最終話前編 思い通りにならないこの世界で、最後の魔法を
■ 世界歴2019年5月20日 第76行政区魔法大学校附属白魔法治療院
南病棟8階 802号室
附属治療院の真っ白なベットの上で、それよりもはるかに白い顔をした佳苗さんが眠っている。無数に繋がれたケーブルと、微かに上下に動く胸。少しだけ開けてあった病室の窓から五月の涼やかな風が吹き込むと、だいぶ朱くなった髪が一束揺れる。
僕は一年ぶりに第76行政区魔法大学に戻ってきていた。「まだ生きている」、そう思っただけで涙が溢れる。
通常、一つしかない魔力中枢を二つ持つことで、二種類の魔法体系を同時に使うことが可能になるこの特異な形質をもつ人々は、脳や身体に僕らには想像もできない負担を常にかけ続けているため、例外なく短命であるとされている。事実、50歳を超えた解離性魔力中枢症患者はこれまでに一例も報告されていない。
「悔いのないように。またこの言葉を言わなくてはならない時が来るとはね」
松田先生が僕の左肩に手を置いて、いつだったかに聞いたのと同じ言葉をかける。僕に言っているのか、それとも自分自身に言っているのかわからない。先生は僕がここに戻ることについて、何も詳細を聞かずにただ「わかった」とだけ返答し、
両手が震える。悔いを残すつもりはない。確実に佳苗さんを救うつもりで準備を進めてきた。しかし、前例のない方法はこの一連の手術に『試験』という名前を付けることで、僕にプレッシャーを与えてくる。
『――アンタって、ホントに愚図ね。そういうときは、どこでもいいから”理解できるポイント”を最初に探すのよ』
僕は何故か学位を諦めかけていた”あの夏の”教授室での彼女の言葉を思い出していた。そう、わからない部分はずべて捨てて、現代の魔術でわかる部分のみを切り出して、それに対処する、これが僕にできるすべてのことだったはずだ。そして、この一年間そのための実験を繰り返してきた。僕は震える両方の掌をぐっと力任せに握り、自分を鼓舞する。
僕は踵を返し、病室を後にする。廊下に出ると桑門先生が立っている。
「ご対面はすんだかな? ・・・ではそろそろ行こうか」
「ええ」
僕は思い通りにならないこの世界で、最後の『魔法』を試すために歩きだす。コツコツという足音が二つ、誰もいない廊下に響く。
■■
今回の解離性魔力中枢症治療の臨床試験用に用意された手術室に、東都大学から来たスタッフと桑門先生、松田先生、そしてこの手術をリアルタイムで確認するために
こちら側のメンバーは、僕を含めて全員が同じ術衣、帽子、マスク、手袋をつけていて、目元で相手が誰かを判断する。モニターの向こう側には若い女性の研究者とその研究室のスタッフであろう人が何人か、こちらを心配そうに覗き込んでいる。
中央のベットには佳苗さんが横たわっている。今は麻酔用の白魔法で眠っていて、人工呼吸器の管が口元に挿っている。いくつかのコードがそれぞれのバイタルサインを表示する測定機器につながっている。
佳苗さんの身体には手術のために露わになっている部分を除いて、緑色のシーツがかけられていて、首元の部分で仕切り板のようなものが装着されている。
天井からぶら下がる無影灯が僕にはひどく物々しく見えて、部屋全体に圧迫感を感じる。
「患者は田中佳苗、女性、血液型はA型」
桑門先生がゆっくりとした口調で確認を始める。
「・・・それじゃぁ、今回の魔術式を説明してもらえるかな?」
僕は自分自身に言い聞かせるように、言葉を紡ぐ。
「今回の魔術式は、患者腹部を背中側から切開し、第8胸椎から第10胸椎付近に存在する魔力の源である魔力中枢を二つとも全摘出します」
「やはり二つとも全摘出するのか・・・」
僕の説明に松田先生が唸る。
「はい。先生にも従前に説明した通りです」
「危険すぎる。これまでの延命手術報告例の多くは片方の魔力中枢だけを摘出しているのでは?」
松田先生は厳しい目つきでこちらを睨んでいる。
「その通りです。しかし、それらの報告例では、すべての患者は数週間後に死亡しています」
「では、尚更二つとも摘出とは・・・」
僕は松田先生の言葉を遮り、説明を続ける。
「いえ、これまでの方法は、解離性魔力中枢症の患者の状態が、我々と同じような状態になれば延命できるのではないかと考え方に立っていました。
しかし、まだ途中の詳しいメカニズムは不明ですが、おそらく解離性魔力中枢症患者体内では、普段から大量の魔力が体中に供給されることで、様々な器官に影響を及ぼしていると推測されます。患者自身が幼弱な時期には、それが生命の危険となって顕在化し、実際多くの解離性魔力中枢症患者は幼い時に亡くなっています」
一瞬、松田先生だけではなく桑門先生の顔が曇る。ひょっとしたら、彼らにも何かこの疾患についての過去があるのかもしれない。しかし、僕は今は自分のために話を続ける。
「幼弱期の危機を乗り越えると、続く青年期にはこの過剰魔力は『二系統の魔法を行使することができる』という表現形になって現れると考えられます。
これと同じ現象は、僕が東都大学で行ってきた
「解離性魔力中枢症のモデル魔獣まで作り上げていたのか・・・こんな短期間で・・・・」
松田先生が驚いたように目をみはる。
「この二魔力中枢ヒト化魔獣は、ヒト化魔獣そのものが元々持っているKlotho遺伝子の変異によって早期老化となりますが、その死亡間際に、やはり急激な魔力の減少を確認できました」
『ということは、二魔力中枢の場合は老衰による魔力の低下が加速するということかしら?』
今度はモニターの向こう側から声がする。
「いやLili、たぶん違う」
『えっ』
モニターの向こうの気鋭の呪術研究者が驚く。
「もし、僕らと同じ一魔力中枢の人間と同様に、解離性魔力中枢症の人も老衰による魔力低下が起こり、ただそれが彼らの特質によって加速されていたとしたら、魔力の低下そのものが身体機能に影響を与える理由がない。年老いて魔法が使えなくなっても生きているヒトの例なんて無数にあるからね」
『では、何だと?』
「解離性魔力中枢症モデル魔獣の死亡個体を解剖すると、様々な器官で細胞死が確認されるけど、それを切片にして細かく見ていくと、細胞の活動を支えていた魔力が尽きたことによるエネルギー不足というよりも、むしろ過剰なエネルギーに耐えていた細胞が、突然その”重石”がなくなったせいで、細胞そのものの機能が暴走して自死しているように見えるんだ」
「たぶん、魔力ってシステム自体が本来、人間には足枷のようなものなんだよ」
僕は少しだけ視線を落として、佳苗さんの顔を見ながら続ける。
「そしておそらく
『でも、魔力中枢を全摘出すると彼女はモデル魔獣のように死亡するのは、君も分かってるよね。それだけに、この手術が難しいことも』
Liliは僕と同じ呪術研究者で、それも同じモデル魔獣を使った手法を得意としている。その分、この賭けの危険なところがわかるようだった。
「そう。だから魔力中枢すべてを取り除き、彼女たちの特質によって引き起こされる魔力から解放された時に起きる個々の細胞の暴走が起きないように、『ごく微量な魔力を永続的に生み出す人工の器官』を新しく埋め込む必要がある。
そして、その人工の魔力製造器官が"どのようなもの"だったとしても、
つまり―――」
「田中佳苗の体内からジェネラル・アンチスペルを取り除かないといけない」
■ 僕の「最後」の魔法まで、あと
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