謝辞3 櫻国首都・東都に降る雨


■ 世界歴2019年10月13日 櫻国首都・東都とうと。中心部から少し離れた郊外にある朝比奈家の屋敷。



「・・・まだ逸花いちかを座敷牢に引き止めるのか」

 険しい顔をした朝比奈あさひな源一郎げんいちろうが目の前に座る妻に向かって問いかける。

「当然です。あれほどの”しるし”を開花させてくれたのですもの」

 妻の花江はなえはそれを少しも意に介さずにするりと返す。その白髪を後ろでまとめ、着物で正座する姿はどことなく冷たい印象を与える。

「まさか、本来、青魔道士でもないあの子が、歴代の当主でも成し遂げられなかったアレに到達するなんてね。”本物の黎花れいか”を失ったときはどうしようかと思いましたけど」

「・・・どちらも可愛い孫ではないのか」

 源一郎は辛そうに項垂れる。

「あら、お忘れですか? この家は『朝比奈』――”始まりの魔女”のための器。青魔法を極め、この世界で最も古く、最も深い共同幻想の奥底に眠る不死者の王を呼び覚ますのが我が家の使命。

 逸花の創った『膨大な魔力で補うことで、個人的かつ局所的な共同幻想でも具現化できる青魔法式』は、契約式をすでに失っている”始まりの魔女”の召喚の鍵として応用できる・・・・ふふッ


 まぁ、あなたはせいぜい櫻国政府このくにを使って金をかせいでいればいいのですよ。あとはこちらの仕事です」


 花江は年老いてもなお整っている顔を一瞬歪め、ニタァと冷笑を浮かべる。




■■


 どこからか隙間風が吹いてくる。土蔵の中はいつも冷たくて季節を感じることができない。一日に何度か食事が運ばれてくる以外で、人の気配もない。部屋の隅にとってつけられた粗末な便所から流れてくる自分の排泄物の匂いで、鼻も利かない。



 ・・・・あれから、一体、どのくらい経ったのだろうか。



 私はあの事件で負傷したまま第76行政区から櫻国の首都・東都に引き戻されて、次に目を覚ましたときにはすでにこの場所に繋がれていた。それ以来、祖父や祖母、『朝比奈』の家のものは誰とも会っていない。これまで秘書として私の身の回りの世話をしてくれていた亮平りょうへいも。


 物音がする。おかしいな、まだ配膳の時間ではないと思うのだけど。物音は徐々に近づいてきて、私の前にある格子の手前で止まる。やっぱり、食事かな。いつもと足音の感じが違うようだけど。



「誰か居るんですか? 何度も言っているけど、私の声に反応してくれると嬉しいのだけど」


 カタンッと何かを床に落とすような音が聞こえる。何だろう、格子の先に居る人は酷く動揺しているように


「・・・どうかしましたか? いつもの人とは足音が違うように聞こえますけど」


 返事はなく、黎花の言葉はむなしく響く。しばらくの間、物音が消える。




「―――おい、残念美人。帰るぞ」


 聞き覚えのある男の声に黎花は、もうわずかにしか光を捉えない眼を見開いて声を上げる。


「たか・・・さと? 何で来たのよ!! 亮平に殺されちゃうわ!!」

 黎花が必死に叫ぶ。

「うるさい!! 」

 男は大声で黎花の言葉を遮ると、右足で思いっきり牢の格子を蹴る。堅い金属の衝撃が足の裏から伝わってくる。


「思い付きでヒトの人生変えといて、勝手に居なくなってんじゃねぇよ・・・」


 大友貴智おおともたかさとは東都の橙魔法系の大学を卒業後、苦労して入った会社を解雇になったあと、再就職もできず実家に戻ったものの、そこも追い出されたところを黎花に雇われ、以来、黎花の会社の社員として逆鉾村さかほこむらのコンビニエンスストアの店長をしていた。度々、黎花の気まぐれで振り回されたりしながら。


 それでも、会社を解雇された後からずっと抱えていた(このままだとどうなるんだろう)という漠然とした不安の籠った薄暗い部屋に、文字通り”風通しを良くするため”にズカズカと土足で入ってきた、自分よりも年下の黎花の堂々とした態度に心を奪われた。恋心というのとは違う、もっと純粋な驚きと憧れのような―――いや、今考えると違わないのかもしれない。


「勝手に消えるなよ。みんな、悲しむだろ・・・・」


 黎花の「ごめん・・・」という消え入りそうな声を聞きながら、貴智は牢の鍵を橙魔法で解錠していく。貴智は、こんなところで大学で習った橙魔法が役に立つとはな、と呟く。


 ゴトッという音を立てて、古びた錠前が床に落ちる。


「早く出るぞ。今、俺には麻衣さんがかけてくれた『対象者周辺の魔力を、植物の魔力に擬態させ、魔力感知させにくくする』っていう緑魔法がかかってる。それに、あいつなら表で別の人間がおさえてくれてる。だから・・・・」


「もう・・・やめなさい・・・朝比奈はあんたが思ってるほど優しくないわ」

 黎花がうつむきながら、絞り出すように吐き出す。



「関係ないな。そんなもの」



「えっ」

 黎花は驚いたように顔を上げる。貴智の姿を映さない瞳からは、涙が零れている。

「じいちゃんやばぁちゃん、それに逆鉾村のみんなにも、もう話してある。村のみんなは誰一人として止めなかったし、それどころか”お前を必ず助けてきてくれ”ってお願いされたよ。


 それに・・・・その・・・なんだ、じいちゃんもばあちゃんは、俺とお前と四人で夷国べつのくにで暮らすのも悪くないってよ」



「何よ、それ・・・・・まさか、プロポーズのつもり?」

 さっきまで本当に悲しくて、不安で、でも心のどこかで嬉しいと思って涙が溢れていたのに、今度は不思議と笑いがこみあげる。


「・・・行くぞ!」

 照れたように顔をそむける貴智が言う。

「うん!」

 私はそれに全力で答えた。




■■■


 大きな朝比奈家の敷地の西側にある裏門。その傍の灯りのない路地に二人の人物が対峙している。一人はスーツのような服を着た若い男で、もう一人は妙齢の女で黒い独特な服装で上下を固めている。


「姉さん・・・何のつもりですか?」

「さぁ。莫迦な弟を止める、っていったところかな」

「何をいまさら。あなたが朝比奈このいえに仇なすのであれば排除します」

 町田亮平がそういうと、『姉さん』と呼ばれた町田涼子が少し寂しそうな表情で答える

「・・・お姫様を連れて逃げれば、あんたとのハッピーエンドってのもあったのに・・・本当に莫迦ね」

「俺はこの家の影。そんなものは望んでいない」

 亮平は眉間に皺を寄せ、涼子を睨みつけながら吐き捨てる。

「あんたも私に似て、肝心なところで不器用で・・・本当に莫迦ね・・・・」


「もう、いいでしょう。あなたを”排除”します」

 亮平が構える。


「・・・さようなら、亮平。せめて、苦しまないように」





■■■■


「雨?」

「ホントだ。さっきまでは降ってなかったのにな」

「ちょっと二人とも! まだ東都抜けてないんだから、気抜かないで!」

 麻衣が後ろを走る二人に声をかける。

「・・・そう言えば、麻衣さんは逆鉾村から離れてもいいの?」

いわおちゃんとも話合ってね。旅館の方は同じ緑魔道士ドルイドの知人に頼んできたわ。それに、私たち櫻国に来る前は南西諸島で暮らしていたこともあるし、夷国に行くのはそんなに抵抗ないのよ」

「でも、私なんかのせいで・・・」

「黎花ちゃん」

「えっ」

「逆鉾村のみんなはね、あなたのことが大好きなのよ。あの雪に閉ざされた村で、ゆっくりと滅んでいく、そんな運命を変えてくれたあなたが・・・・まぁ大友君はちょっと違う”好き”でしょうけど」

「ちょっ!! 何を!??」

「だから、気を抜くなっていうの!!」


 貴智が私の手を引いて歩く。私の目はもうその後ろ姿をほとんど映すことはない。それでも、貴智の背中は頼もしく見えたような気がした。






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