最終話 思い通りにならないこの世界で、君と
「ジェネラル・アンチスペルを破壊する、か・・・しかし、どうやって?」
松田先生が尋ねる。
「Liliの『配列特異的破壊型アンチスペル』です」
僕が答える。自分の名前を呼ばれて、モニターの向こう側にいる本人が軽く手を挙げている。
「この新型アンチスペルは、未知の呪術にはまだ応用することはできませんが、既知の呪術やアンチスペルには有効です。当然、ジェネラル・アンチスペルにも」
松田先生はまだ眉間に皺を寄せ、納得がいかないような素振りを見せる。モニターに映るLiliも現場の雰囲気を察したのか、心配そうにこちらを見ている。
「・・・マリスにメールして、アルゴダでの『実験』の結果を聞きました。その中で、彼らがあの南大陸の小さな街で得た結果には、まだ、僕たちが知らないものも含まれていました」
松田先生が「ちょっと待ってくれ、話が見えない」と話を遮ろうとするのを、僕は無視して続きを話す。
「彼のメールにあったのは『ジェネラル・アンチスペルの重複使用は、お互いの効力を消すだけでなく、様々な副反応を示す』・・・
これが何を意味するのかですけど、ジェネラル・アンチスペルの効果を消すために、もう一度、ジェネラル・アンチスペルをかけることは患者の体内で何が起こるかわからないためできないということを示しています」
「その上、ジェネラル・アンチスペルの構造的な問題から、完全にジェネラル・アンチスペルを破壊するには、マリス・コードの中の
「しかし、あの新しいアンチスペルには問題も多いと君が・・・」
松田先生が不安そうにこちらを見ながら質問する。
「いえ、この破壊式自体はすでに試しているので、問題ありません」
「”試した”?」
松田先生が訝しがるように尋ねてくる。僕はそれに少しも間をあけずに答える。
「僕で試してあります」
「なっ!?」
僕がそう答えると、松田先生はそのまま絶句する。
「僕はもうすでにジェネラル・アンチスペルを持っていません。でも、そのこと自体よりも、もっと重大な問題が佳苗さんの場合には存在します」
「田中君に?」
「僕が学位論文で示したように、ジェネラル・アンチスペルはただの結合魔法による時間稼ぎです。つまり、それを破壊すると、効果がストップしていたすべての呪術の最終的な効果である『呪い』が発動します」
ここまで話すと、僕は少しだけ間をあける。
「・・・そして、佳苗さんには”6つの致死性の呪術”が体内に残っています」
「そんな・・・」松田先生が思わず声を漏らす。僕も最初にこのことを知った時に同じような反応だったのを思い出す。
「
僕の代わりに、
「たぶん、先生はもうおわかりでしょうけど、これが何を意味するのか――」
■
「二つ目の魔力中枢の摘出を完了。松田先生! 桑門先生!」
佳苗さんの背中の皮膚と肉を切開し、魔力中枢組織を摘出したところで、東都大学から来た外科領域の白魔法士の悲鳴にも似た叫び声が狭い手術に響く。彼らにしてみたって、こんな手術は初めてで、見るからに消耗しているのがわかる。
「わかってる!!」
入れ替わりで松田先生の怒号が飛ぶ。
「患者の細胞が暴走しないように魔力を手術が終わるまでずっと”ヒール”で魔力を供給し続ける、しかも魔力を込め過ぎれば今度は弱っている細胞の魔力抵抗性の
松田先生の額には汗が滲み始めている。
「松田先輩がぶっ倒れたら、次は俺が。そして、俺が倒れれば、次はうちの白魔法士が・・・魔力補充材のような量のコントロールが雑にしかできないようなものは頼れない以上、人海戦術ですよ」
桑門先生が皮肉を込めているようにも聞こえる口調で話しかける。
「そんなことは、わかってる!」
「・・・それよりも難しいのは、ジェネラル・アンチスペルに二つ、そして6つの呪術に対してそれぞれ、合計8つの破壊式を同時に構築して、それを少しのタイミングをズレも許さずに発動させないといけない、彼の方だと思いますよ」
桑門先生が目線を僕に向ける。
「ああ。 ・・・・だが、彼ならやるさ」
「私が知る限り、最高の呪術師――だからな」
■■
「うッ!!?」
同時に8つの呪術式を正確に構築するという無謀な行動に、僕の身体が悲鳴を上げ、その上、失敗すれば最愛の人を失うというプレッシャーに心が潰れそうになる。両手の先から急激に体温と感覚が奪われていく。あの防爆実験棟での一件のときと同じ、一時的な魔力の欠乏による症状が現れ始めている。
それとは逆にこめかみのあたりが熱くなって、ブチッブチッと血管が切れているんじゃないかというような音が頭のなかで響く。複数の魔法を同時に使うということが、これほど身体に負担をかけるものなのかと改めて認識する。同時に彼女が今までこれほどの痛みや辛さを抱えていたのか、とも。
「過去の遺物のような呪術ごときに、アナタは殺させない・・・今度は・・僕が守る番なんです!!」
やっとの思いで構築した8つの呪術を横たわる彼女に向けて、放つ。僕の手を離れた
「・・・・大丈夫・・なのか?」
佳苗さんから延びるコードの先に繋がっているモニターは、彼女がまだ生きていることを示している。僕も、現場にいるすべてのスタッフも、そしてLiliたちも固唾を飲んで、佳苗さんの様子を見守っている。
「ゴァッ」
麻酔で眠っている佳苗さんの口から、意識した声ではないものが血と一緒に漏れ出る。彼女の中にまだ残っていた”致死性ではない”呪術の影響であろう、鼻から下に向けた頬に向けて赤い筋が流れ、爪が剥げ、指があらぬ方向に曲がる。
「致死性でないものはやはり発動するのか・・・でも、これで」
「・・・やっと、これで最後です。佳苗さん」
僕は独り言をつぶやく。
『思い通りにならないこの世界で、最後の魔法を、君と――』
■■■
「うっ・・・・」
「気が付きました?」
「あ、ワタシ・・・まだ、生きテる・・・の?」
僕は答えの代わりに微笑む。
「つッ!?」
身体を起こそうとした佳苗さんが痛みに顔をしかめる。
「まだ、動けないと思いますよ」
「佳苗さんには魔法を使ったり、身体能力を底上げするだけの魔力がもうないんです」
「そして、僕も」
「えっ!!?」
佳苗さんが驚いて口に右手をあてる。その手も包帯だらけで、見ていて痛々しい。
「佳苗さんの身体に負の影響を与えていた二つの魔力中枢を取り除いた代わりに、細胞の維持をするための『微量の魔力を供給する人工魔力中枢』を埋め込む必要があったんですが・・・・そんなもの、まだ発明されていませんからね」
僕はそう言って、ズボンの左のポケットにしまっていたものを取り出す。
「代用しました。これで」
「これって、あの!?」
「そうです、"白の指輪"。
「僕の中には"黒の指輪"が。
僕の中の黒の指輪が僕の体内の魔力を吸収して、すぐ近くにある白の指輪に送り、それを白の指輪の中に封じてある呪術式で定められた量だけ、ずっと佳苗さんの体内に放出する――」
「簡単に言うと、僕の魔力を
佳苗さんは目に涙を溜めながら、黙っている。
「両方とも一見すると、
第一条の『第三者への危害を目的とした吸収魔法の開発および使用の禁止』に関して言えば、危害加える目的ではないし、第三条の『常時発動型魔法のうち、同一対象個体(人間を含む)への永続的な魔力の蓄積に結びつく魔法の使用の禁止』についても、”蓄積”、はしてないですからねぇ」
そう言って頭を掻くと、佳苗さんはようやく「何それ、言い訳くさい」と吹き出す。僕はそれを見て少し一緒に笑ってから、続きを話し始める。
「この魔法式は、僕が先に死ぬと魔力の供給が絶たれて、解離性魔力中枢症の症状で佳苗さんも死にます。
一方で、佳苗さんが先に死ぬと、白の指輪という魔力の放出先を失った黒の指輪が暴走し、強力な
「しかも、一人分の魔力を二人で分けてるので、どちらも魔法は使えない」
「・・・最悪な魔法ね」
佳苗さんは目を閉じて、口角を上げながらそう言う。
「ひどいなぁ。僕の"
「あ、そうそう。それと、これを」
僕は今度は右のポケットから小さな銀色の指輪を二つ取り出す。
「また、指輪?」
「僕たちは体内のジェネラル・アンチスペルがもうない状態ですからね。何か悪意のある呪術が体内に入ると甚大な影響がありますからね・・・これは、それの代わりです」
「代わり?」
佳苗さんが聞き返す。
「僕はあの夏祭りの日、ジェネラル・アンチスペルのアクセサリールーンを外部から増やせば、効果が減衰しないジェネラル・アンチスペルを構築できるって考えていたんですけど、それは
でもこれは”人間体内”の話なので、アクセサリールーンが体内になければ外部で増やしてもこの条項には抵触しません」
「えっ? どういうこと??」
佳苗さんの疑問に、彼女の左手を優しく握って答える。
「
「だから、モッたいつけルなって言ってるの!」
佳苗さんが鼻を膨らませる。僕はごめんと言いながら、その朱い髪を撫でる。
「全部、『外付け』にすればいいんですよ。
ジェネラル・アンチスペルの効果の強さや持続時間を決めているアクセサリールーンは必要最小限にして、骨格はそのまま、条件分岐式は、多少効果は落ちますけど、指輪の装着者全体にして呪術コードをシンプルにする。
そうするとごくごく単純な短い単一の呪術式になりますよね。 ・・・・そうなると?」
「呪具に格納できる」佳苗さんがハッとした顔で答える。
「そう。しかも、アクセサリールーン自体は外で増やしたものを、随時、呪具の中に補ってやればいいし、これは”人間体内”ではないので、国際条約にも違反しない。それに、C.マリスがアルゴダで失敗した体内のアクセサリールーンの操作よりもはるかに技術的に簡単ってことになります」
「まぁ言わば、『真のジェネラル・アンチスペル』ってところですかね」
僕はその呪術式が封じられている指輪を、それぞれ自分と佳苗さんの左手の薬指にはめる。
「これからも一緒にいてくれますか?」
「・・・愚図のアンタが嫌だと言っても、一緒にいるわ」
その答えの最後を遮るように、まだベットに横になっている佳苗さんの唇を奪う。唇を外してからまた目が合うと、もう一度、同じように繰り返す。
手術前と同じように少しだけ開けてあった病室の窓から、緑色の櫻の葉を揺らしてきた風が吹き込む。僕は風の吹いてきた方を見ながら、佳苗さんにいくつかの言葉を話す。それは二人だけにしか聞こえないほど小さな声で、佳苗さんは黙って頷く。季節は、もうすぐ夏になろうとしていた。
■■■■
「行ってしまいましたね」
教授室の扉のあたりから斉藤の声がする。松田はそれに振りかえることなく、窓の外を眺めながら答える。
「南大陸に行くそうだよ。”始まりの魔女”の伝説にある、魔法の起源を求めて」
「彼にはこの大学は狭すぎたのさ」
少し間をあけて続ける。
「斉藤君はよかったのかな?」
「・・・何のことですか?」
「・・・まぁいいさ」
「何ですか、この封筒? 見たこともない形状してますね」
斉藤が教授室のローテーブルの上に置かれていた古ぼけた封筒を見つける。
「ああ、学園都市機構の本部から彼宛に届いたんだけどね。入れ違いになってしまったな」
松田はこのところあまり手入れできていない髪の毛をぼりぼりと掻きながら答える。
「学園都市機構!? そんなところから、何でシン君に・・・・」
「・・・・その封筒は、”レターパック”というものでね。まだこの世界に魔法がなかった時代、それよりもはるか前にこの地に降り立った先人たちが使っていたものらしい」
「それで、学園都市機構本部がその”それ自身が歴史的価値のある古い封筒”で送ってくるのは、たった一枚の任命書と決まっているんだよ」
「任命書、ですか?」斉藤が尋ねる。
「彼を卓越研究者(LEADER)に任命する、だそうだよ」
「LEADER? すいません、聞いたことが・・・」
「そうだね。彼にはこんな称号は必要ないだろうからね。任命書は・・・まぁ預かっておくさ」
松田はそういうと、もう一度、教授室の窓から外を眺める。そこにはもう彼と彼女の姿はなく、その代わりに多くの若い学生たちの姿があった。皆、その顔は明るい。じきに雨を運んできそうな湿った風が吹くと、松田はこの紙切れを彼が受け取ることはないのだろうな、とぼんやりと彼と彼女が消えた先を見つめる。
しばらくして、名前のわからない鳥が二羽、ちょうど彼らの行った方向に飛び去ると、予想通り、ぽつぽつと雨が降ってくるのだった。
■ 僕と田中佳苗の最後の魔法まで、あと
―― 0時間 (了)
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