第二部二十話 決別 後編



「これですべての準備が完了か」


 受け取った櫻国外からのメールを自分の個人のメールアドレスに転送する。

 さっきまで受話器を持っていた右腕がかすかに震えている。呪術研究室のなかでもヒトを対象とした第三研究室とはいえ、ジェネラル・アンチスペル普及以後の世界が当たり前だった僕にとって、ヒトへの直接的に影響を与える呪術を構築する"重さ"に今更ながら押しつぶされそうになる。(白魔導士たちは、常にこんな重圧と闘っているのか・・・)と、初めて彼らの置かれている境遇と責任の重さを認識する。


 そして、僕にはもう一つ、対峙しないといけないことがある。それはこの使い慣れた院生室の外で、もう僕を待っている。




■ 松田純二の場合


「・・・こんな日が来るとはね」

 院生室を出たすぐの廊下で、険しい表情の松田先生がそう僕に告げる。

「僕も、同じですよ」

 僕がそう言った後で、お互い言葉を見つけられずに黙っている。


「彼女を・・・田中君を静かに看取るため、"その時"まで傍に居ることが、君ができる唯一のことだとは思わないのか」


 絞り出すように松田先生が言葉を発する。節電でとびとびに電灯を消している廊下は薄暗く、僕と先生の他には誰もいない。


「そうかも・・・そうかもしれないですね」

 僕は松田先生の言葉を受け止め、そして、自分の言葉で返していく。



「だけど、僕は"諦める"なんてことはできません。他の何でもない、僕の大切な、一番大事な人なんです。黙ってこのまま何もしないなんてこと・・・僕には出来ないですよ」


「そうか。では、好きにしたまえ。私の指示に従えないのだから、君が第三呪術研究室ここにいる理由もないだろう。退職の手続きはこちらでしておこう」

 僕の言葉を聞いた松田先生は目を伏せ、腕を組みながら声の調子を変えずにそう切り返し、最後に一言付け加える。




「さよなら、だ」



 その言葉を予想していた僕は、「院生部屋の荷物は片づけてあります。実験ノートもまとめて机の引き出しの中に。他に残っているものがあれば、処分していただいて構いません」と事務的に伝えると、そのままエレベーターに向かって歩き出す。



「先生。佳苗かなえさんはいつまでもちますか」

 松田先生とすれ違うところで、尋ねる。


「これまでの臨床報告例から考えて、もってもあと一年・・・おそらくはそれまではもたないだろう。黎花れいかとの交戦で身体機能が著しく低下していたからな」


「十分です。。僕がここに帰ってくるまで、佳苗さんを・・・佳苗を頼みます」

 僕が少し頭を下げてそう言うと、松田先生は僕の方を見ることなく、院生部屋の開けたままの扉の方を見ながら答える。


「君に頼まれることではない。私が白魔導士だからそうするだけだ」


 松田先生の答えを聞いて少し安心して、僕はまた足を進める。本来呪術学の教授である先生が治療に関わる必要はないのに、彼はその類稀なる白魔法の技術を用いて、佳苗さんの治療に参加してくれる。これほど心強いものはない。


 白魔法研究棟の最上階である7階の廊下に、カツ、カツという靴の音が響く。その音に迷いはなく、ただ自分の目的のために次の場所を目指す決意が表れている。夏に向かう湿った風が、僕の実験用白衣の裾をたなびかせる。



 こうして、僕は学生時代から通いなれた第76行政区魔法大学大学院院第三呪術研究室を後にした―――




■       まで、あと


―1年

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