幕間:召喚魔法についての考察

第一話 追放



 破壊された祭殿の奥で一人の少女が、倒れているもう一人の少女の傍に座り込んでいる。辺りは焦げた肉と血の臭いが充満していて、まだところどころに呻き声が聞こえる。


「私はもうダメみたい……ねぇ、お願いがあるんだけど……」

 座り込んでいる少女は無言のまま首を振る。

「私の代わりに――――」

 黒髪の少女が両目に涙を溜めて頷く。声は出ない。

「……そう。ありがとう……黎花れいか

 両手に抱いた血まみれの少女の瞳の色が薄くなっていく。

「い、嫌だ!! ねぇ、ねぇってば――」





一、 追放


 櫻国おうこく首都・東都とうとにある魔法大学、東都大学。最も古く、国内最高峰と名高いこの大学の大学院青魔法研究科に、朝比奈あさひな黎花れいかの姿はあった。


 学部学生の頃からの専攻は青魔法。青魔法とは、神話や物語の世界の生き物や、魔法発見以前まで「神」や「悪魔」として知られていた偶像シンボルを自分自身の魔力を使い、幻獣として具現化する魔法体系のことである。

 彼女自身は高校、大学の学部課程をそれぞれ短縮卒業したエリートで、実家の朝比奈家も世界暦1800年代の魔法発見以前から、独自の青魔法を『秘術』として伝えてきた名家でもあった。

 小柄な体格に、一部ボリュームのある胸と、可憐という言葉がぴったりな顔立ちに、特徴のあるツインテールの髪型で、大学の外でも人気が高く、街に出るとよく声をかけられるタイプである。


 ――――ただ唯一の欠点が、『素行の悪さ』


 これまで、所属するサークルの部室を青魔法で吹き飛ばしたり、ナンパしてきた他大学の学生を呼び出した幻獣で打ちのめしたり、その他もろもろの事件を起こしたりと、「厄介払いで短縮卒業だったんじゃないか」と噂されているほどである。そのこともあってなのかどうか、黎花は他の大学生のように一人暮らしをするわけでもなく、両親が住む実家から通うわけでもなく、母方の祖父母の家から大学に通っていた。今日も大学の研究室を抜け出し、早々にその祖父母の家へと向かう。


 大学から車で30分ほどの祖父母の家。迎えの車を降りて正門をくぐるってから、屋敷の玄関まで少しばかり距離があり、黎花はフンフンと鼻を鳴らして歩く。左手に見える人工池の中の錦鯉はいつもと同じように優雅に泳ぎ、それを覗き込むように水辺に野鳥が下りてきている。屋敷の使用人たちによって丁寧に整えられた植木や、思い思いに綺麗な姿で咲く花々も、どれも黎花のお気に入りの場所であった。


「ただいまー! あー今日も教授のくだらない話だったわぁ」

 履いていた足首のあたりまであるブーツをひょいっと脱ぎ捨てて、そのままずかずかと屋敷の奥へと進む。途中、玄関から少し歩いた広間の近くで呼び止められると、祖父の源一郎げんいちろうが険しい顔をして待っていた。

「黎花。座りなさい」

 いつものお小言のときよりも威厳に満ちた声で源一郎がそういうと、さすがに察したのか黎花がおとなしく座る。


「……今回の大学からの『退学』の勧告。どういうことだ?」

 さぁと肩を竦めてやり過ごそうとする。

「一体、何回目だと思っているんだ。流石に私もこれ以上、かばうことはできない。このまま退学になるもよし、もし反論するのであれば、『朝比奈このいえ』とは関係ないとしたうえで、大学と話し合いなさい」

 源一郎がそういうと、黎花は手慣れた感じで切り返す。

「お言葉ですが、お祖父様。今回の件は、あの無能な教授が私の青魔法に対して、客観的ではない評価を下したのが原因ですわ。ワタシ、何も悪いことしてませんのよ」

 ふんと鼻で笑う。それを見て、祖父の源一郎が呆れた様子で応える。

「百歩譲って教授に原因があるからと言って、制限区域でもない場所で大型の幻獣を召喚して、研究室まるごと潰すやつがどこにあるか……」

「あら、お祖父様。それでしたら、小さな――そうね狛犬でも呼び出してあの教授の頭におしっこでもかけておけばよかったのかしら?」

 黎花は少しも悪びれる様子もなく、続けて軽口をいう。源一郎は絶句して、深いため息をつく。源一郎の妻である花江はなえが心配そうに顔色をうかがっている。

「そもそも、あの大学。ワタシには狭くてしょうがないの」

 そう舌を出して笑う黎花を見て、もう一度深いため息をついた後で、源一郎は何かを決心したように話しだす。


「狭い、か……確かに、お前にはもう少し『広い世界』というものが必要なようだな。ここから、300kmほど北に行った深い山の奥に、朝比奈家に関わりのある土地がある。まだ周辺にわずかに家があるが、ほとんど廃村と言ってもいい場所だ」


「名を逆鉾村さかほこむらという。そこには何もない」

 

「山奥に温泉が湧いていて、たまに湯治客とうじきゃくが来る程度だ。お前が何か悪さをしても、すぐに救いの手を差し出してくれる我々や、お前をいつもちやほやしてくれる取り巻きの連中もいない。しばらく――――そうだな数年ほど、逆鉾村にいって暮らしてみるがいい。さかき君、手配を」


 源一郎はそう言うと、少し離れた場所にいた白髪頭の執事に指示をだす。


「ち、ちょ、ちょっとジジイ! 突然、何言い出してんのよ!!」

 黎花は慌てて口答えをする。花江が言葉遣いをたしなめるが、黎花の耳には届いていない。

「大学院への休学届は、お前が破壊した研究室の弁償と一緒にこちらで行っておこう。逆鉾村についたら――」

「行かないっていってるでしょ!!この禿げジジイがぁ!!」

 そう言い放ったと同時に、右手をかざし、青魔法に必要な魔法文字ルーンを詠唱したかと思うと、黎花の前に『鬼』が出現する。鬼は黎花よりも少し背が高く、金色の体に斧をもっている。

金鬼キンキ! あの禿げジジイを吹き飛ばしなさい!!」

 そう言い終わると同時に、金鬼と呼ばれた鬼が源一郎に向かって、飛びかかる。

 源一郎は「やれやれ」と小さくつぶやくと、着物の懐から小さく折りたたまれた白い魔法紙を取り出し、広げる。

「――善童ぜんどう妙童みょうどう。黎花を屋敷の外へ。私がいいというまで、敷居をくぐらせてはならん」

 そう言って息をふぅと吹きかけると折りたたまれていた白い魔法紙は半分に割れ、その切れ端のそれぞれが大小の鬼の形となって現れる。


 善童と呼ばれた黎花よりも一回り小さい鬼が、向かってきた金鬼の攻撃を鉄斧で受け止め、金属同士のぶつかる音がする。今度は身動きが取れない金鬼に、妙童と呼ばれた方の巨体の鬼が黒い鎖を巻きつけ、ぶつぶつと何かを唱えると、金鬼の形が一瞬で消え去る。


 自分の召喚した幻獣がかき消され「チッ!!」と黎花が舌打ちをした瞬間、回りこんだ善童・妙童に両脇を抱えられ、ブンッと障子を突き破って屋敷の外の庭まで放り投げ出される。

「キャァァァァ――――!!!!」

 ドスンッと、背中に激痛が走る。

「いっっ! 痛ったぁい!! クソ禿げジジイ、絶対に許さない!!」

 体を起こして屋敷の中に入ろうとすると、玄関脇で善童・妙童がそれを妨げるように鉄斧を交差させる。

「ちょ、ちょっと善童、妙童そこをどきなさい!!」

 二体の鬼はまるで黎花の言葉が聞こえないかのように、微動だにしない。

「どけって言ってるでしょ!! このクソ鬼ども!!」

 やはり二体の鬼は微動だにしない。諦めて黎花が別の幻獣を呼び出そうとしたところで源一郎が黎花を見下ろしながら口を開く。


「黎花。逆鉾村についたら、村役場を訪ねて、住む家を手配してもらえ。土地はあっても、朝比奈の屋敷はないからな。村長には私から連絡を付けておこう」

 見下すような目で黎花を見る源一郎に、黎花が睨み返す。

「……ジジイ、覚えておきなさいよ」

 黎花は源一郎を睨みつけたまま、怒りで声と肩を震わせる。

「よいか、これは『追放』だ。何年間か逆鉾村で頭を冷やし、この朝比奈の家にふさわしいと私が判断するまで、この東都(まち)自体にに帰ってくることは許さん。向こうで必要な金は、その都度、榊に届けさせる」


「さぁ、行け。しばらくお前には会うことはない」


 そういうと源一郎は黎花に背を向け、屋敷の奥に戻る。その後ろを、花江がオロオロとした様子でついていく。


「このクソジジイ!! 絶対に、絶対に許さないからなァ!!!」


 黎花がその可憐な顔を歪ませながら、大声で叫ぶ。その大声でさえも二体の鬼は少しも反応しない。黎花はそれを見て、ぐっと奥歯を噛みしめて、右手を握り、地面を叩く。

 黎花は諦めて身体を起こすと、さっきとは反対方向に門に向かって歩き出す。放りだされた表紙に口の中を切っていたらしく、血の味と匂いがする。

 しかし、どこか黎花は冷静で、(その何とかとかいう村でしばらくおとなしくしていれば、どうせすぐに許されるだろう)と考えていた。



 屋敷の庭の桜の花はすっかり散って、緑の季節になろうとしていた。



世界歴2014年 春

 このような些細な経緯いきさつで朝比奈黎花は東都を去ることになり、二つの思惑が交差するなか、あの奇妙な事件の幕が上がったのだった。




(続く)

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