第二部十九話 決別 中編
■
東都大学第一内科領域白魔法教授室の隣の秘書室で電話が鳴る。この時間はもう病棟に行かないといけないため、取次ぎを断るように秘書に伝えてある。教授である桑門は、いつものように電話は気にもせずに上着をコートハンガーにかけ、代わりに白衣を羽織る。教授になっても助教、准教授だった頃とほとんど変わらない。むしろ、研究室や教授室に居る時間が減っているのが現実だった。
今回の電話の相手はなかなかにしつこいらしく、いつも冷静な秘書が声を荒げて手こずっている。今日は少し時間に余裕があったせいか、(助け舟を出してやるか)と普段なら絶対に思わないようなことを気まぐれで思いつく。
「何の電話?」
「それが・・・先生に取次げの一点張りで。76行政区魔法大学のポスドクだと言ってるんですが」
はっと、あの公聴会を思い出す。
「ああ、彼か! いいよ、今日は少し時間があるし、ここで出よう」
桑門は思いがけない電話にどこか心を躍らせて、秘書室の受話器を取る。それを秘書の鮫島が怪訝な目で見つめる。
「やぁ!桑門だ。まさか、君がここに電話をくれるとはね。・・・・まさか、
『・・・はい』
桑門は受話器の先の重苦しい返事に何かを悟る。
「・・・・どうやら込み入った話のようだな」
鮫島に目配せをして、自分のびっしりと詰まったスケジュール帳に目を通す。
「午後一番で、もう一度電話をくれるかな。その調子だとメールには残したくないんだろ?」
その後で二言、三言話しをして受話器を置く。秘書の鮫島がじっとこっちを見ている。思わず、この少し冷たい目がなければ若く美しい彼女も周りの男が放っておかないだろうにと余計な感想を持ってしまう。
「先生。午後1時からはキャンパス協議会です。今日は副学長や総長補佐もお見えになる重要な会議です。どうされるおつもりですか?」
「僕が居なくても既定の出席数は足りるよ。最初だけ松波君に代理出席させておいてもいいし。それに用事が終わったら、ちゃんと出席するさ」
「どうなっても知りませんよ」
「・・・そうならないように、君は僕の知らないところで、何とか
無言のままぷいっとそっぽを向いて、パソコンのキーボードを叩き始めた鮫島に、「じゃぁ病棟に行ってくるよ」と声をかけて教授室を後にする。すでに廊下の両脇で待っていた白魔道士たちが次々に挨拶をしてくる。
「待たせたね。さぁ、今日も行こうか」
桑門はそういって白衣をなびかせて、東都大学附属白魔法治療院までの長い廊下をカツカツと革靴を鳴らして歩いていく。いつもと変わらない風景だったものの、桑門の口元はやや緩んでいた。
■■
「・・・・なるほど。確かにそれは可能性はありそうだが・・・・」
約束通り午後一番でかかって来た電話を受け取り、あの地方大で話をした大学院生の話を聞いた桑門が唸る。手元のメモに西大陸言語でいくつかの単語と矢印を書き入れながら、口を開く。
「しかし、その後でジェネラル・アンチスペルはどうするつもりなんだ?いくら攻性呪術がほとんど使われなくなったとはいえ、まったくない状況というのは・・・」
その質問に電話口の男が答えると、桑門は目を丸くする。
「まさか、そんな! ・・・・いや、確かに原理的には可能か。しかし、こういっちゃ悪いがそんな"莫迦なこと"を考えつくなんて」
「やはり、君は面白いね。いいよ、準備はこちらでやろう」
電話口の男が今度はおどおどしながら二言、三言話す。
「ん? まさか、君が一人で臨床試験の申請から何でもできるとでも思ってたのかい?例え優秀な研究者だとしても、一介の研究者である君には無理だよ。そういうのは、僕の仕事。・・・・そうそう、任せてくれればいいんだよ」
桑門は事務的な話を話したあとで、受話器を置く。教授室の机の前には秘書の鮫島が険しい表情で立っている。
「先生!」
鮫島が言いたいことはだいたいわかっている。
「大丈夫だよ」
「全然大丈夫じゃありません!よくわからないような人物をこの東都大第一内科領域白魔法研究室に急に入れるだけならまだしも、そのために臨床試験の申請まで強引に進めるなんて!!先生のお立場を危うくします」
鮫島は顔を真っ赤にし、肩を震わせて抗議している。もちろん、彼女の言い分にも一理ある。いや、むしろここで強引に手続きを進めてしまえば、彼女の言っているように周りから足元をすくわれる可能性もある。桑門はそんな彼女を見て、ふぅと小さく息を吐いてから話し始める。
「・・・鮫島君。君は何か"勘違い"をしているんじゃないかな? 『立場』というものはね、いざというときに『使う』ためにあるのであって、それに固執して身動きが取れなくなるようなものではないんだよ。
・・・僕たちのような白魔法領域の研究というのは、たった一人の天才が一気に10年、20年分も進めていくようなものではない。いや、今のご時世だとほぼすべての研究者がチームを組んで、少しずつ研究を前に進めていくのが常識ともいえる。
でもね、たまに"出てくる"んだよ。たった一人で何年分もの研究を一気に進めてしまう、まさに天才というしかないような、そんな研究者が。
僕は、自分がそうでないと悟った時から、いつかその人物が現れた時のために、PI(研究室主宰者)として出来うる限りのことをしようと準備を進めてきたつもりなんだよ」
「それがその
「・・・・鮫島君。僕が君を雇っているのは、君がこの研究室の前の教授のお嬢さんだからだとでも思ってるのかな?」
ゆっくりとした口調の桑門の言葉に静かな怒りが込められているのを察して、鮫島は一瞬竦む。今度は消え入るような声で、すいませんと答える。
「さぁ、この話はこれでおしまい。準備については明日話そう。さて、キャンパス協議会はどの会議室だっけ?」
いつもと同じ調子で桑門が言うと、ハッと我に返った鮫島がスケジュール表を確認する。
(さて、松田さん。あなたはどうするつもりですか?
・・・と言っても、どうせまた"あの時"と同じことを繰り返すんでしょうけどね)
■ まで、あと
―1年
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます