Supplementary information: 世界歴2009年


「えっと……君はどこの学部の学生さんかな?」

 ガヤガヤと騒がしい居酒屋の店内でいまいち会話に参加できていない新入生に声をかける。松田からしてみれば、自分が顧問になっている古武道サークルの新入生歓迎コンパで、例年と同じように一人になっている新入生が飲み過ぎて倒れないように気を配っていた”だけ”のことだったに違いない。


 ――結果的にそれは、その後の世界を大きく変える一言になったのだけれど、その時は誰も気づくはずはなかった。往々にしてそういうものなのだ、きっとこういうものは。



「いや、お酒の席初めてで……」

「うん? 櫻国おうこくは18歳から飲酒可能なのだし……高校の卒業式とかで呑まなかったのかな?」

「ええ、何だか馴染めなくて」

「そう。 ……それは新入生同士の会話にも、かな?」

「! ……そう、ですね。あんまり得意ではないです」

 おどおどとした新入生は、恥ずかしいのか下を向く。松田は(話しかけ方間違ったな)と少し反省する。店内はまだガヤガヤと新入生と、それを迎える二回生以上の学生たちの声でにぎわっている。

「そう言えばさっきの質問の答えを教えてもらっていなかったな」


「ああ、橙魔法学部一回生の万木ゆるぎです。万木 拓海たくみ




 ――二年後、世界歴2011年4月4日。


「おーい、”シン”! こっち料理足りないよー」

 博士課程の学生がテーブル席から彼らよりも若い学生に声をかけている。

「だから、僕の名前、”シン”じゃないですって!! あ、料理まだか聞いてきまーす」

 古陵キャンパス近くの居酒屋『成政』で第三呪術研究室の新人歓迎会が行われていた。一年前からこの研究室に学生アルバイトとして来ている万木が、あたふたとしている。身長が高いわりには童顔で線が細いせいもあるのか、幼くみえることもあって、上級生たちからもよくいじられている。あとは、あの動くたびにひょこひょこと動く、くせっ毛の寝ぐせがそれを助長させているのかもしれない。


「彼、よく”動く”子ですね」

「まぁ私個人としては、こういう酒の席では男女構わずあまりテキパキとしてない方がいいと思うけどねぇ」

 はぁと息を吐いて、松田はあの新入生歓迎コンパでおどおどとしていた姿を思い浮かべる。結局、彼は入部してすぐに辞めてしまったのだが、何か気にかかって、自分の研究室での学生アルバイトを紹介したのだった。

「……それは、何かあってのことなんですか?」

 斉藤がにやりとして尋ねる。

「まぁね。この歳になればそれなりに」

 特に気にもせず返す。

「ああ、それに彼も新入生の頃はそうでもなかったよ」

「え? あの橙魔法学部から来た新人さんのこと、松田先生はよく知ってるんですか?」

「……さぁ、どうかな。私が顧問をしていたサークルの幽霊部員だっただけだし。君が時々後ろ姿で彼を追いかけるよりは、多少詳しいかもね」

「なっ!?」

 斉藤は真っ赤になって慌てている。答えは聞くまでもないようだ。まぁ、研究室のほとんどの人間が気づいていて、彼だけが気づいていないという状況ではあるのだが。

「もうすぐ助教の公募があるから、それまでは研究に専念してほしいなぁ……雇用主としては」

「ち、違います!」

 だからその必死さをどうにかしろと言っているんだが、彼女くらいの年齢には難しいんだろうな、と松田は「はい、はい」と流す。

「下手に詮索するつもりはないからね、そういうことにしておくよ。しかし……”彼女”とは合わないだろうなぁ」

 松田はもう一度大きなため息をつく。

「それって、今度雇うことになってる秘書さんのことですか?」

「ああ。真辺まなべさんが予定よりも早く辞めることになってね……お義父さんの具合があまり良くないらしいということで」

「そうですか……今度の秘書さんはどんな方なんですか?」

「そうだな、一言で言うと”綺麗な人”……だよ」


「え!? 先生、次の秘書さんは若い人なんですか!?」

「はいはい、君たちはまだあっちで飲んでいないなさい」

 松田の一言で学生たちが色めき立つ。そう言えば彼らも若かかったなと松田は苦笑いする。


「綺麗な人ってことは……先生の”いい人”なんですか?」

 斉藤はさっきの意趣返しとばかりに聞き返す。

「まさか。彼女はね……私の古い友人の奥さんなんだよ」

「あ、ご結婚されているんですね」

「ああ……そう、だね」



「綺麗な人、か。 ……いや、悲しいまでに綺麗な人、だな」



 松田はそう呟くと、手元に置いてあった八海山が注がれたグラスを呷った。

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